可愛げがないな
手をかざして、自分の指で輝くエメラルドの指輪を見る。
初デートのあの日、レスター様にいただいたものだ。お揃いのデザインで、私はエメラルド、レスター様のは深みのあるブルーサファイアがあしらわれている。
普段から身につけられるようにと小ぶりな宝石ではあるが、値打ちのあるものだけあって、輝きはとても美しい。
レスター様はサイズ直しが必要だったが、私はぴったりだったので、そのまま身につけて帰宅してきたのだ。
「婚約のドレスも、指輪も。お互いの色を身に纏うのがお好きなのね、きっと」
宝石店も予約をしていたようで、通された個室に並んでいたのは緑と青の宝石の数々だった。
そういえば、デートの時にレスター様が身につけていたコートも私の目の色と同じ紺色だったし、婚約して最初に送られてきたのもレスター様の目の色と同じエメラルドだった。
もしかしてこれが、恋人ができたらしてみたかったこと、なのだろうか。
それに気がつくと、こちらもそれに合わせたくなってくる。
「明るいグリーン系統のドレスなんて持ってたかしら」
普段はブルー系のドレスが多いし、グリーンは持っていても黒に近いディープグリーンのものだけだった気がする。
来週、2人で初めて出る舞踏会のドレスはレスター様が贈ってくれるらしいが、次のデートで着るドレスは自分で選んでおきたい。
よし、思い立ったが吉日。午後からドレスを見に行ってみよう。
そう決めると、早速メイドを呼んで、外出の準備に取りかかった。
「こんなものかな」
店を何軒か周り、ようやく気に入ったデザインのドレスを数着購入できた。
これが領地だったらそうはいかないが、さすがシーズン中の首都だけあって、店の数も品揃えも申し分ない。
本当はドレスなどのお礼にレスター様に何か贈り物も選べればと思っていたが、残念ながらもう少しすると暗くなり始める時間になってしまったので、後日にして帰宅する事にしよう。
「ソフィア!」
そう思って馬車へ乗り込もうとした時、聞き覚えのある声に強く呼び止められた。
「…ルセウス卿、ご無沙汰しております」
内心げんなりしながら、礼をとる。
会いたくない相手に会ってしまうなんて、本当についていない。
ずんずん大股で近づいてくる彼は、エルダン領の隣の領地を治めるルセウス伯爵家の長男で、年が近く幼い頃からの知り合いだ。
だが幼い頃も成長してからも、とにかく気が合わず、私としてはなるべく避けて通りたい相手だ。爵位も領地も近く、幼い頃には婚約話が持ち上がったこともあったらしいが、その相性の悪さゆえ前に進むことはなかった。
「オルフィルド家から求婚されたと聞いたが、何があった?お前みたいな男勝りな女が、よりによってあの侯爵家に嫁ぐなんてあり得ないだろう」
「オルフィルド家とはすでに婚約を結んでおります。色々と事情はございますが、お知りになりたいのならオルフィルド家へお問合せをお願いします」
「は?聞いていないぞ。すでに婚約を結んだ?どうせお前のでしゃばりな性格がバレたら捨てられるだろ。無様に婚約破棄される前に、辞退した方がいいんじゃないのか?」
ああ、もう。こういうところだ。女だからと見下して、自分の思い通りにしようとするところが、昔から変わっていない。
北部の人間は男尊女卑が他の地域に比べて強いと言われるが、その中でも目の前のこの人は一際それが強く、よくもっと淑やかにしろとか、男より知恵をつけるなとか、領地の事に口を出すなだとか、事あるごとにくどくど嫌味を言われていた。
「これは当家とオルフィルド家のお話です。ご心配はありがたいですが、ルセウス卿にご迷惑をおかけする事態にはなりませんのでご安心ください」
関係ないから放っておいて、と言いたいのを、オブラートに包んで口にする。一応、領地が近い同士無用な諍いは生まないように心がけているのだが、相手がこの調子なので、とてもストレスが溜まる。
「はっ。心配してやってるのに本当に可愛げがないな。嫁の貰い手なんか一生見つからないぞ」
「ですから、もう婚約して結婚の日取りも大まかに決まっておりますので、ご心配なさらず」
「っ!ほんっとお前は!」
「きゃっ」
常套句の嫁の貰い手なしに冷静に返しただけなのに、急に掴み掛かられて驚く。
だが、腕を掴まれる前に、ルセウス卿の後ろから彼の手ががっしり抑えられた。
「なっ⁉︎」
「えっ?」
一瞬連れてきた使用人が彼を止めてくれたかと思ったが、ルセウス卿の後ろにいたのは見知らぬ男性だった。
彼はルセウス卿の手を私から遠ざけると、その眼前に紋様の入った腕輪を突きつけた。
「オルフィルド侯爵家の護衛隊員です。これ以上の狼藉を働くのであれば、首都の治安部隊に貴方を引き渡す事になります。お引き取りを」
冷たく言い放たれた言葉に、心底驚いた。何故こんなところにオルフィルド家の護衛隊員がいるのだ。もしかしなくても、私の護衛のためにオルフィルド家は人員を割いていたのだろうか。
「な、何を。お前には関係ないだろ!」
「エルダン伯爵令嬢は近くオルフィルド侯爵家に嫁がれるお方です。私は護衛の命を受けております。
また、その事を抜きにしても、女性に乱暴を働こうとする人間を止めるのは当然では?」
「なっ、乱暴など働いていない!言いがかりをつけるな!」
「その大声が周りの注目を集めないとでも?貴殿のエルダン伯爵令嬢に対する無礼な言動を目撃している者もいるでしょう。こちらは証人に困ることはありませんよ」
「っ……、ちっ」
淡々と追い詰める護衛に返す言葉がなくなったのか、ルセウス卿はしばらく彼を睨んだあと、こちらもひと睨みして去っていった。
「お怪我はありませんか」
「は、はい。助けていただきましたので、何ともありません。本当にありがとうございました」
「当方は職務を全うしたまでです。礼はレスター様にお願いいたします。喜びますので」
先程まで凍えるほど冷たい対応だった護衛隊員が、微かに笑みを浮かべながらそう言ってくれて、やっと緊張が解けた。
「ええ、帰ったら手紙を書きます」
「ではもう日も傾いてきますし、早くお帰りになった方が良いでしょう。お付きの方もお待ちですよ」
そう言われて振り返ると、使用人たちがすぐそばで気を揉んでいた。きっと助けが入らなければ、彼らが頑張ってくれていたのだろう。
「ええ、そう致します。貴方は?」
そう尋ねると、彼は少し困ったように眉を下げた。
「お屋敷まで離れて護衛いたします。オルフィルド侯爵家と縁付いたことで、トラブルに巻き込まれる事を侯爵家の方々は心配しております。今後も身辺の警護に人員を配しますが、そうと感づいても知らぬふりをお願いできると助かります」
なるほど。隠れて護衛するのに、護衛対象が挨拶に行ったりするとよろしくない、ということだろう。
そういえば、彼も一見護衛とはわからない服装である。
「わかりました。今後とも宜しくお願いします。今日はありがとうございました」
「それでは、当方はこれで」
護衛隊員と別れて、馬車に乗りこむ。
一人になると、急激に疲れを感じて、ひとつ大きく息を吐いた。
「でしゃばりな性格がバレたら捨てられる、か…」
世間から見た私がどうか、最近はあまり考えなかった。
女のくせに、無駄なことを。出しゃばるな、大人しくしていろ。可愛げがない、愛想の一つも振りまいてみろ。エルダン伯は変わり者だ、あんな娘を容認するなど。
過去、たくさん言われてきた言葉だ。今日会った男にだけではない。同性にも変わり者だと謗られたことはある。
でも、レスター様は言ってくれたのだ。貴女のような人を望んでいる、と。
不意に涙が滲んだ。
「会いたい、な」
何故か無性に、レスター様に会いたくなった。つい先日会ったばかりなのに。
手紙ではなく、顔を見てお礼を伝えたくなった。
「流石に、迷惑か」
現在魔の侵入発生の情報はなく、それなりに時間はあるとのことだったが、エルダン家とのあれこれで結構時間を使っているはずだ。
きっと会えない日は忙しくしているのだろう。無理をしなくても、数日後の舞踏会で会えるはずだ。
そう自分に言い聞かせながら、屋敷にたどり着いた。
だがその日の日暮れごろ、急な来訪者があった。
「レスター様」
「ソフィア、護衛から話は聞いた。怖い思いをしただろう、大事ないか?」
心配して駆けつけてくれた彼は、対魔部隊の仕事帰りなのか、見慣れない軍服姿だった。男らしさが増して、とてもよく似合っている。
「助けていただきましたので、なんともございません。これもレスター様のお陰です。ありがとうございました」
「無事なら、よかった」
ほっとしたように微笑むレスター様を見ると、じんわり胸が温かくなる。
「護衛を、つけて下さっていたのですね」
「ああ、何事もなくこちらの杞憂に終わればよかったのだが。すまない、不快にさせたか?」
「まさか。とても心強かったです。今回はエルダン家に関わりがある方でしたし、むしろお手を煩わせてしまって申し訳なく思います」
「貴女の安全の為につけているんだ。出番がないことが一番だが、原因がなんであれ、貴女を守れたならそれでいい」
近づいてそっと頭を撫でてくれるレスター様の手は、優しくてとても心地よい。と、思っていたのに、レスター様はすぐにパッと離れてしまった。
「すまない、帰りに直接寄ったから汗臭いな」
「全く気になりません。それに、今日お会いできると思っていなかったので、お顔が見られて嬉しかったです。直接お礼を申し上げたいと思っていましたし」
「そ、そうか」
こちらの言葉にうっすら頬を染めたレスター様は、照れを誤魔化すようにこほんと咳払いをした。
「報告を聞いて思わず押しかけてしまったが、そう言ってくれると嬉しく思う。また時間のある時にゆっくり話そう。もう遅い。今日はこれで失礼する」
「はい。本当にありがとうございました」
「ああ、ではまた」
優しい微笑みを残して去っていくレスター様を見送って、そっと胸に手を当てる。昼間の出来事で隙間風が吹いていた心が、あたたかく満たされた気がした。
始まりこそおかしかったが、今の私は間違いなく、幸せな婚約者だろう。むしろあの日、レスター様に捕まってよかったとさえ思っている。
自然に浮かんでくる笑みに、自分の中でレスター様の存在が少しずつ大きくなっていくのを感じて、それを誤魔化すようにそっと息を吐いたのだった。