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氷の国の姫

 今から遡ること遥か昔の時代。嵐の如く吹雪が猛烈に吹きつけてくる氷の大地。今、この氷の大地を流離っている人間の集団がいた。

彼等は元々、この場所とは別の大地で生活していたのだが、繰り返し起こる過酷な政治と戦争を嫌い、自分達が住んでいた故郷を捨てて新天地を求めて旅をしていた。その結果、辿り着いた場所が今いる氷の大地である。

だが、この場所も新しい居場所を彼等にとって、居心地の良い場所とは言い難かった。極端までに低い気温、容赦なく吹きつける雪、大地を固く閉ざしている氷が支配している世界。とても人間が住めるような環境ではないと思われたからであった。

すると、行くべき場所を見失っている人々は邪な気配を感知する。気がつけば、迷える彼等が行く先には、禍々しい姿をした異形の怪物達が立ち塞がっていた。

このような怪物達は人間達の怨念や悪意あるいは瘴気といったものが凝縮し、さらには有機物あるいは無機物に擬態することで誕生すると考えられていた。無論、強烈な怨念・悪意・瘴気の影響により、擬態した怪物は原型とは似ても似つかない醜悪な姿をしている。

 この場を彷徨っている人間達に対して、激しい敵意を露わにしている異形の怪物達。一方、恐怖と諦めが複雑に入り混じった表情をしている人間達。苛酷な環境を彷徨い続けた結果、人間達に怪物達と戦うだけの力は残っていなかった。

 すると、とうとう痺れを切らしたのか、無数にいる怪物達の中から1体が人間達の集団に襲い掛かろうとする。

これから、暴悪なる怪物達による容赦のない殺戮が起こるものと思われていた。ところが次の瞬間、思いもしない出来事が起こる。

 突然、人間の集団に襲い掛かってきた魔物の動きを止めたのだ。予想もしていなかった出来事を受け、人間達と怪物達の視線は動きを止めてしまった怪物に釘付けになる。

 よくよく目を凝らして見ると、身を乗り出した怪物の全身が氷結しているのだ。これでは人間のことを襲うどころか、まともに身動きすることはできない。

 それにしても何故、この怪物は突然、氷結してしまったのだろうか。その場にいる人間達と怪物達は不思議に思わずにはいられなかった。

 この時、この場にいる人間達と怪物達は不思議な気配を感じる。両者が感じた気配の印象についてであるが、人間達は安心感を抱いている一方、怪物達はこの上ない不快感を抱いていた。

 殆ど反射的に人間達と魔者達の双方は気配を感じた方向に視線を向ける。怪物達と人間達……両者の目の前に立っていた者、それは狼にも似た1匹の巨大な獣であった。

 だが、目の前の獣は本物の狼よりも何倍も大きい上、同時に体毛もまるで雪のように白い。さらにこの白い獣からは形容し難い神聖なる気配が発せられている。そう、人間達と怪物達の前に現われた白い獣は狼の姿をした別の何かであった。

「っ!!!」

 次の瞬間、人間を襲おうとしている怪物達に向かって猛々しい咆哮を上げる白い獣。まるでその場から立ち去れと怪物達に言っているようでもある。

 白い獣が発した咆哮を聞いた後、大人しく人間達の目の前から去ってゆく怪物達。まるで怪物達はこの場に介入してきた白い獣のことを恐れているかのようであった。

 そして、残された人間達を一瞥した後、背を向けてその場から立ち去ってゆく白い獣。その様子を黙って見守っている人間達。何がともあれ、人間達は白い獣の介入により、怪物達の魔の手から難を逃れることができたのだ。

 この時、その場にいる人間達は1つの結論に到達する。目の前に現れた白い獣は神の化身であり、窮地に立たされた自分達を救うために顕現したのだと確信したのである。

 その後、白い獣によって生命を救われた人達は氷で閉ざされた土地に住み着くための努力を始めたと言う。ある者は凍結した土地を開墾し、またある者は雪化粧をした木材を切り出し、さらにある者は低温の環境下で住居を組み立てたとされている。

人々が血の滲むような努力を積み重ねた結果、この氷と雪に覆われた環境において、人間が生活できるような環境を作り出すことに成功したのであった。

 そして、氷と雪の世界を開拓してきた人間達は1つの像を製作することにした。それはかつて自分達を怪物の魔の手から守護してくれた狼のような白い獣を模った像であった。

 もしも、あの時、白い獣が怪物達に立ち向かっていなければ、今の自分達はこの場にいなかっただろう。そう、人々は白い獣に対する感謝と尊敬の念を示すため、白い獣を模った像を製作することを決めたのだ。

 早速、白い獣を模った像の製作に着手する人間達。立ち塞がる困難に直面しながらも、人々はついに像を完成させることに成功する。余談であるが、この像が完成した際には、大規模な宴が開催されたといわれている。

 さらに白い獣を模った像が完成した翌日、不思議なことが起こる。白い獣を模した巨大な足元に銀色の甲冑と氷の穂先を持った槍が置かれていたのだ。

 芸術品としての美しさと武器としての強度を兼ね備えている銀色の甲冑と氷の槍。人々は神秘的な甲冑と槍は白い獣から与えられた武具であることを確信する。神秘的な甲冑と槍についてであるが、後に白銀の甲冑と氷の槍と呼ばれるようになっていった。

 まさに神の化身から賜った白銀の甲冑と氷の槍。この白銀の甲冑と氷の槍は白い獣を模った像を製作した際、製作の指揮した者に管理が委ねられることになった。

 やがて、時は着実に流れていき、慎ましい共同体は次第に国家としての形態を整えていく。そして、白銀の甲冑と氷の槍の管理者を王として、1つの国家が氷と雪に覆われた土地に成立するのであった。

 ……この物語は氷と雪に閉ざされた土地で成立した国において、国家とそこで生きる人達のために奔走した姫君の物語である。


 遥か北方の海にひっそりと浮かんでいる氷と雪に閉ざされた島。その島にフロスト王国と呼ばれている小さな国がある。島国であるフロスト王国は元々、戦乱の嵐が吹き荒れる大陸から移住してきた人々が連合することで成立した国家だとされており、この王国に住む人達は慎ましくも穏やかな生活を過ごしていた。

 そのようなフロスト王国の中心部には大きく白い城が建っている。まるで氷と雪が積み重なってできたような概観をしている城。この城はホワイトキャッスルと呼ばれており、フロスト王国全体における政務を司っている政治機関である。

 さらにホワイトキャッスルの奥に王の間と呼ばれる間が位置している。この王の間は他国の城における王の間と同様、全ての中枢と呼んでも過言ではない場所である。

ホワイトキャッスルの王の間においては、高い国力を持っている大陸の国のような華美な装飾は施されていない。しかしながら、王の間の全体が清潔な状態で維持されているのが特徴である。

 そして、ホワイトキャッスルの王の間の最深部、フロスト王国を統治する者のみが座ることが許される玉座が設置されている。今、この玉座にはこの王国の主である1人の若い女性が座していた。

淡雪のような白い肌、水色と白を基調としているドレスに身を包み、硝子細工のように透き通るような長い髪が印象的な美しい女性。この美しい女性の名前はポラリスと言い、フロスト王国を統治する姫君である。

そんなポラリスは幼い頃より、相当なお転婆娘であったため、しばしば城の外に出ては同じ年頃の庶民の子ども達と一緒に遊んできた過去がある。当然、両親である国王と女王や教育係である家臣から叱られることもしばしばであった。

しかし、お転婆であったポラリスも年月を重ねるに従って、年相応の落ち着きを見せていくことになり、教育を担当している家臣達から様々な学問を学んだ上、今となっては美しさと豊かな教養を備えた姫君として成長していた。そんなポラリスの聡明さは国力で勝る他国からも一目置かれているほどである。

フロスト王国で生きる国民の要望に根差したポラリスの政策。これはポラリスが家臣から最高の教育を受けきたのみならず、幼少期に外で同世代の国民と触れ合った体験の恩恵によるものであることは言うまでもなかった。その結果、地理・気候的に厳しい環境に置かれている状況の中、フロスト王国は国力を徐々に高めることに成功していた。

そして今、フロスト王国に関する執務を行っているポラリスの視界には、自分と同年代と思われる黒髪の年若い男が跪いていた。この男は国土の警備を担当している警備隊の一員であった。

本来、警備隊の一隊員が国の統治者と対面することは滅多にあり得ないことである。しかし、この警備隊員にはある事情があり、フロスト王国の責任者であるポラリス自らが呼び出したのであった。

このような君主と警備隊員の対面が実現しているのも、国を統治するポラリスの柔軟な思考によるものであり、封建制度が確立して上下関係が固定化されている他国ではお目にかかることのできない光景であろう。

「ここまでご苦労。それで報告を聞きたいのですけれど……?」

 丁寧な労いの言葉の後、警備隊員に報告を促すポラリス。お転婆であった幼少の頃から、同年代の庶民の子ども達と接したこともあってか、どのような身分の者であっても、ポラリスは相手のことを労わることを忘れなかった。

 なお、こうしたポラリスの謙虚な態度は家臣達を始めとして、フロスト王国の国民からも絶大な支持を集めていた。その結果、ポラリスを頂点にフロスト王国の団結力が他国以上に強固なものであった。

「姫様からの労いのお言葉、身に余る光栄です。早速、報告についてですが……」

 きびきびとした口調で返事をした後、玉座に座るポラリスに報告する警備隊員。警備隊員の報告によれば、今から遡ること数日前から、フロスト王国に存在する地下道に怪物が出現するようになったのだと言う。

「以上が私からの報告になります。ただ、一言だけ申し上げますと、確かに現在はこれといった被害は出ておりません。ですが、今後、地下道に出現している怪物は必ず人間を襲うでしょう」

 自身が見聞きしたことの報告の後、最後にそう付け加える警備隊員。今はまだ問題はないが、この怪物を野放しにしておけばいずれは惨事になる。警備隊員はそのように確信していた。

「……」

「……」

 警備隊員からの報告に耳を傾けているポラリス。ポラリスは今、警備隊員の口から発せられている言葉の一言一句を聞き逃さないようにしているのだ。

そんなポラリスのすぐ傍において、同じように警備隊員の話を丁寧に聞いている年老いた白髪の男。ポラリスの傍にいるこの年老いた男はフロスト王国の宰相を務めており、ポラリスが幼少の頃から教育係として仕えてきた重臣であった。

そのため、ポラリスにとっては尊敬する師であるばかりでなく、フロスト王国の政務を運営していく中で良き補佐役も担っていた。

「話は分かりました。早速にでも討伐隊を編成・派遣することにしましょう」

 目の前にいる警備隊員からの報告を聞いた後、討伐隊を編成・派遣することを決断するポラリス。ポラリスの決断を聞いた途端、これまで報告をしていた警備隊員は安堵の表情を浮かべる。

これ以上、地下道に出現した怪物を野放しにしていては、フロスト王国の国民達の不安を募らせるばかりであると判断した結果であった。だが、ポラリスが決めたことはそれだけで終わりではなかった。

「そして、今回の討伐隊には私も加わることにしましょう!」

 これまで座っていた玉座から立ち上がった後、凛々しい表情で宣言するポラリス。ポラリスの決断を聞いた途端、すぐ傍に立っていた宰相は勿論のこと、これまで跪いて報告をしていた警備隊員も唖然としている。

「お言葉ですが、姫様……それはなりませぬぞ。もしも、姫様に万が一のことがあれば……」

 開口一番、ポラリスが出陣することに反対する宰相。もしも、姫君であるポラリスに何かあれば、フロスト王国の存続に関わる危険性がある。そのことを考えれば、年老いた宰相がポラリスの出陣に反対するのも当然のことであった。

「宰相、私はこのフロスト王国の姫です。この国の事態に何も行動せずにいて、どうしてフロスト王国の姫だと言えましょうか」

 堂々とした喋り方で宰相の言葉に反論してみせるポラリス。今回の問題はフロスト王国の安心安全に関わる問題である。そうであるならば、フロスト王国の統治者である自らが解決しなければならないと考えていた。

「……全く仕方がありませんな」

 頑なとも言えるポラリスの主張に対して、観念したように言う宰相。こうなってしまえば、誰もポラリスのことを止めることはできない。確かに年月を重ねて落ち着きを見せるようになったが、根本的な部分は幼い頃と同様に行動的であるらしい。

 最終的な結論として、フロスト王国の統治者であるポラリスを最高司令官として、王国内の地下道に出現した怪物の討伐隊を派遣することが決定したのであった。


 ホワイトキャッスルの奥深くに存在している場所。そこは玉座の裏側に位置している場所であり、同時にフロスト王国の王家の者達のみが許される秘密の部屋であった。

 そんなホワイトキャッスルの秘密の部屋において今、ホワイトキャッスルの城主であるポラリスはあるものと向かい合っていた。

 今、ポラリスが真っ直ぐな視線で向かい合っているもの、それは狼のような姿をした白色の巨大な像であった。この狼の像からは猛々しさと形容し難い神秘的な雰囲気が漂っている。

 この像はフロスト王国が建国される以前、この王国の地を守護してきた神の化身を象ったものと伝えられている。そして、フロスト王国が建国されて以降、この像はホワイトキャッスルに保管されることになったのだ。

 余談であるが、狼を象った巨大な像は気品漂う白色の塗料で丁寧に塗装されている。像に塗装が施されてから既に長い年月が経過しているが、現在に至るまで塗装が劣化したという事実は報告されていない。

この事実からも分かるとおり、狼を模っている巨大な像が通常の美術品とは異なる特別な存在であることは明らかであった。

長い間、フロスト王国を守護してきた巨大な白い像を前にして、厳かに跪いているポラリス。そんなポラリスの姿はまるで主君に対して、最大限の礼を尽くしている僕のようでもあった。あるいは仕えるべき神に対して、平伏している敬虔な神官のようでもあった。

「(これより、私達は怪物討伐のために出ます……どうか見守っていてください……)」

 さらに瞳を閉じて両手を合わせているポラリス。そして、ポラリスは巨大な白い像に向けて祈りを捧げるのであった。


 フロスト王国内に存在している地下道。この地下道は地下の空洞を利用して造られたものである。

 フロスト王国の大地は氷と雪で覆われているため、他の場所への移動が不便な環境であった。そうした状況を打開するため、地下道を造ることで移動の利便性を高めようとする試みが行われているのだ。

さらに地上の道と比較した場合、地下道は気温や湿度が一定に維持されていることもあり、フロスト王国内では地下道を好んで利用する者がいた。

さらに加えて言えば、フロスト王国では小規模な地下道が全域に渡って散在している状態にあった。それは同時にフロスト王国の国土にはそれだけ地下に空洞が存在していることを意味していた。

余談であるが、地上が雪と氷で覆われていることの多いフロスト王国では、無数に存在する地下道を整備・連結することによって、広大な地下道路網を構築する政策案も存在するが、莫大な費用と長い工事期間が必要になるため、現在は書類による構想段階のみに留まっている。

警備隊員からの報告があった怪物が出現したとされている地下道。今、この地下道に武装した男の集団が集結していた。

 薄暗い地下道を闊歩している武装した男の集団、それはフロスト王国の統治者であるポラリスの判断によって派遣された怪物の討伐隊である。討伐隊の戦士達は皆、金属製の鎧に身を固めている上、大振りの剣や長い槍といった厳しい武器を武装している。

 但し、金属の加工等を始めとする工業の発達している他国と比較した場合、フロスト王国の工業はまだまだ遅れている状態にある。従って、フロスト王国の戦士達が装備している武具は性能面において、他国の代物とは幾分か見劣りするものがあった。

 また、フロスト王国は王家直属の戦士等のごく一部の者達を除いて、戦士の数多くは普段、農作業等にも従事している。一方、他国では経済に発展に伴って分業が著しく進展しており、軍事を担当する戦士階級と農業を担当する農民階級との分離が全面的に起こっていた。この結果、他国はその軍事力をより高めることに成功していた。

 しかし、フロスト王国の国民は国民同士の結束力が強いという長所があるため、同胞と呼べる他の国民達とさらには王国そのものを守ろうとする士気は極めて高かった。

 いつ怪物が出現する危険性がある地下道内をゆっくりと進軍していく討伐隊の最後尾、そこに討伐隊の戦士達と同じように武装したポラリスの姿があった。

 地下道に出現した魔物と戦うため、ポラリスが身に固めている武具、それは他の戦士達の武具とは異質なものであった。

機能性を重視した無骨なデザインをしている戦士達の甲冑とは異なり、ポラリスの身を包む白銀色の甲冑はまるで美しさを追求しているかのように鋭角的なデザインをしている。

さらに通常の甲冑は全身を覆う構造となっているが、ポラリスの甲冑の場合、動きやすさを重視しているためか、人体における重要な部分のみを覆っている構造となっている。

例えば、甲冑の一部である兜であるが、戦士達の兜は頭全体を覆うような構造になっているが、ポラリスの場合は気品のある王冠のようなデザインとしている。その他、近接戦闘を担当するフロスト王国の戦士達は盾を装備しているが、ポラリスは戦場での立ち回りやすさを重視して盾類といった防御に関する武具を装備することはなかった。

あらゆる意味で他の甲冑とは一線を画しているポラリスの甲冑。それはまさに甲冑の体裁をした芸術品と呼んでも過言ではなかった。

 ポラリスの装備する甲冑はフロスト王国の建国時から既に存在しており、ホワイトキャッスルに安置されている狼を象った白色の巨大な像と一緒に発見されたと伝えられている。

守護神として信仰されている狼の像と一緒に発見されたと言われていることから、一説ではフロスト王国の守護する神から託された武具であると伝えられている。

そしてまた、ポラリスが装備している武具はフロスト王国の技術ではおろか、他国の精錬技術においても製造が不可能な代物であった。まさに神秘のベールに包まれた存在とはポラリスの武具のようなこと言うのだろう。

 重厚な鎧に身を包んでいる戦士達の中でも一際、異彩を放っているポラリス。そんなポラリスはホワイトキャッスルでの宣言どおり、今回の地下道に出現した怪物の討伐隊の最高司令官を務めていた。

「あっ!あれはっ!?」

 すると、最前列を歩いている戦士があるものを見つける。最前列を歩く戦士の声に反応して、討伐隊の者達は一斉に視線を向ける。

 討伐隊の視線の先にいるもの、それは蛸のような姿をした怪物であった。だが、本物の蛸とは大きく異なる点がある。まず、本物の蛸は海の生き物であるが、目の前の蛸の怪物は宙に浮かんでいる。次に本物の蛸の脚は8本であるが、目の前の怪物は4本に減っているが、その分だけ脚が長く太くなっている。

 そして何よりも蛸の怪物の特徴的な点。それは禍々しい光を宿している一つ目であった。まるでありとあらゆるものを憎悪しているかのような眼差しをしている。どうやら、目の前にいる蛸の怪物が今回の討伐隊が戦うべき相手のようだ。

「~っ!」

 すると、最前列にいる戦士に向かって、触手を伸ばしてくる一つ目の蛸の怪物。今、蛸の怪物は自身の視界にいる討伐隊の戦士達のことを完全に敵であると認識していた。

「ぐっ!!」

 虚を突いた突然の襲撃に対処しきれず、最前列の戦士は蛸の怪物の触手で首元を絞められてしまう。当然、襲われた戦士は握り締めた剣で切り払おうとするが、首元を強く絞めつけられているためか、思うように力が手に入らない。

 最前線にいる戦士が危機に陥る中、ポラリスの傍にいる鎧に身を固めた男が最前線に躍り出る。重厚な甲冑で包み込んだ逞しい体格をした男。この男は戦士達のリーダーであり、今回の討伐隊ではポラリスの補佐役を務めていた。

「でやあっ!」

 蛸の怪物によって苦しめられている部下を助けるため、握り締めた大剣で部下を苛む触手を切り落とす補佐役。それと同時に襲われた戦士は蛸の怪物による拘束から解放される。

「大丈夫か!?」

「は、はい……何とか……」

 補佐役の呼びかけに襲われた戦士は返事をする。幸い、手傷を負うことはなかったものの、蛸の怪物によって絞めつけられた時の感触が未だに残っており、再び戦えるようになるまでには時間を必要とした。

「お、おい!あれを見ろよ!」

 今度は別の戦士が蛸の怪物を指差しながら声を上げる。当然、その場にいる戦士達の視線は蛸の怪物の方に向けられる。

 足を1本切り落とされてしまったため、残っている足は3本となった蛸の怪物。ところが、切り落とされた箇所から新しい脚が伸びていき、ついには完全に元のとおりとなってしまったのだ。

「こいつ……傷をすぐに再生する力を持っているのか」

 蛸の怪物の様子を目の当たりにして、そのような言葉を漏らしている補佐役。生き物には等しく傷を治癒する力を持っている。だが、蛸の怪物の治癒能力は並みの生き物とは比較にならないものであった。

「どうやら、一筋縄ではいかないようですね」

 そのようなことを言った後、堂々とした足取りで誰よりも前に出るポラリス。そのようなポラリスの姿を戦士達は黙って見守っている。

「この怪物は私が相手をします!」

 自らが蛸の怪物と戦うことを宣言するポラリス。その表情は凛々しく威厳に溢れるものであった。そんなポラリスの宣言に誰も異を唱える者はいない。

「皆の者、ここは一旦、後方に退くのだ」

 威風堂々としたポラリスの宣言を受け、補佐役は他の戦士達を後退させる。今、薄暗い地下道を舞台に蛸の怪物との一騎打ちが始まろうとしていた。


 薄暗いフロスト王国の地下道において、一つ目の蛸の怪物と対峙しているポラリス。そんなポラリスの姿を見守っている討伐隊の戦士達。

 無言で主君であるポラリスが戦う姿を見守っている戦士達。だが、それは戦士達が自らの役目を放棄したわけではなかった。

 何故ならば、今回の討伐隊の戦士達を率いるポラリス自身、フロスト王国の中でも武芸に通じた実力者であったからだ。迂闊にポラリスの戦いに介入しようとすれば、逆に足を引っ張ってしまう危険性がある。だからこそ、戦士達はあえて成り行きを見守っているのだ。

「……」

 すると突然、蛸の怪物が視界の先にいるポラリスを狙って黒い液体を吐き出す。それはまるで目晦ましのため、海中の蛸が吐き出す墨のようであった。

 蛸の怪物の攻撃に対応するため、素早い身のこなしで避けるポラリス。狙いの先を失った黒い液体が地下道の地面に付着した瞬間、その場から蒸気にも似た白い煙を上げる。地下道の地面が解けているのだ。

「(この墨の液……溶解性があるようね)」

 冷静に目の前の状況を分析しているポラリス。恐らく、強度の低い金属程度であれば、溶けてしまっていることであろう。

 斬られた傷を完全に治癒してしまうほどの再生力と金属を溶かすほどの溶解性のある墨。どうやら、この2つが蛸の怪物の最大の武器であるらしい。冷静な思考力を持っているポラリスはその事実を見抜いていた。

「……!」

 今一度、蛸の怪物は溶解性のある墨液をポラリスに向かって吐き出した。今回の攻撃は前回の攻撃よりも正確であり、確実に対峙しているポラリスのことを捉えていた。

 一方、何かを摘んだ状態で左腕を大きく振るってみせるポラリス。その様子はまるでマントを翻させる動作にも似ているが、肝心のポラリスの左手には何もない状態である。

 すると次の瞬間、白い煙がポラリスと蛸の怪物の間に発生する。その様子を注意深く見守っている討伐隊の戦士達。蛸の怪物が吐き出した溶解性の墨液をポラリスが浴びてしまったものとその場にいる誰もが思われた。

 ところが、実際はポラリスに触れる寸前、蛸の怪物が吐き出した墨液は白い煙と化して、その場で蒸発しているのだ。当然、ポラリスは蛸の怪物の吐き出した墨液に触れていない。

「ポラリス様の前に何かがある……?」

 目の前で起こっている出来事を凝視している戦士。ポラリスの前に何かが形成されており、それで蛸の怪物が吐き出した墨液を遮っているのだ。

「氷のマント……そうか!このマントで防御したのか!!」

 目の前で起こっている出来事を的確に把握している補佐役。いつの間にか、ポラリスの装備する白銀の甲冑の背中からは微小な氷の粒で生成されたマントが伸びている。そして、ポラリスは氷の粒で形成されたマントで自身を覆うことで蛸の怪物の攻撃を見事に防御していたのだ。

 何故、ポラリスが氷の粒のマントを形成することができたのであろうか。その秘密はポラリスの装備している白銀の甲冑にあった。どういう原理なのか不明であるが、ポラリスが装備している白銀の甲冑からは冷気を発生させることができ、氷や雪といった物質を生成することが可能であったのだ。

 但し、氷雪の甲冑に秘められた力は誰でも行使できるものというわけではなく、フロスト王国の王位継承者のみが行使することが許されていた。言い換えれば、現在のフロスト王国では、ポラリスのみがこの氷雪の甲冑の力を使いこなすことができていた。

「今度はこちらの番です!」

 蛸の怪物に向かってそう宣言した後、右手に握り締めている白銀色の槍を構えるポラリス。剣術等の武芸に通じているポラリスであるが、特に槍の扱いに関してはフロスト王国内でも随一である。

 そんなポラリスが構えている白銀色の槍。一見すると、豪奢な細工が施された槍のようであるが、普通の槍とは大きく異なる点があった。

 軍団内で普及している金属製の槍との最大の相違点、それは穂先が氷で形成されていることであった。氷と言えば、熱を加えることで溶解していく性質があるばかりでなく、衝撃を与えれば崩れ去る脆い存在であった。

 だが、氷の穂先は熱で溶けることもなければ、衝撃で砕けることもなかった。それどころか、逆に鉄製の鎧を切り裂くほどの切れ味を誇り、さらには炎さえも凍らせるほどの冷気を発していた。

 氷雪の甲冑と同様に白銀色の槍もまた、フロスト王国の建国の時から現存している代物である。未だに解明されていないことが多いが、恐らく氷雪の甲冑とは一式のものになっていることが推察されている。

 白銀の甲冑と氷の槍を自由自在に使いこなすことのできるポラリス。まさにポラリスはフロスト王国における最強の騎士と呼んでも過言ではなかった。

「逃がしませんよ!」

次の瞬間、蛸の怪物のど真ん中に向かって、氷の槍の穂先を勢いよく突き刺すポラリス。氷の槍の穂先が突き刺さった瞬間、蛸の怪物の身体に異変が起こる。

 氷の槍が突き刺さったことで怪物の身体に生じた傷口が氷結、さらにその氷結現象は見る見るうちに拡大していき、ついには蛸の怪物の全身を氷結させてしまったのだ。いくら再生する力がある蛸の怪物であっても、全身を氷結されてしまっては元も子もなかった。

「これで終わりよ!!」

 勢いに乗じて蛸の怪物を一気に薙ぎ払うポラリス。次の瞬間、ポラリスによる攻撃の衝撃で氷結した蛸の怪の身体は粉々に粉砕され、さらには怪物そのものを撃破することに成功するのであった。

 粉々に砕け散った蛸の怪物の身体は氷と共に地下道の地面にゆっくりと落ちていく。やがて、怪物の亡骸も時間の経過と共に大地と同化していくことだろう。

ポラリスの活躍によって蛸の怪物は倒された。蛸の怪物との戦いが終わった後の地下道、今まで緊迫した空気に包まれていた地下道にいつもの静寂が戻る。

「やったんだ……」

「勝ったんだ……そうだ勝ったんだ!」

 地下道が静寂に包まれている中、不意に1人の戦士が呟くように言う。続いて今度は別の戦士が叫ぶようにして言う。

そして、戦士達の呟きは次第に確信を帯びていき、ついには大きな勝利の歓声へと変わっていく。その喜びに湧いている戦士達の姿を目の当たりにして、満足そうな表情をしているポラリス。やはり、何よりも平和が一番なのだ。

「以上で戦闘は終了です。これより、我々はホワイトキャッスルに帰還します」

 やがて、ホワイトキャッスルへの帰還命令を出すポラリス。そんなポラリスの号令に従って、討伐隊の戦士達はホワイトキャッスルへの帰還を開始する。

 ポラリス達の手よって蛸の怪物が討伐された結果、地下道については今まで以上に利活用が図られることになった。

地下道の利活用の利用促進であるが、同時に地下道そのものの整備・広域化を推進する要因ともなった。そして、フロスト王国内における人・物・金の流通が促進されることになり、フロスト王国の経済活動が今まで以上に発展することになったのである。


 フロスト王国の中心を担っているホワイトキャッスル。ホワイトキャッスルに設置された兵舎では、ポラリスの指令によって派遣された討伐隊の戦士達が無事に帰還を果たしていた。

そのような兵舎の中、帰還した戦士達がこれまで装備していた武装の解除を行っている。これから、怪物討伐を記念しての祝勝会が行われることになるだろう。そんな祝勝会も戦士達にとっては重要な娯楽であった。

 地下道の怪物を討伐したことでホワイトキャッスルが慌しくなっている中、ポラリス自身はたった1人でフロスト王国の守護神の化身と伝えられる安置されている部屋にいた。

 ホワイトキャッスルの秘密の部屋に安置されている狼を模った像と向かい合っているポラリス。そんなポラリスは白銀の甲冑の装備を解除している上、いつもの姫としてのドレス姿に戻っていた。

 すると、ゆっくりとした動作で狼を模った白色の巨大な像の足元に白銀の甲冑を置き始めるポラリス。元々、白銀の甲冑と氷の槍が置かれていた場所である。

やがて、目の前に聳え立っている狼を模った白色の巨大な像に対して、白銀の甲冑と氷の槍の返却を完了するポラリス。そんなポラリスの様子はまるで神から貸し与えられた神秘の武具を返却している神官のようであった。

そして、白銀の甲冑と氷の槍を返却した後、ポラリスはその場で跪いた上、瞳を閉じて両手を合わせている。

「守護神様……貴方様の御力でフロスト王国を守ることができました……本当に有り難うございます」

 狼を象った白色の巨大な像に対して、感謝の言葉を述べた後、静かに祈りを捧げるポラリス。狼を模った白い像は沈黙した状態のまま、眼前のポラリスを優しく見守っているかのようであった。


 闇夜の時間が終わりを告げ、全てを照らす日が東から昇ることで今日という日が始まる。朝もまだ早い頃、ホワイトキャッスル内に設置されている王族専用の食堂。この食堂内でポラリスはいつものように朝食を食べていた。

そんなポラリスの目の前にはポラリスと同じ年頃の女性が座っている。短く切り揃えられている黒髪と侍女衣装が印象的な女性、この女性はポラリスの私生活における世話役であり、ポラリスとは幼い頃からの長い付き合いである。

長い付き合いであるためか、誰に対しても丁寧な言葉を使用するポラリスも、世話役の女性に対してだけは砕けた口調で喋っていた。それは同時に2人が強い絆で結ばれていることの証明であった。

 今、ポラリス達の前に並べられている朝食。ライ麦の粥、野菜のスープ、海魚を焼いた物の3品で構成されている。見た目こそ質素であるものの、実質的な栄養価は十分であった。

 ライ麦はパンとして焼き上げる調理法もあるが、寒冷なフロスト王国では焼き上げてもすぐに冷めてしまうという問題が発生していた。そのため、少しでも冷めない粥として調理するのが一般的であった。

 余談であるが、現在、ポラリス達が食べている朝食とフロスト王国の庶民の朝食との間に大きな開きはなかった。身分の高低の間で生じる食事内容の格差の是正、これはフロスト王国歴代の統治者達が取り組んできたことであった。

 フロスト王国には身分の上下に関係なく力を合わせることにより、厳しい環境下にある寒冷の国土を切り拓き、さらには国として成立させることに成功したという歴史がある。

それ故に身分が異なるという理由だけで食事の内容に極端な格差があってはならない。身分を問わずに食事を充実させるという思想がフロスト王国の王家には根づいていた。このような発想は封建体制が確立されている他国では考えられないことであった。

 熱の残っているライ麦の粥を黙々と口に運んでいくポラリス。同じように世話役の女性もまた、温かさの残っている野菜のスープを口に運んでいく。

 ポラリスが幼い頃は両親と一緒の3人で食事をしていた。だが、両親が病気で死去したため、独りの身となったポラリスは1人で食事をすることになった。

 それから、しばらくの間、立場故に1人で食事をしていたポラリス。しかし、ポラリスは1人で食事をする環境に耐え切れず、食事をする際には常に誰かと一緒に食事をすることにしていた。

「今日も同じような朝食……飽き飽きよ」

 今日の朝食に関して不満の言葉を口にしている世話役の女性。毎日同じような献立が食卓に並んでいる。変わることのない食事内容に対して、世話役の女性は不満を抱いているのだ。

「っ!も、申し訳ありませんでした!」

 すぐさま世話役の女性は自身の発言を猛烈に反省する。自分の主であるポラリスもまた、全く同じものを食べているのだ。もしも、他国で同じようなことを発言すれば、解雇されるどころか、反逆の意思ありとして処罰される可能性もあった。

「いいえ。貴方の言うとおりよ。毎日同じ食事では誰でも飽きるわよ」

 狼狽している世話役の女性とは対照的に優しく微笑んでいるポラリス。世話役の女性の失言を咎めるどころか、ポラリスは逆に肯定してみせたのだ。他国の諸侯であれば、このような言動に激怒していた場面であろう。

「貴方の言葉と目の前の食事は私達への戒めだわ。貧しいから我慢するのではなく、貧しいからこそ豊かにする必要があるわ」

 目の前に並べている料理を見て、落ち着いた調子で語っているポラリス。もっと実り豊かな食事にしていかなければならない。フロスト王国の姫として、ポラリスはそのような決意を抱いていた。

「ポラリス様……」

 ポラリスが口にした言葉を聞いて感極まっている世話役の女性。そのようなポラリスの姿勢を目の当たりにして、世話役の女性は自らの主君としてばかりでなく、一人の人間としても大きな尊敬の念を抱いていた。

「でも、このフロスト王国を豊かにするためには皆の力が必要だわ。だから、これからもよろしく頼むわよ」

「っ!はいっ!!」

 ポラリスの呼びかけに力強い口調で返事をする世話役の女性。それと同時に世話役の女性の中で勇気が湧き上がってくる。このようにして、ポラリス達の朝食は終わりを告げるのであった。


 ホワイトキャッスルに円卓の間と呼ばれる場所がある。円卓の間はその名前が示しているとおり、巨大な円卓が中央に設置されており、円卓に対応するための椅子が用意されている。

この場ではありがちな豪奢な調度品や華美な装飾が省略され、質実剛健な雰囲気を漂わせている円卓の間。この円卓の間では主に大規模な会議を開催されるために用いられることが多い。

 そして今、議場としての機能性が高められた円卓の間において、フロスト王国の統治者であるポラリスを筆頭にして、王国の各地の代表者達が集結していた。但し、王国各地の代表者と言っても、他国における諸侯のような強大な力を有しているわけではない。

 それはフロスト王国の運営に関わる会議を開催するためであった。この会議は定期的に開催され、特に重要なことを話し合うために開催されていた。

「これより、フロスト王国の国内会議を開催する!」

 威厳に満ちたポラリスの宣言と共に開始されるフロスト王国内の最大の会議。時間の経過と共に議事は滞りなく進んでいく。会議の進捗状況は他国における会議とは比較にならないほどに捗っていた。

元々、フロスト王国は国家としては小規模であり、利益が相反する事態が起こることが少ないためであった。その一方で大規模な国家では、地域同士の利害が相反する事態が起こりやすく、結果として国家運営の会議の円滑な進行が妨げられてしまっていると言う。

 さらに言えば、フロスト王国を円滑に運営していくためには、各地域の協力が必要不可欠である。そのため、それぞれが自身の利益のみを主張してしまえば、物事が円滑に進まなくなる危険性がある。だからこそ、会議が開始される前に予め、それぞれの利害調整が図られていた。

 やがて、フロスト王国に関する会議の終わりに近づこうとしていた時であった。ポラリスが座っている席から離れた位置に座っている大柄の男が何か意見があるように挙手をする。

 挙手をすることで意思表示をした口元に髭を蓄えている大柄な男、この男はフロスト王国における北西部の代表者であった。当然、ポラリスは北西部の代表者の挙手を見逃さなかった。

「何かご意見があおりでしょう?」

 北西部の代表者の挙手に気がついたポラリスはそのような言葉をかける。吸い上げることのできる意見はできるだけ吸い上げる必要がある。フロスト王国の政策を推進していく上でそのように考えていた。

「実は姫様にお願いしたいことがあります」

 紡ぎ出される言葉こそ静かであるが、確かな意思を持って意見を出す北西部の代表者。そうした中、ポラリスを始めとして、その場にいる者達の視線は北西部の代表者の方に注がれる。

自らの意見を主張することが少ない上、率先して他地域にも協力してきた北西部の代表者。そんな北西部の代表者自らが意見を出すこと自体、極めて珍しい出来事であったのだ。

「お願いしたいこと?」

「そうです。是非ともお願いしたいことです」

「それは一体どのようなことでしょうか?」

「はい。実は最近、我々の北西部に怪物が出現するようになったのです」

 北西部の代表者の話に耳を傾けようとしているポラリスと他の代表者達。そして、北西部の代表者は自分の地域で起こっている出来事を話し始める。

北西部の代表者の話によれば、ここ最近、フロスト王国の北西部にある森に凶暴な怪物が出現するようになったと言う。そのため、北西部の人達は森に立ち入ることができないでいると言う。

北西部の代表者の話はそれだけでは終わらない。フロスト王国の北西部には広大な湖があるが、この湖にも先程とは異なる怪物が出現しているのだと言う。

言い換えれば、フロスト王国北西部の森と湖、それぞれの場所にそれぞれ異なる怪物が出現している状況であった。

「そこで姫様には怪物を討伐するための討伐隊を派遣していただきたいのです」

 事情を説明した後、改めてポラリスに要望をする北西部の代表者。だが、この要望は北西部に生活している庶民の意思を代弁したものであり、同時に公共的利益のある要望でもあった。

「姫様……差し出がましいようですが、私は直ちに北西部に出現した怪物を討伐するべきであると考えます。もし、現状を放置すれば、怪物による被害は拡大することになり、やがては私どもの南西部にも及ぶことになるでしょう」

 すると、細身の狐目をした男がポラリスに進言する。ポラリスに進言した細身の狐目の男、それはフロスト王国の南西部の代表者であった。南西部の人間は北西部の人達からしばしば援助を受けている。そうした恩義からか、北西部の問題を見過ごせずにいたのだ。

「そうね。私も南西部の代表者と同じ意見だわ」

 南西部の代表者の意見に対して、同意の意向を示すふくよかな体格の老婦人。この老婦人はフロスト王国の東部の代表者であった。東部と北西部の間には直接的な交流はないものの、東部の代表者は北西部の問題をフロスト王国全体の問題として見ていた。

 今一度、フロスト王国各地の代表者達を見渡すことにしているポラリス。そんなポラリスの視界には温かい眼差しをしている代表者達の姿が入ってきた。

「皆さん、他に何かご意見はありますか?」

 この場にいる代表者達を眺めながら、それぞれの意向を伺おうとしているポラリス。そんなポラリスの呼びかけに各地の代表者は頷くことで返事をする。どうやら、この場にいる全員が討伐隊を派遣することについて賛成の意思を表明しているようだ。

「皆さん、異論はないようですね。フロスト王国の統治者としてこの場で宣言します。今から3日後、北西部に出現した怪物を討伐するための討伐隊を派遣することとします」

 そして、討伐隊を派遣することを決断するポラリス。このようにして、満場一致でフロスト王国の北西部に出現した怪物を討伐する部隊が派遣されることが決定するのであった。


 フロスト王国の北西部に怪物の討伐隊が派遣される当日。ホワイトキャッスルの兵舎では、駐在している戦士達が今回の出撃のための準備を進めている。

そうした最中、狼を模った白色の巨大な像が安置されている部屋にいるポラリス。白銀の甲冑と氷の槍が安置されている。それはまさしく神から授けられた神秘の武具と呼んでも過言ではなかった。

巨大な像の足元に安置されている甲冑を手に取った上、静かに自身の身体に装着させるポラリス。そんなポラリスの動作にはどこか気品が漂っていた。

 なお、戦士が甲冑を装備する場合、一人二組あるいは複数の人間の力を借りて甲冑を装備することが多い。

 しかし、白銀の甲冑の場合、重量そのものが通常の甲冑よりも軽い上、装着する際に複雑となっている機構が省略されている。そのため、ポラリス1人だけでも装備することが可能であったのだ。

 迅速かつ無駄のない動作で白銀の甲冑を装備するポラリス。やがて、ポラリスは白銀の甲冑の装備を完了させた後、狼を模った白色の巨大な像と向かい合う。

「これより、私はフロスト王国の統治者として戦いに赴きます」

 狼を模った白色の巨大な像に向かって、凛々しい表情で宣誓するポラリス。最後にポラリスは置かれている氷の槍をその手に取ると、ホワイトキャッスルでも秘密とされている部屋の出入口へと向かう。

 そして、狼を模った白色の巨大な像が安置されている部屋から出て行くポラリス。そんなポラリスの行為はまさしくフロスト王国の守護神を前にしての出陣の儀式に他ならなかった。


 フロスト王国の北西部に位置している森林地帯。そこには雪化粧をしている無数の樹木が一面に広がっている。

森林を構成する樹木は建築に必要な木材になる他、薪にすることで燃料としても活用されている。まさに寒冷なフロスト王国で樹木は必要不可欠な存在であると言っても過言ではない。それと同時に無数の樹木を擁している森林は貴重な資源の宝庫と言えた。

 そして、怪物が出現したと言われている北西部の森、そこは斜面の上に位置していた。そのため、森に辿り着くためには、雪に覆われた斜面を登る必要があった。

「くっ!これは厳しいな……」

 最前列を歩いている戦士の一人がそのような言葉を漏らす。斜面の傾斜が急であるばかりか、吹雪が前面から打ちつけてくる状況にある。最前線を歩く者としてはこれ以上になく厳しい条件だろう。

だが、最前列を歩いている戦士がここで立ち止まることは許されなかった。何故ならば、後方には大勢の戦士達が続いているからだ。

「おい!大変かもしれないが、俺達の後ろにはポラリス様がいる!ここは何としても踏ん張るんだ!」

 後続の戦士が前を進んでいる戦士に激励の言葉を送る。最も後方には今回の討伐隊を指揮しているポラリスがいる。自分達がここで隊列を崩してしまえば、主君であるポラリスにも危険が及ぶことになる。それだけは絶対に避けなければならなかった。

 吹雪の中での苦しい行軍の末、討伐隊は斜面の頂上である森に到着する。だが、ここで休んではいられない。これから、森の中に潜んでいる怪物を捜索しなければならない。

 森の中を真っ直ぐ進んでいる討伐隊。そうした中、何者かが討伐隊の前に現れ、その行く手を阻んでくる。

 討伐隊の前に現れたもの、それは1体の異形の怪物であった。怪物は大猿のような姿をしており、白色の長い体毛が特徴的な怪物であった。この大猿のような怪物が今回の倒すべき相手であるらしい。

「弓兵は直ちに攻撃!」

 ポラリスの傍にいる補佐役は討伐隊の戦士達に指示を出す。すると、後方に配置されている弓を装備した戦士達は即座に行動を開始する。

 戦士達は即座に弓を構えた上、取り出した矢を弓の弦で引くと、大猿の怪物に向かって矢を発射する。そして、弓から発射された無数の矢が一斉に大猿の怪物を襲う。

 ところが、次の瞬間、弓を装備した戦士達は我が目を疑う。渾身の力を込めて発射した矢は大猿の怪物に触れた途端、次々と弾き飛ばされてしまったのだ。

 結局、弓矢による攻撃は大猿の怪物に傷を負わせるどころか、掠り傷すらも与えることができなかった。同時にこの事実は大猿の怪物が頑強な肉体の持ち主であることを雄弁に語っていた。

「ガアアアアアアアアアアアッ!!」

 大気を震わさんばかりの怒声を上げる怪物。弓矢による攻撃自体は痛くも痒くもなかったが、人間達に攻撃されたことについて憤っていた。

「な、何て奴だ……」

 予想外の自体を目の当たりにして、驚きを隠せないでいる補佐役。だが、こうして驚いている場合ではない。一刻も早く次の手を考えなければならない。

「こ、このっ!」

 すると、最前列にいる戦士が鞘から引き抜いた剣を大猿の怪物に向けて構えている。だが、戦士は剣を構えるだけであり、実際に踏み込むことはしない。

「(相手は相当凶暴だ。下手に踏み込めばやられる……)」

 剣を構えている一方、そのように思考を巡らせている戦士。迂闊に踏み込めば、瞬く間に餌食にされてしまうことだろう。但し、その行為は自身の力量を熟知しているからこその判断であった。

「グオオオオオオオオオッ!!」

 今一度、怒声を上げている大猿の怪物。その怒声は大気を震撼させるものであり、その場にいる討伐隊は一時的に動きを止めてしまう。

 討伐隊が一時的に動きを止めた瞬間を見計らって、大猿のような怪物は球体のように身体を丸めた上、どこかに向かって転がり始める。

「急いで追うんだ!」

 討伐隊の戦士達に急いで指示を出す補佐役。補佐役からの指示を受け、戦士達は逃げる大猿の怪物を追いかけ始める。

大猿の怪物は最初から逃げるつもりであり、先程の怒声による威嚇はこちらの動きを一時的に止める時間稼ぎに過ぎなかったのである。

そして、転がっている大猿の怪物が向かった先、そこは討伐隊が必死になって登ってきた斜面であった。討伐隊の戦士達は一旦、追跡の足を止めてしまう。

すると、躊躇なく斜面を転がり落ちる大猿の怪物。斜面の急な傾斜の影響によって、大猿の怪物の転がり落ちる速度はさらに増していく。

「斜面を転がっているのか、何て奴だ!」

「だが、あの斜面を急に降りるのは……」

 口々にそのような言葉を口にしている戦士達。目の前の斜面の傾斜は想像以上に急であり、迂闊に降りようとすれば、こちらが危険な目に遭う可能性があった。

「くっ!今の我々ではあいつを追うことは……」

 焦りを露わにしている補佐役。今の状況では大猿の怪物を追撃することは不可能であろう。だが、それは大猿の怪物を逃がしてしまうことを意味しており、同時に依頼された討伐そのものが失敗することを意味していた。

「一体どうすれば……」

 敵の予想外の行動に何とか打開策を講じようとする補佐役。だが、思うような打開策が浮かび上がらない。

 焦燥感に駆られていく補佐役。そんな補佐役を目の当たりにして、討伐隊の戦士達もまた、同じような心情に陥っていく。次第に討伐隊全体の士気が低下していく様子が見て取れた。

「皆さん、しっかりしてください!諦めては駄目です!!」

 そうした時であった。その場にいる討伐隊の戦士達を一喝するポラリス。当然、その場にいる誰もが自身のことを一喝したポラリスの方に視線を向ける。

「しかし、ポラリス様。我々にはあの怪物を追う手段がありません。あの怪物を追いかける方法がなければ、我々は……」

 そんな言葉と共にポラリスに疑問を呈する補佐役。ポラリスの言っていることは正当であるが、討伐隊には逃走している大猿の怪物を追いかける手段がない。追いかける手段がない以上、こちらはどうすることもできなかった。

「私に考えがあります。ですから、見ていてください」

 すると、それまでの凛々しい表情とは一転、柔らしい表情で補佐役に語りかけるポラリス。そのようなポラリスの姿を目の当たりにして、補佐役は不思議な安心感を抱かずにはいられなかった。

 すると、討伐隊の隊列の先頭に立ってみせるポラリス。これから、自分達の主君が一体何をしようとしているのか、補佐役を始めとして討伐隊の戦士達はポラリスのことを黙って見守っている。

「……」

 瞳を閉じて自らの意識を集中させるポラリス。すると、ポラリスの装備している白銀の甲冑からは冷気が発生する。ポラリスの意識に白銀の甲冑が感応した結果なのかもしれない。

ポラリスの白銀の甲冑から発生している大量の冷気。やがて、膨大な量の冷気はポラリスの前面に一点凝縮される。

白銀の甲冑の冷気で生成されたもの、それは一枚の氷の板であった。そして、その氷の板は雪上での運送用の道具として用いているそりを小型化したようなものであった。

 白銀の甲冑から生成した氷の板を前に倒した後、あろうことか、その氷の板の上に乗ってみせるポラリス。

当然、討伐隊の戦士達はポラリスの行動に注目をしている。自分達の主君である姫君はこれから何をする気なのだろうか。

そして、ポラリスは周囲の者達の視線など気にも留めず、氷の板に乗った状態のままで斜面を下り始める。そう、先に雪の斜面を転げ降りている怪物の追跡を始めたのだ。

「ポラリス様……」

「あの斜面をあんな速さで降りている……」

 氷の板を用いて滑り降りているポラリスを目の当たりにして、唖然とした様子で見守っている討伐隊の戦士達。

確かに大量の資材を運搬する時に用いられるそりを利用して、雪上の遊びに興じる光景はフロスト王国でしばしば見受けられた。

だが、このような薄い板を利用することにより、急な雪の斜面を滑り降りるなど、前代未聞のことであった。まさにポラリスの行っていることは前例のない行動であった。

 ポラリスが率いる怪物の討伐隊が決死の想いで登ってきた雪の斜面。そのような雪の斜面を今、大猿のような怪物が身体を丸めて転がり降りている。

 すると、後方から何者かが逃走中の大猿の怪物のことを追いかけてくる。それは自分の身体を氷の板の上に乗せて、雪で覆われた急斜面を滑り降りているポラリスであった。

「私は貴方を決して逃がしません!」

 氷の板で雪の斜面を滑り降りている最中、大猿の怪物に向かって、凛とした表情で宣言してみせるポラリス。

そのようなポラリスの言葉を聞いた途端、逃走している最中の大猿の怪物はさらに速度を上げる。何とかポラリスの追撃から逃れようとしているのだ。

 だが、氷の板で雪の斜面を滑り降りるポラリスの速さは大猿の怪物が転げ降りる速さを上回っていた。この調子ならば、間もなくして、逃走中の大猿の怪物に追いつくことができるであろう。

「凄い……」

「なんて見事な動きなんだ……」

 そのような言葉を口にしている戦士達。自身が乗っている氷の板を操ることにより、雪の斜面を滑り降りているポラリス。そんなポラリスの様子はただ単に勇猛なばかりではなく、どこか人の視線を釘付けにさせるものがあった。

 戦士達が雪の斜面を滑り降りるポラリスの姿に見惚れている中、当のポラリス本人は逃走している大猿の怪物に接近することに成功する。

「これで貴方に追いつきました」

 すぐ目の前まで追いついた大猿の怪物にそう言い放って見せるポラリス。さらにポラリスは転がり降りている大猿の怪物を追い抜いてみせる。

 すると、足元の氷の板を巧みに操ることで制動をかけ、その場で動きを止めることに成功するポラリス。そんなポラリスの視界の中には、斜面を転がり下りている大猿の怪物の姿が入ってくる。ポラリスは手に持っている氷の槍を静かに構える。

 このままでは危険だと判断したのか、丸まっている状態から普段の状態に戻る大猿の怪物。だが、この時、大猿の怪物に一瞬の隙が生じる。そして、ポラリスはその隙を見逃さなかった。

「この隙、逃しません!」

 隙が生じた大猿の怪物に向かって、勢いよく氷の槍を投擲するポラリス。次の瞬間、ポラリスの投擲した氷の槍は大猿の怪物の胸板を容易に貫通する。

 矢の先端に装着された鉄の鏃さえも通さなかった大猿の怪物。だが、ポラリスの槍の氷の穂先はいとも簡単に大猿の怪物の身体を貫通したのであった。

ポラリスの攻撃でその身体を貫かれた瞬間、その場で倒れ込んでしまう大猿の怪物。同時に氷の槍の効力により、その大きな身体は氷結を徐々に始めていく。

 その後、氷の槍の効力で氷結した大猿の怪物が立ち上がることは二度となかった。そう、ポラリス率いる討伐隊は大猿の怪物を倒すことに成功したのだ。

 このようにして、森に潜む大猿の怪物を討伐することに成功した。だが、ポラリスを始めとして、討伐隊は勝利の喜びに浸っている暇はなかった。

まだ北西部にはもう1体の怪物が潜んでいる。この怪物を倒さなければ、今回の戦いは本当の意味で勝利したとは言えなかった。

「皆さん、これから、もう1体の怪物が潜んでいる場所に向かいます。早く降りてきてください」

 上方で待機している討伐隊の戦士達に対して、雪の斜面を下りるように指示を出すポラリス。討伐隊の司令官であるポラリスが指示するとおり、戦士達は雪の斜面を降り始める。

 やがて、討伐隊の戦士達は全員、雪の斜面の降りることに成功する。そして、ポラリス率いる討伐隊はもう1体の怪物が出現したと言われる場所へと歩みを始めるのであった。


 森に出現した大猿の怪物を倒した後、討伐隊はもう1体の怪物が出現したと言われている湖に到着していた。この湖はフロスト王国内でも広大な面積を誇り、季節を問わずに釣りが行われている。なお、フロスト王国における湖での釣りは単なる娯楽ではなく、漁獲資源確保のための重要な活動であった。

 湖に到着した後、周辺の状況を調査している討伐隊。この時、討伐隊は湖で異変が既に起こっていることに気がついていた。

 フロスト王国内でも広大な面積を誇る湖が氷結することは極めて稀なことであり、仮に湖の表面が氷結したとしても、せいぜい薄い氷が部分的に張る程度である。

だが、今の湖はどうだろうか。広大な湖一面に分厚い氷が張られているのである。このことからも、何者かが意図的に湖を氷結させたことは明らかであった。

氷結されている広大な湖、これは怪物の仕業によるものに違いない。そのように判断した後、ポラリス率いる討伐隊は異変の原因である怪物を捜そうとする。そのような時であった。

「あっ!あれはっ!?」

 すると、怪物を捜索している1人の戦士が叫び声と共にある場所を指し示す。その瞬間、最高指揮者であるポラリスは勿論のこと、討伐隊の全員が一斉に指し示された方向に視線を向ける。

 ポラリスが率いる討伐隊の視線の先にいるもの、それは湖の中心部に浮遊している海月のような姿をした怪物であった。どうやら、この海月のような怪物がもう1体の怪物であり、同時にこの湖で異変を起こしている原因のようだ。

「あれがフロスト王国北西部に潜んでいるもう1体の怪物……」

「どうやら、そのようです」

 ポラリスが漏らした言葉に同調してみせる補佐役。どうやら、目の前に浮遊している海月のような怪物の影響により、広大な湖が完全に氷結をしている状態にあるようだ。

「あれが今回の目標か」

 そう言うが早いか、最前列にいる戦士の一人が鞘から剣を抜き、目の前の海月の怪物を討伐しようと湖の中に足を踏み入れる。そして、血気逸る若い戦士が湖の中に足を踏み入れた瞬間、その者の身に異変が襲い掛かる。

「寒いっ!!」

 そう叫んだ後、湖の中に足を踏み入れた若い戦士が隊列の中に戻ってくる。そんな戦士の表情はこれまでとは打って変わり、非常に強張ったものとなっている。

「おい!どうしたんだ!」

 討伐隊の戦士の1人が湖から舞い戻ってきた若い戦士に質問する。この血気盛んな戦士の身に一体何が起こったのだろうか。

「実は……」

 そう言った後、年若い戦士は討伐隊の面々に自身の身に起こった出来事を話し始める。若い戦士の説明によれば、湖の中に足を踏み入れた途端、冷気が身体に襲い掛かってきたのだと言う。

このままでは間違いなく凍死してしまう。生命の危険を感じた戦士はすぐに自分がいた場所に戻ってきたのだ。

「あの海月のような怪物には私の白銀の甲冑と同じように冷気を操る力があるようですね」

 湖の中に入った戦士からの話を聞き取った後、そのように推察しているポラリス。あの海月の怪物には冷気を発生させる力があり、その影響で湖に分厚い氷が張られているのだとポラリスは考えていた。

「しかし、どうやって冷気に覆われた湖の中に?もし、湖に入り込めたとしても、こんな大勢で踏み込めば、湖に張っている氷が割れてしまう危険性も……」

 目の前の状況を見据えているポラリスに対して、苦言を呈するように問題点を提示する補佐役。現在、海月の怪物が発生させている冷気の影響により、迂闊に湖へと入ることのできない状態にある。

 もし、仮に湖の中に足を踏み入れたとしても、武装した戦士達が一気に押し寄せれば、その重みで砕けてしまう可能性がある。そうなれば、討伐隊の者達は皆、湖の中に溺れてしまうだろう。

 ましてや、現在は気温が非常に低い環境である。降雪するまでに気温が低い上、武装をした格好で湖の中に溺れたりでもすれば、生命を落としてしまう危険性が極めて高かった。

「……私がやります」

 そう言った後、海月の怪物が支配している湖の前まで出ると、予想もしない行動を起こすポラリス。

 防御の要の役割を果たしている白銀の甲冑を外したか思うと、そのまま自身の足元に置き始めるポラリス。簡潔に言ってしまえば、防御を捨てることで機動力を重視した軽装となろうとしているのだ。これはポラリス自身が軽装になることにより、湖の上に張られている氷が割れることを防ぐための措置であった。

 結局、白銀の甲冑の主要な部分を地面に置いたポラリス。残っている部分と言えば、両腕を覆っている手甲と両脚を覆っているブーツのみであった。

現在のポラリスの状態では、防御力が大幅に低下する一方、機動力は飛躍的に増加する。だが、たった一撃の攻撃が致命傷になる危険性があった。まさに諸刃の剣の状態と言っても過言ではなかった。

「……」

 すると、大猿の怪物での戦闘時と同様、瞳を閉じて意識を集中させるポラリス。それと同時に両腕の手甲と両脚のブーツから冷気が発せられる。

 白銀の甲冑の全てを装備している状態と比較した場合、甲冑から発生する冷気の絶対量は少なくなってしまっている。それでも発生している冷気量は何かを氷結させるには十分であった。

手甲とブーツのみとなったポラリスの白銀の甲冑から発生した冷気。発生した冷気は次第にポラリスの脚部を保護しているブーツの裏側に凝縮される。

 そして、冷気が凝縮することでブーツの裏に生成されたもの、それは動物の蹄にも似た氷の刃であった。

「これは一体……」

 ポラリスが冷気で作り出した氷の刃を見て、そのような言葉を漏らしている戦士。確かに積もった雪の上を移動するため、木材や大型動物の骨を加工した板を足に装着するという方法が存在する。

 だが、ポラリスが冷気を利用して生成した氷の刃は雪の上を移動するための板とは形状が異なっており、フロスト王国内で普及している板とは明らかに異質なものである。

「行きます」

 そのように言った後、分厚い氷が張られている湖の中に足を踏み入れるポラリス。両腕と両脚に装備している白銀の甲冑の加護のためか、ポラリスが怪物の発生させている冷気で寒さを感じることはなかった。

 すると、分厚い氷の上を滑り始めるポラリス。ブーツの裏から伸びた氷の刃が湖の上に張ってある氷よりも鋭利であるため、氷の上を滑走することができるのだ。

そして、ポラリスは氷の上を滑走することにより、凄まじい速度で海月の怪物のいる方に迫っていく。

「何て速さだ……」

「しかも、何て美しい……」

 ポラリスの姿を目の当たりにして、戦士達はこれ以上の言葉が出ない。ブーツの裏に装着された氷の刃を利用して湖を滑走しているポラリス、その姿は見る者を酔わせるような美しさがあった。

 優雅な動きで氷の上を滑走しているポラリス。このことからも、ポラリスの単純な運動能力は勿論のこと、動体視力・反射神経・平衡感覚もまた他の追随を許さなかった。

「……!!」

急速にポラリスが自分の方に迫ってくることを知って、何とか迎撃をしようとする海月の怪物。

 本物の海月と同様に身体の中心部から無数に伸びている触手、その先端からポラリスを狙って何かを射出する海月の怪物。

一方、海月の怪物による攻撃をいち早く察知、滑走している軌道を変えることで対処しようとするポラリス。

単純な回避行動をしているように見えるが、現在のポラリスは滑りやすい氷上を滑走しているため、実際には冷静な判断能力と優れた運動能力、さらには高度な技術が要求された。

 鮮やかな動作で海月の怪物の攻撃を回避してみせるポラリス。氷上を滑走するポラリスが避けた場所に残っていたもの、それは氷の鏃のような物であった。どうやら、海月の怪物は冷気を凝縮することにより、強固な氷の鏃を作り出し、ポラリスに狙って攻撃をしたらしい。

 そして、海月の怪物の目の前まで接近することに成功したポラリス。だが、海月の怪物は空中に浮かんでおり、長い尺を持っている氷の槍であっても攻撃が届くことはないだろう。

 すると次の瞬間、大きくその場から跳び上がるポラリス。それと同時にポラリスは氷の槍を構えている状態で自身の身体を回転させる。

 回転運動が加わったポラリスの氷の槍による攻撃。1回目の回転運動によるポラリスの攻撃は海月の怪物の身体を引き裂き、さらには氷の槍の効力で氷結させる。

 続く2回目の回転運動によるポラリスの攻撃。2度目のポラリスの攻撃は氷結している海月の怪物の身体を粉々に打ち砕くことに成功する。

 海月の怪物を粉々に砕いた後、優雅な姿勢で氷上に着地してみせるポラリス。湖の戦闘におけるポラリスの一連の行為はまるで演舞を披露しているかのようであり、まさに華麗と言うより他がなかった。

 これまで黙ってポラリスの戦いを見守っていた討伐隊の戦士達。すると、そのうちの1人の戦士がポラリスに拍手を送る。他の戦士達も続くようにしてポラリスに拍手を送る。そして、いつの間にか、ポラリスが立っている湖は討伐隊の戦士達による拍手喝采で包まれる。

 戦いが終わった後、戦士達のいる方に向き直るポラリス。そして、ポラリスは拍手喝采を送ってくれる戦士達に一礼をしてみせる。

湖を舞台とした海月の怪物との戦い。この戦いは華麗なるポラリスの活躍によって幕を閉じる。それと同時にポラリス率いる討伐隊はフロスト王国の北西部に出現した怪物達を倒すに成功したのであった。


 フロスト王国の北西部における怪物の討伐戦が終結した翌日のホワイトキャッスル。ホワイトキャッスルに帰還したポラリスはいつものように政務を執り行っていた。

今日の政務の主要な部分を占めている内容、それは昨日のフロスト王国北西部における怪物討伐の事後処理であった。

 国民の安全と国土保全の観点に立てば、フロスト王国内に出現した怪物を討伐することは必要不可欠である。だが、実際には多くの人員・物資・金銭を消費することになるため、フロスト王国の財政に負担を強いる結果となってしまうのである。

特に周囲に対する怪物の被害が大きければ大きいほど、フロスト王国の経済にも打撃を与えることになるため、損失は大きいことは言うまでもない。そう、戦闘行為そのものは得られるよりも失う方が大きいのだ。

 そのためか、フロスト王国は他国に対して戦争を仕掛ける財政的な余裕はなく、自力で国力を増強させる方策を必死に模索していた。いかに自らの創意工夫でフロスト王国を豊かにするか、これはフロスト王国の歴代の王に課せられた命題でもあった。

 聡明な頭脳と優れた政務能力を惜しみなく発揮することにより、積み重なっている課題を次々と処理していくポラリス。そんなポラリスのことを的確にサポートする宰相。

そして、日が西の彼方に沈む頃になれば、昨日のフロスト王国の北西部における怪物討伐に関する案件の殆どが片付いていた。

「ポラリス様、以上で今日の政務は終了です」

 今日の政務が終了したことを告げる宰相。この時、ポラリスは言葉で表現し難い解放感を覚える。

「それから、ポラリス様……」

「何でしょうか?」

 すると突然、宰相がポラリスに話しかけてくる。一方、ポラリスは宰相の振る舞いを不思議に思う。やがて、宰相は話を始める。

「戦士達から話を聞きました。雪の斜面を滑ったり、さらには凍った湖の上を滑ったりと相当な無茶をされたそうですが……?」

 半ば呆れた口調でポラリスに言う宰相。フロスト王国の北西部とした怪物達との戦闘において、ポラリスの活躍はあまりにも有名であり、既にホワイトキャッスルではその活躍を知らない者はいなかった。

「確かに姫様は聡明になられた。しかし、お転婆なところは幼い頃と変わっておりませんな」

 昔のことを思い出すように語る宰相。そんな宰相の姿はまるでポラリスのことをからかっているようであった。

 幼い頃から教育係としてポラリスに仕えてきた宰相。お転婆娘そのものであったポラリスであるが、時間と経験を重ねることによって聡明で麗しい女性へと成長した。

だが、そんなポラリスでも幼い頃と変わらない面が残っている。宰相は仕えるべき主であり、同時に娘のような存在でもあるポラリスに愛おしさを感じていた。

「……」

 宰相の言葉を前にして何も言えなくなってしまうポラリス。羞恥心を煽られてしまったためか、ポラリスの淡雪のような頬はほんのりと赤くなっていた。


 王の間において政務が終わった後、ポラリスはホワイトキャッスル内の私室で休んでいた。私室に置かれている椅子にゆっくりと腰を掛けるポラリス。

「お疲れ様でした」

 そう言った後、ポラリスに何かを差し出す世話役の女性。世話役の女性がポラリスに差し出した物、それは温かい飲み物であった。

 温かい飲み物を口にするポラリス。飲み物の熱がポラリスの身体を温め、政務によって生じした疲労感を和らげていく。そうした中、世話役の女性がポラリスに話を切り出す。

「姫様……他の者から聞きました。氷の板で雪の斜面を滑ったり、湖に張られた氷の上を滑ったりされたそうですね」

「……」

 世話役の女性の話を黙って聞いているポラリス。ポラリスの活躍は既に世話役の女性の耳にも入っていた。すると、世話役の女性は思わぬことを口にする。

「ポラリス様が怪物討伐の際になされたこと、何かに利用できないでしょうか?」

「何かに利用?」

 世話役の女性の提案に関心を抱くポラリス。一体、世話役の女性は何を思って、このようなことを言っているのだろうか。

「はい。雪の斜面を滑ったり、氷の上を滑ったり……姫様がなされたことを上手く利用すれば、何かの運動競技になるかと思いまして」

 自分の考えをポラリスに打ち明ける世話役の女性。フロスト王国は国土が氷と雪で覆われているため、他国と比べると娯楽や運動競技といったものが少なかった。

 しかし、ポラリスはフロスト王国の環境を利用して、2体の怪物を打ち倒すことに成功した。そして、氷と雪に覆われたフロスト王国だからこそ、生み出せる娯楽や運動競技があると世話役の女性は考えたのだ。

「……なかなか面白い考えね。運動競技にできないか検討してみるわ」

 しばしの沈黙の後、世話役の女性の提案を肯定的に受け止めるポラリス。その後、ポラリスはフロスト王国北西部で怪物を討伐した際、自分が行った行為を運動競技として利用できないかの検討を開始するのであった。

 雪で覆われた斜面を舞台にした大猿の怪物との戦闘におけるポラリスの一連の行為。特に際立っていた点として、ポラリスが氷の板を使用して雪の斜面を滑り降りて、逃げる大猿の怪物を追跡することに成功したことが挙げられる。

この時、ポラリスが冷気で生み出した氷の板を参考にして、個人用の雪を滑る板が発明されることになった。さらにその板は長い時間の経過を経て改良が加えられていき、後の時代にはスノーボードと呼ばれる雪上の運動競技として発展することになる。

広大な湖上を舞台にした海月の怪物との戦闘における一連の行為。特に際立った点として、遠く離れた場所にいる海月の怪物に接近するため、ポラリスはブーツの裏に氷の刃を作り出した上、さらには氷結した湖の上を華麗な動きで滑走したことが挙げられる。

この時、ポラリスが冷気で生み出した氷の刃を模倣し、金属製の刃に置き換えることにより、氷の上を滑ることのできる履物が発明されることになった。

さらに金属製の刃が装着された履物は長い時間の経過を経て様々な改良が加えられていき、後の時代にはアイススケートと呼ばれる氷上の運動競技として発展することになる。

 奇しくもフロスト王国の北西部に出現した怪物達との戦闘の中において、スノーボードとアイススケートと呼ばれる2種類の運動競技が誕生した。

やがて、時代の経過と共にスノーボードあるいはアイススケートを嗜む者は増えていき、後の時代にはフロスト王国における代名詞と運動競技と呼べるまでに至っていた。

また、スノーボードやアイススケートに触れるため、他国からフロスト王国を訪れる者も現れるようになったと伝えられている。そして、このような国外からの流入者がフロスト王国の発展を促進する役目を担っていた。

 だが、フロスト王国の国民は決して忘れることはなかった。スノーボードとアイススケートの起源となったポラリスの武勇。華麗なるポラリスの武勇伝は王国の国民達の子々孫々までに語り継がれることになったのである。


皆さん、こんにちは。疾風のナイトです。

この小説は過去に創作した短編小説になります。

当時、かなり気合を入れて創作したので読んでいただければ幸いです。

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