私は、頭が悪い
レスター オルフィルド24歳。
軍部の対魔部隊に所属し、いずれは代々のオルフィルド家当主同様、領主と軍幹部の二役を担うであろう将来有望な青年である。
家柄の良さもさることながら、美しい外見と真面目な人柄が多くの貴族令嬢のハートを射止め、ごく稀に参加する社交の場では常に美しい花々に囲まれている。
そんな彼が、急に今までなんの噂もない令嬢との結婚を宣言したとすると、どうなるか。
「まぁ、こうなるわよね」
「今日もたくさんきてるな」
はぁ、と父娘で手紙の山を見ながらため息をつく。
こうなる事は予想がついたので、侯爵家と相談して"問い合わせは侯爵家へどうぞ"と返答しているものの、なんにせよ数が多い。
侯爵家も恐らくのらりくらりと躱している状態のため、こちらに再度問い合わせてきたり、遠回しもしくは直球で辞退を求めてきたり、先を見据えて関係を作ろうとするものだったり、色々な手紙が届いている。
レスター様とわたくしは幼少のみぎりよりうんぬんから始まる、恋愛小説顔負けの超大作もあり、思わず感心しながら読み耽って時間を浪費したりもしながらも、忙しく過ごしていた。
「ソフィー、もう早めに婚約くらいした方が楽じゃないかい?」
「お父様、面倒だからという理由で婚約を進めようとしないでください」
対応疲れでぼやく父に言葉を返しながらも、実は私も思っていた。
もう婚約を決めて、大っぴらに侯爵家に守ってもらった方が楽じゃないか?と。
どうせ断ることなど難しい話だ。
私が心を整理する時間をもらっている状態だが、ほんの数日で"もう婚約してしまおうか"と思わせるとは、侯爵家がこれを狙っていたのならば流石としか言いようがない。
「今日は彼が来る日だろう?手紙は任せて準備をしてきなさい」
「…とりあえず、色々話し合ってみるわ」
そう、今日はあの日以来、初めて彼に会うことになっているのだ。
両家の両親は同席しないので、狭くはあるが今度はうちに来てもらうことになっている。
結婚前提にものを考えるのであれば、事前に把握しておくべき事柄が色々あるので、今日はできるだけそれを明らかにしておきたい。
「よし、頑張りますか」
なるべく良い未来を得られるよう、頭を働かさなければ。
「お会いしたかった。ソフィア嬢」
「お待ちしておりました、レスター様」
時間ぴったりに現れた侯爵子息は、今日もとても美しかった。
出迎えた両親に挨拶し、紹介された弟と挨拶を交わした後、微かな微笑みを浮かべながら言われた言葉に、彼に夢中になるご令嬢方の気持ちがわかる気がしてしまった。
前回お会いしたときに、レスターと呼んでほしい、と言われていたので恐れ多くも名前でお呼びしてみたが、嬉しそうにされるとなんだか気恥ずかしくなってしまう。
「これを。貴女と二人で話をした薔薇園から選んできたんだ」
そう言って美しいブーケをこちらに手渡す姿は、怖いほどに様になっていた。
「ありがとうございます。とても素敵ですね」
淡いピンクのバラを主体に、華美になりすぎない絶妙なバランスでまとめられた花束は、見ているだけで心が浮き立つ。
今まで男性に花束をプレゼントされることなんてなかったが、成程これはなかなか嬉しいものである。
部屋に飾ってくれるようメイドに預けて、彼を応接室に案内すると、滅多にない上客に緊張気味のメイドがお茶を持ってきてくれた。
「この焼き菓子は、エルダン領で栽培しているリツという果物を使っております。よろしければ召上がってみてください」
手早くセッティングを終え、退出したメイドが開いたドアの側に控えると、すかさずお茶とお菓子をすすめてみた。
リツの実は小さな赤い実で、酸味が強くあまり好んで食べられるものではないのだが、ハートの形をしていて見た目はとても可愛らしい。
その形を活かしたくて蜂蜜に漬けて販売したところ、庶民受けはとても良かったので、貴族向けにも販路を開けないか模索中なのである。
さすがに、男性にお出しするのにハートの形を活かしたものはよろしくないかと、今回はわざとリツの形は崩してある。
勧められるまま、素直に口に運んでくれたレスター様はゆっくり咀嚼して頷いた。
「リツの実は初めてだが、さっぱりしていて食べやすいんだな。赤色が鮮やかで少し驚くが、なかなか美味しいと思う」
「お口にあったようで安心しました。蜂蜜に漬けると強い酸味が緩和される上、色抜けもせずに利用できるので、蜂蜜漬けを基本に色々模索しているところなのです。
本来の実の形はハート型なので、女性には好まれそうだと思ってはいるのですが、男性のご意見も伺ってみたくて」
「そうだな…。程よい酸味で、甘いものが得意でない人でも食べやすいと思う。だが、見た目が鮮やかな分、若い女性へのプレゼント用に買うことはあっても、自分のものとしては手を出しづらい、かもしれない」
「なるほど。男性向けには、あえて色を抜いたものを製作するのも良さそうですね。ありがとうございます、とても参考になります」
微笑みながら礼を述べると、レスター様も優しく微笑み返してくれた。
こう言う会話を、女のくせに生意気な、と捉える頭の固い男性も少なくないが、彼からはそう言った負の感情は伺えない。
伯爵領のある北東部は特に保守的な考え方をする人が多いため、私や私の行動を許す父は変わり者呼ばわりされていた。だからこそ、こうして試すような真似をして申し訳ないが、私の言動を肯定的に捉えてくれるかどうかがとても気になってしまうのだ。
「領地のために、相変わらずいろいろ考えているんだな」
「レスター様には遠く及ばないと存じますが、少しでも領地のためになればと日々尽力しております」
「っ、い、いや…」
「?」
急にレスター様が口籠もってしまったので、不思議に思って見つめていると、戸惑うようにこちらを見ては、俯くを繰り返している。
「今日は」
やがて観念したかのようにこちらに視線を寄越した。
「お互い、腹を割って話せればと思ってきたんだ。貴女に私を選んで欲しいが、騙して結婚して、後悔させたくない。だからまずはひとつ訂正というか、誤解が有れば解いておきたい」
「は、はい」
改まって言われて、全身に緊張が走る。やはり何か、今回の騒動の裏にはこちらの想像のつかない事情があるのだろうか。
それが私や家族、エルダン領に暗い影を落とすものであったらと考えると、スッと背筋が冷えた。
「私は」
エメラルドの双眸が、真っ直ぐこちらを見た。
「私は、頭が悪い」
「…」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「え、と?」
「侯爵家、特に広大な土地と歴史を持つ家柄の嫡子ともなると、当然領地経営に必要なさまざまな知識を幼少より学び、身につけるべきだ。
だが、オルフィルド家の男子は、まるで精霊の加護の代償とでも言うように、それらが苦手だ。
私も、例外ではない。
魔の討伐に関わる資料は明確に理解できても、区担当から上がってくる各地区の会計報告書が理解できない。
長く机に向かおうとすると頭痛がするほどだ
つまり…」
感情を込めずに淡々と話していたレスター様は、そこで限界が来たかのように俯いて目頭を押さえた。
「つまり、侯爵家嫡子たる私が領地経営の知識を持ち、実務にも携わっていると、貴女は当然想像しているが、そうではない、ということだ」
「…」
「こんな不甲斐ない男に求婚されても困惑すると思う。
だがオルフィルドに求められる魔討伐に関しては、私は十分に研鑽を積んで来た。仮に領地を取り上げられたとしても、そちらの働きだけで貴女を養うくらいはできるほどの俸禄は得ている。
それに、領地経営に関しては将来貴女に頼るところが大きいが、代々オルフィルドに仕える優秀な執事もいるし、補佐役も確保している。不測の事態が起こった際の責任は当然私が取る。貴女に責任を押し付けたりはしない」
「…」
「すまない…、だが領地からの収入に加え、魔の森に接した地を維持することへの補助金や、対魔部隊の中心を担うことへの謝礼金が国から侯爵家へ支払われていて、金銭面で不自由することはない。
それに、たとえ同格以上の爵位であろうと、当家の者にただのご機嫌伺いのための茶会や舞踏会の参加を強いることはないので、社交も貴女の好きな範囲で構わない」
「…」
「や、やはり、受け入れ難いだろうか」
いろいろと想像を超えた事を告げられて、しばし呆然としてしまう。
この国では、伯爵以上の爵位持ちは代々治めている領地の運営が責務だ。土地持ち以外の下位貴族や次男以下はその補佐や、軍官や文官として国に仕えたり事業を起こしたりすることになるが、領地を相続するものは領地経営からは逃げられない。
そのため、土地持ちの嫡子ともなると必ず自身の領地の特性と、その治め方を幼少より学ぶ。万一その能力がないと見做されると、廃嫡され次男以下に相続権が移されることさえある。
ごくごく稀ではあるが、領地経営の能力が著しく低いものが家督を継ぎ、領地を荒れさせた場合、降爵の憂き目に合うことがあるからだ。
「え、と。以前おっしゃられた、当主のように領地を治める権利というのは…」
「比喩でもなんでもなく、言葉通りの意味だ」
なるほど、てっきりこちらの気を引くための誇張表現かと思っていたが、違ったらしい。
となると、以前言っていたこちらの領地を訪れて様子見していたというのも、本気の偵察だったのだろう。
貴族夫人は夫に従い、家政や慈善活動を行うものとされている中、私のように男の領分に首を突っ込む女は希少で、そしてそれこそを侯爵家は切望していたのだろうから。
侯爵家の方々が私を知っている様子だったのも、結婚に前のめりなのも、元々そういう事情で、私を嫁候補として調べていたとすれば、全て腑に落ちる。
「ご事情は、分かりました」
なんとか自分の中で情報を消化してそういうと、相手はまるで捨てられそうな子犬のように不安いっぱいの眼差しでこちらを見つめてきた。
普段は凛々しい美形のその表情は、正直ずるいと思う。
「いくつか、お伺いしておきたい事があるのですが」
「なんでも聞いてくれ」
「すでに把握されているかもしれませんが、私は領地経営を学んでいるとはいえ、あくまで田舎で小規模のエルダン領程度のお話です。
侯爵領を管理するために必要な知識には到底及びませんが、その点は問題ありませんか?」
「オルフィルド領は現在24区に分けて管理されていて、各区に置いている担当者も優秀だ。
彼らの監視や区を跨いでの全体的な施策などが領主家としての主業務となるが、優秀な補佐役もいるし、母もまだしばらくは現役だ。結婚した途端、貴女に全てを押し付けるような事態にはならないし、私もなるべく力になれるよう、努力する。
その…、努力が実る事は保証できず申し訳ないのだが」
「分かりました。ありがとうございます」
話を聞きながら、本当にこの人は自分で言うように頭が悪いのだろうか?と疑問に思う。
受け答えからも知性を感じるし、責任感もありそうなこの人が領地経営を妻に頼らざるを得ないというのは、比喩でなく本当に精霊がらみの何かがあるのかもしれない。
確認したい気もするが、まだ婚約も結んでいない段階で聞けるほど軽い話ではない気がして、これに関しては口を噤むことにした。
「次に、もし子ができなかった場合どうなるか、お伺いできますか。離縁なのか、愛人を迎えられるのか。もしくは初めから複数人を召し抱えられるご予定でしょうか」
「は⁉︎な、何を、言って…ッ、あ、愛人など、持つわけがない!」
思いっきり否定されて、少し驚く。オルフィルド家の血筋の重要性を鑑みると、断絶の危険性を減らすために複数の女性がいてもおかしくはないだろう。
むしろ、国としてはそれを望むのではないだろうか。
こちらの疑問が顔に出ていたのか、レスター様は少しむっとしたように言葉を続けた。
「詳しくはまだ話せないが、貴女のその心配は杞憂だ。精霊は愛を尊び、堕落や殺戮を嫌うのは知っているだろう?
だから、まぁ、そういうことだ」
「では、レスター様は現在男女の付き合いをされている方、もしくは心に思う方はいらっしゃらないのですか?当家にはレスター様のお相手を名乗られる方からの手紙が数通届いておりますが」
「事実無根だ。誤解を与えるような言動もした覚えがないし、私が結婚したいと望むのは貴女だけだ」
恨めしげな視線を向けられて、質問したこちらがなんだか後ろめたくなってしまう。
普通の貴族令嬢はこんなにズケズケ立ち入った質問なんてしないだろうから、驚かせてしまっただろう。
こちらとしては前向きに検討するために必要な質問だったが、それで愛想を尽かされては本末転倒だ。
「不躾な問いで申し訳ございません」
「かまわない。変な誤解をされるよりは、正面から聞いてくれて良かったように思う」
そう言いながらも、こちらを見つめる瞳には拗ねたような色が見える。
それに苦笑しながら、最後に、と質問を続ける。
「私はこのように、あまり殿方には好まれない気質の女です。それでもなお、妻にと望んでいただけますか」
そう問うと、エメラルドの双眸から拗ねたような色はパッと散り、見開いた目から期待がのぞいた。
「私は遠回しな駆け引きよりも、真正面から向き合ってくれる貴女のような人を望んでいる」
「そうおっしゃっていただいて嬉しく思います」
聞きたいことは聞けたし、短いやり取りの中でも、目の前の人のまっすぐな為人を感じることができた。
何より、今まで私が積み重ねてきた経験を、その努力を買われてこれだけ望んでもらえる事が嬉しい。
爵位の釣り合いや色恋がらみの理由だったならば、こんなに前向きになれなかった。
だからきっと、私にとってもこれ以上ない良縁で、迷う必要なんてないはずだ。
覚悟を決めて、期待を見せるエメラルドのひとみに、真っ直ぐ視線を合わせた。
「婚約のお話、レスター様がよろしければ進めてください」