レスター視点:最悪の出会いから9
「レスター様は私を、私の積み上げてきたものを認め、評価してくださいました。私はそれが、心底嬉しかったのです」
呆然と、ソフィアと殿下のやりとりを見つめる。
「始まりがどうあれ、今はレスター様の伴侶にと望んでいただけたことは、これ以上ない幸福だと思っております。そしてこれから先、レスター様をお支えするのは私でありたいと、そう願っております」
少し前まで殿下の威圧に萎縮していたソフィアが、今は強い眼差しで殿下を見返していた。揺るぎない意志を宿したサファイアの双眸は、本物の宝石以上に美しく、一瞬たりとも目が離せない。
「ですので、保護や援助は私には必要ありません」
キッパリとそう彼女が言い切った瞬間を、どう言葉に表せば良いのだろう。今このまま、時が止まってしまえばいいのに。
彼女を腕に抱き寄せそうになって、ぐっと堪える。
ああ、私の言葉は彼女に届いていた。彼女は私の言葉を、しっかりと受け取っていてくれたのだ。
嬉しくて、胸が苦しい。
殿下がソフィアにオルフィルドのことを簡単に説明している間、走り出したくなるような衝動を抑え込んでいた。オルフィルド家のどうしようもない恋愛事情をバラされた時は後ろめたく思ったが、満足そうな顔で殿下が部屋を出て行った後は、もう抑えが効かなかった。
「ソフィア」
そのほっそりとした体を、ぎゅっと抱きしめる。
ああ、好きだ。好きだ。なんて愛おしい。こんこんと湧き上がるこの感情に、果てはあるのだろうか。この腕の中の温もりが、大切で、愛しくて、仕方がない。
荒れ狂う感情がおさまるまで、愛しい婚約者を腕の中に閉じ込めて、その鼓動を感じていた。なんて贅沢な時間なのだろう。
けれど、ずっとこのままという訳にもいかない。
ようやく衝動が少し収まって、彼女を抱きしめていた腕を緩める。すると、顔をはっきり赤らめた彼女が、少し恨めしげにこちらを見上げてくる。
可愛い。
そっとその小さな頭に口付けを落とす。
「ありがとう、ソフィア。貴女の婚約者でいられる私は、きっとこの世で一番幸福な男だ」
そう告げた私に、ソフィアがうっと言葉をなくした後、そっとこちらの胸に頭を預けてきた。控えめな甘え方に自然と笑みが浮かび、再度その体を抱き寄せる。
言葉を交わさずともその部屋の空気は甘く幸せに満ちていて、それ以上はもう、何もいらなかった。
ようやく部屋から出て、身だしなみを整えたソフィアと共に会場へ戻る。誰かに捕まる前に、ソフィアに美味しいものを食べさせなければ。
そしてソフィアに料理をとりわけ、楽しく軽食を楽しんだ後は、一通りの挨拶を受け終わった段階で帰宅する事にした。ソフィアも疲れてしまっただろう。
気遣いながらもこなした挨拶の波が引いた頃、友人のサイラス夫妻が顔を見せてくれた。
「レスター、婚約おめでとう」
「おめでとうございます。ソフィア、幸せそうで安心したわ」
純粋な祝福の言葉に、嬉しさが胸に込み上げてくる。友人に会えて、ソフィアも楽しそうだ。
「結婚は来年の予定だ。お二人も式には招待させて欲しい」
この言葉を、自信をもって言える自分が誇らしい。こちらの笑みにちょっと目を見張った後、サイラスが笑って言葉を返してくれる。
「ああ、楽しみにしてるよ」
だが和んでいたところに、不意に後ろから声をかけられた。
振り向いた先にいるのは殿下の側近で、何用かと訝しく思うが、無視するわけにもいかない。
「すまないが、少しだけソフィアを頼めるか?なるべく早くに戻る」
「ああ、大丈夫だ」
サイラスが引き受けてくれたので、ソフィアにも声をかけて、殿下の側近についていく。
すると、会場の人気のない場所に殿下が一人で立っておられた。
「やぁ、レスター。婚約者との舞踏会を邪魔して悪いね。でも、君はこれが欲しいんじゃないかい?」
そう言って手渡された封書。開けてごらんと言われたので中を見ると、嬉しさでパッと目の前が明るくなった気がした。
結婚許可証。
ソフィアとの仲を、認められた証。
言葉だけでなく、こうして書面にされると改めて喜びが湧いてくる。
「ありがとうございます」
「まぁ、浮かれるのも分かるが、気を抜いてはいけないよ。これがゴールではないのだから」
ポンと肩を叩かれて、その言葉にハッとした。そうだ、気を抜いてはいけない。まだ結婚どころか婚約式さえ終えていない。それに結婚してからも、慢心は二人の関係に暗雲をもたらすだろう。
「はい、気を引き締めます」
「いいお返事だ。さて、もうそろそろ帰るのだろう?私も彼女に、一言見送りの言葉でも送ろうか」
そう言って、殿下は機嫌良さげにソフィア達の方へ歩き出してしまった。だが急にまた殿下が現れたら、ソフィア達は驚いてしまうだろう。不安に思うが、思ったところで止めることなど出来はしない。
仕方ないかと内心ソフィア達に謝りながら、殿下と共に皆を待たせている方へ向かった。
しかし。歩みを進めるにつれ、何故か会場の雰囲気はおかしなものになっていった。
そして聞こえてくる、微かに記憶に引っかかる男の声と、それに応じるソフィアの声。
あの男と揉めている。
ザッと血の気が引いた。
なぜ、彼女の側を離れてしまったのだろう。彼女がこういう場に慣れていないのを、わかっていたはずなのに。
人目の多い中、言いがかりをつけてきた相手に真っ向から対峙するのは、悪手だ。彼女の真っ直ぐさが、今は完全に裏目に出ていた。
どんどん集まる人混みの方へ無意識に駆け出そうとした、瞬間。
強く腕を掴まれた。
「レスター、落ち着きなさい」
「殿下」
「相手と同じ舞台で踊ってはいけないよ。わかるね?」
静かな目で見つめられて、一瞬飛んだ理性が戻ってくる。そうだ。対処を誤ると悪い噂が尾を引いて、ソフィアに影を落とすだろう。
あの男との関係を噂させてはいけない。ソフィアの婚約者は私で、それは心も通ったもの。観衆が知るべきは、それだけでいい。
大きく呼吸をして焦りを抑えると、殿下の手は腕を離れた。
「行っておいで」
「はい」
視線で感謝を伝え、歩き出す。
早足で、しかし焦りを悟らせない速度で人ごみを割り、ソフィアに近づく。
「ーー貴方とは、一切何の関係もありません」
「そうだな、ソフィア。遅くなってすまない」
男が口を開く前に、言葉を割り込ませ、ソフィアを引き寄せる。
「レスター様…」
こちらを振り向きざまに見上げたサファイアの双眸に、安堵と涙が滲んでいて堪らなくなる。
その表情を隠すように、ソフィアを胸に抱き寄せる。小さく震える身体に、それでも彼女の矜持を見た。
ああ、そんなに一人で気負わなくてもいい。怖がる必要もない。
ゆっくりと周りに見せつけるように、その美しい髪を撫でる。
あんな男との下世話な憶測など、させてやるものか。
もう、ここは私の舞台。
社交界で流れるのは、あの男の話題などではない。
私たちの出会いの時のように、婚約の時のように。楽しく噂するがいい。レスター オルフィルドの、この燃えるような恋を。