愛されておいでですね
翌日のオルフィルド家との話し合いで、シーズン終わりにこのまま首都で婚約式を行い、翌年結婚するということに決まった。
通常、婚約期間中に婚約者と同居することは稀だが、私はオルフィルド家に請われて、婚姻の半年前からお世話になる予定だ。
移動などを除くと、エルダン領で過ごせるのはもう4ヶ月ほどしかないと思うと、途端に寂しい気持ちになった。
「ソフィア嬢、この後少し時間をもらえないだろうか」
一人しんみりしている間に話は終わり、そろそろお暇をとなった時に、レスター様に呼び止められた。
後ほどきちんと送り届けるので、と言われた両親があっさり私を置いて行ってしまったので、大人しく話を聞くことにする。
「見せたいものがあるんだ。こちらへ」
にこにこ満足そうな侯爵夫人に見送られ、レスター様に連れて行かれたのは、応接間の近くの部屋だった。
一体何が、と疑問に思いながらドアが開かれるのを見守っていたが、その先に見えたものに、はっと息を呑んだ。
「きれい…」
そこにあったのは、やわらかな白を基調とした美しいドレスだった。
金糸に縁取られたオフショルダーのドレスは、ウエストに華奢なゴールドのベルトをあしらい、広がりを抑えたシンプルなシルエットのスカートは、裾に向かって淡く金色のグラデーションがつけられていた。
近づくと、スカート部分は繊細なカットワークレース刺繍が施され、所々に散りばめられたダイヤモンドが光を反射してキラキラと繊細に輝く様は、息を呑むほどに美しかった。
「貴女のために作らせたんだ」
「そんな…」
驚きで言葉が出なくなる。間違いなく、今まで見たドレスの中で、一番素敵なドレスだった。
予想もしなかった展開に、頭が真っ白になる。
「気に、いらなかっただろうか」
あまりにこちらが黙ったままでいるので、レスター様がおずおずと不安そうに問いかけてきた。
「ま、まさか。あまりに素晴らしいドレスだったので、驚いてしまって」
「それなら、よかった。貴女さえよければ、これを婚約式に着てもらえないだろうか。先日送ったエメラルドを、一緒に身につけて欲しい」
そう照れたようにいわれて気づく。
ドレスはレスター様の髪の、宝石類は目の色を入れているのだ。そう思うと、なんだかこちらも顔が熱ってくる。
「ありがとうございます。こんなに素敵なドレスで婚約式に臨めるなんて、思ってもいませんでした」
「そう言ってもらえると用意した甲斐がある。針子を呼んでいるので、試着してみて、気になるところがあれば指示してくれ。直した後に届けさせる」
そう言ってレスター様が視線を向けた先には、数人の女性たちが控えていた。ドレスに見惚れて全く気が付かなかったが、初めからこの部屋にいたらしい。
「私は応接間で待っている。早く貴女がドレスを身に纏ったところをみたい気もするが、楽しみは婚約式の日まで取っておくことにする」
「っ、畏まりました」
「メイドも残しておくので、何かあれば言ってくれ」
そう言って、私の頬をそっと指の背で撫でると、レスター様は部屋を出て行った。
「まぁ、愛されておいでですね」
またしても不意打ちのスキンシップに居た堪れない思いで震えていると、その様子を見ていた針子達は微笑ましそうに声をかけてくる。
「いえ、そんな…」
そもそも能力を買われての婚約なので、恋愛感情抜きの政略結婚のようなものだが、わざわざ強く否定するのもおかしい気がして口籠る。
そんな私の様子を照れていると思われてか、余計針子達の笑みが深くなった。
「さぁ、こちらへ。きっと、このドレスはとてもお似合いになりますわ」
「え、ええ」
とにかく、レスター様を待たせているのだから、早く試着を終わらせてしまおう。
そう思い、いわれるがままドレスを着てみたが、ほとんど直すところがないほどにピッタリだったことに驚く。
そして、ふと思った。
一体、いつからこのドレスを作らせていたのだろうか?
オーダーメイドであろうこのドレスは、結婚宣言事件があった後から無理矢理急いで作らせたとしても、とても完成するような代物ではない。
元々誰かと婚約をした際にと、予め作っておいて、事件後に私に合わせて調整していたのだろうか。
そう考えた時、弟が以前に言った言葉が頭をよぎった。
私を初めから狙ってて、結婚宣言で逃げ場を無くした?
いやいやまさか、と否定するも、聞いて確めるのもなんだか怖い気がする。
とりあえず、結婚にもドレスにも不満がない以上、疑問はこのまま忘れてしまおう。
そう結論付けて、ドレスの試着を終えたのだった。
〜*〜*〜*〜*
「ようやく少し落ち着けるわね」
婚約も正式に決まり、婚約式の準備はほぼオルフィルド家任せとなった。
招待客の選別やこまかな部分の打ち合わせは両親主体で行われるし、やることは個人的に付き合いのある友人への招待状作りくらいか。
オルフィルド家側の招待客についての知識を学び直す必要もあるけれど、記憶力はいい方なのでそこまで負担でもない。
「落ち着けるの?お茶会の招待状が山ほど来てるけど?」
「私は婚約式の準備で忙しいから参加はできないの」
「全く、都合がいいんだから」
呆れたようにいう弟の言葉を無視して、ゆっくり紅茶を楽しむ。
ここ1週間ほどオルフィルド家との騒動で目まぐるしい時間を過ごしたが、やっと昨日一段落ついたのだ。よく顔を合わせたレスター様も、しばらく私に用事はないだろうし、のんびりしよう。
そう思っていたのに、急に目の前にぐっと一通の封筒を突きつけられた。
「…これは何かしら」
「婚約者様からのお手紙ですよ、お姉様?」
「えぇ?」
無視するわけにもいかないので開封すると、明日は昼前に迎えに行くので外に出かけよう、昼食もその時是非一緒に、という内容の手紙だった。
「えっ、明日?」
「出かける前に父上から伝言預かってるんだけど、ソフィーのスケジュールを侯爵夫人に聞かれたから教えちゃったって。それで、明日は息子も時間があるから迎えに行かせるわって言われたらしいよ」
「もう、お父様ったら。それなら昨日教えてくれたらよかったのに」
「侯爵夫人のお節介かな?」
「そうかもしれないわね。馬車でお送りいただくときには、そんな話は出なかったから」
好きなもの嫌いなものをレスター様に根掘り葉掘り聞かれた帰りの馬車のことを思い出しながら言葉を返すと、弟はまぁいいじゃん、と笑った。
「婚約者との初デートなんだから楽しんできなよ。ソフィーも割と相手のこと好きでしょ?」
「う、まぁ今のところ、あの事件当日以外でマイナス要素はないわね」
ソフィアと呼んでもいいだろうか、と馬車の中で恥じらうように問われた事も脳裏に蘇ってきて、少し鼓動が早くなる。なんというか、美形は心臓によろしくない生き物だ。
「それはそれは、うらやましい事で。あーあ、俺も早く相手見つけないとなー」
ぼやく弟に笑いながら、こんな風に言い合うのもあと半年ほどかと思うと、無性に寂しい思いがしてきた。
「私がオルフィルド家に行ってしまう前に、マックも相手を見つけて紹介して頂戴」
「無茶言わないでよ」
この弟の隣に立つ人はどんな人なのだろうか。できればお互い、両親のように支え合えるあたたかな関係を築けたらと願いながら、残りの紅茶を飲み干した。