レスター視点:最悪の出会いから5
「レスター様。ご報告が」
軍で対魔用武器庫の補充をし、体を動かして、そろそろ帰ろうか思っていた時だった。近づいてきた者の顔を見て、すっと顔から血の気が引いた。彼は、ソフィアの護衛にとお婆様から借り受けている者の一人ではなかったか。
「何があった?」
逸る気持ちを抑えきれずに問うと、護衛の男はルセウス伯の息子と彼女との間に起きた出来事を詳細に語ってくれた。
「…っ」
男勝り?でしゃばり?捨てられる?
意味が、わからない。
「ソフィアは?」
「指一本触れられておりませんし、気丈にしておいででした」
「そう、か」
それでも怖い思いを、悲しい思いをしただろう。キリキリと胸が痛む。
彼女とあの男のことを調べた時、その関係が良好でないことは把握していた。一方で、男の方が彼女への興味を隠さないことも。
次期当主としては能力経験とも申し分なく、ソフィア以外の女性に対してはそこまで高圧的でもないと聞く。なのに何故、彼女に対してだけあの態度なのか。
「その男のことは、どう見た?」
「そう、ですね。エルダン伯爵令嬢がレスター様と婚約したことに、かなりの焦りを感じているようでした。執着心も見えますし、今後も警戒は怠らない方が良いでしょう」
それを聞いて、思わずため息がでた。
「執着?そのような暴言を吐いて、何故ソフィアが自分の元へ来てくれると思えるのだろう」
「好きな相手に素直になれない子供がそのまま大きくなると、ああなるのでしょうね。あの態度で最終的には自分が選ばれると思い込んでいるところが、何というか…、お相手が可哀想です」
肩をすくめた護衛に、深く頷く。
全く理解できない、と言いかけて。背筋がスッと冷えた。
理解できない?酒に呑まれて、大勢の前で彼女を巻き込み失態を演じた自分が?先日も彼女の困惑に気が付かぬまま、厚かましくも恋人のように振る舞った自分が、人のことを言えるのか?
周りが見えなくなっていた初デートの日。ソフィアの言葉で我に返っていなかったらと思うと、本当に血の気が引く。
あの時浮かれていた私は、自分と理想のソフィアの二人しか見えていなかった。私たち二人がこの世界の主役で、婚約者同士想いも伴っていて。そんな偽りの世界が自分の中に出来上がっていた。
きちんと向かい合い、言葉を交わしなさいという、母の言葉が脳裏に浮かぶ。それを怠った瞬間、自分はあの男と同じように、ソフィアを傷つける側に回ってしまうのだ。
「恋とは、本当に難しく恐ろしいものだな」
ポツリとつぶやいた言葉に、護衛が目を見張る。そして、ふっと笑みを漏らした。
「確かに、人をどうしようもなく愚かにすることもあるでしょう。ですが反対に、飛躍的に成長させてもくれます。その恋をどう育むか、それはその人次第です」
「…そう、だな」
周りが見えなくなるほどの喜びも、地を這うほどの後悔も、もっと強くなりたいという切実な願いも。ソフィアに恋をして初めて知ったものだ。
彼女にふさわしい男になりたい。その思いを常に胸の中に抱いていたい。ソフィアが、私が婚約者で良かったと、思い続けてくれるように。
「少しだけ、ソフィアのところに寄って帰る」
「ええ。きっと彼女も喜ぶでしょう」
彼女がひどく傷ついていないか、心配だった。背中を押してくれた護衛の言葉に勇気をもらい、帰りの準備をしに足を急がせる。
そして、ふと思った。
あの男は、自分の思い描いた世界が偽りでしかないと気がついた時、一体どうするのだろうか、と。
「レスター様」
「ソフィア、護衛から話は聞いた。怖い思いをしただろう、大事ないか?」
急に押しかけては迷惑ではという心配は、出迎えてくれたソフィアの表情を見た瞬間霧散した。
こちらを見てホッとしたような表情をしてくれた彼女に、愛しさが湧き出てくる。
「助けていただきましたので、なんともございません。これもレスター様のお陰です。ありがとうございました」
「無事なら、よかった」
ひとまず、ソフィアが平常心でいてくれることに安心する。
「護衛を、つけて下さっていたのですね」
「ああ、何事もなくこちらの杞憂に終わればよかったのだが。すまない、不快にさせたか?」
断りもなく人をつけたことを不快に思われるかとヒヤリとしたが、彼女はそっと首を振った。
「まさか。とても心強かったです。今回はエルダン家に関わりがある方でしたし、むしろお手を煩わせてしまって申し訳なく思います」
「貴女の安全の為につけているんだ。出番がないことが一番だが、原因がなんであれ、貴女を守れたならそれでいい」
思わず近づいてその小さな頭を撫でてしまったが、はたと気がつく。そういえば、久々にしっかりと体を動かして、そのまま着替えだけしてここへ急いでしまった。パッとソフィアから体を離す。
「すまない、帰りに直接寄ったから汗臭いな」
「全く気になりません。それに、今日お会いできると思っていなかったので、お顔が見られて嬉しかったです。直接お礼を申し上げたいと思っていましたし」
そう言ってこちらを見つめるソフィアの眼差しがなんだか甘やかで、無性に恥ずかしくなる。
「そ、そうか」
むず痒さを誤魔化すようにこほんと咳払いをして、そういえばあまり長居をするに適した時間ではないことを思い出した。汗臭いかもしれないし、名残惜しいが、そろそろ帰った方がいいだろう。
「報告を聞いて思わず押しかけてしまったが、そう言ってくれると嬉しく思う。また時間のある時にゆっくり話そう。もう遅い。今日はこれで失礼する」
「はい。本当にありがとうございました」
見送ってくれるソフィアの表情は少し明るくなっており、あたたかいものが心を満たす。
「ああ、ではまた」
手を振って別れながら、次に会える時をもう待ち遠しく思っている。
彼女の甘さの混じった眼差しを思い出す。視線一つで私がこんなに幸せになるなんて、きっとソフィアは思ってもいないだろう。
少しずつ、負担にならないように。ずっと前から貴女が好きだったのだと、彼女に打ち明けても良いのかもしれない。
自然とそう思える今が、とても嬉しい。
明日はソフィアには会えないが、慰めに花でも贈ろうと思いながら、帰りの道を急いだ。
…
……
………
「彼女こそ、私の運命の人だ!」
やめろ。
「私は絶対に彼女と結婚する!!」
やめてくれ!
愕然とした彼女の表情が、視界の片隅に見える。その彼女の体に回した腕を、解こうとするのに。
もう一人の自分は、抵抗できない彼女を会場の外に連れ出そうとしている。
いやだ。いやだ。なんで。
自由にならない体に、絶望する。
違う。本当はもっと普通に、なるべくよく思ってもらえるような笑顔で、彼女に初めましてと、言いたかった。ただ、ただ、それだけで………。
苦しさで、ハッと目が覚めた。
暗闇の中。一瞬今がいつで、何をしていたのかわからなくなる。
あの日は、あの日はいつだ?今日はその翌日か?いや違う。ソフィアに謝罪の機会をもらった。そう、ソフィア。そう呼ぶ許可を、彼女にもらったのだ。昨日は、彼女に顔が見られて嬉しかったとまで、言ってもらった。
バクバク嫌な音を立てる心臓を抑えて、ゆっくりと息を吐く。
「また、あの夢か」
それはあの日以降、何度か繰り返されている、凍えるような悪夢。
本当に、こんな情けない男に何故、彼女はその手を委ねてくれたのだろうか。
「ソフィア」
あの直後、息もできぬほどの痛みを感じたその名は、今また段々と優しい思いをもたらしてくれるようになった。
「ソフィア」
昨日くれた眼差しが、凍りついた心を溶かす。
「好きだ…」
憧れの強かった恋は、彼女に見つめられる度に、どんどん深くなった。
いつか彼女に言えるだろうか。きっともう、私は貴女しか愛せないのだと。