レスター視点:最悪の出会いから4
初デートの日。
浮かれに浮かれている自覚はあるが、どうにも浮き立つ気持ちを抑えきれない。
デート。婚約者同士の初デートだ。
憧れのそれを、他でもないソフィアと。
そう、ソフィア!呼び捨てまで許してもらった。結婚したら、ソフィアもレスターと呼んでくれるだろうか。ああ、浮かれずにいる方が無理というもの。
先日婚約式のドレスを見せた時も喜んでくれていたようだし、なんだか幸せすぎて雲の上を漂っているような心地だ。
自室には、昨日から引っ張り出してはあーでもないこーでもないと並べた服が、所狭しと並べられている。
付き合わされている使用人が遠い目をしているが、許してほしい。万全の装いでソフィアを迎えに行くという使命があるんだ。
なんとか服を決め、髪を整え、庭で彼女に捧げる花束を吟味して。くれぐれも迷惑をかけないように!と釘を刺す母の言葉を聞き流しながら、婚約者を迎えに行ったのだった。
けれど。
そんな半ば周りが見えなくなっている私の目を覚ましたのは、他でもない、ソフィアだった。
「近い…?恋人同士のデートとは、こうして手を繋いで隣に座るものでは?」
「こ、恋人?」
ポカンとこちらを見つめる彼女の驚きの表情に、輝いていた世界が一気に粉々に砕け散り、崩落する音が聞こえた気がした。
「すまない…私は一人浮かれていたようだ。てっきり、貴女も私を、恋人と思ってくれていると…」
衝撃で真っ白になった頭で、呆然と言葉を紡ぐ。無意識に彼女から離そうとした手はしかし、細くて白い指に捕まった。
「あ、あの、恋人と思っていただけるのは光栄です。ただ、私はレスター様と違い、こういったお付き合いをすることもなかったので、戸惑ってしまったのです。申し訳ございません」
そう優しくフォローしてくれる彼女に、猛烈な罪悪感が押し寄せてくる。
恋人同士のデート?馬車では手を繋いで隣に座る?それは、自分のように婚約を押し付けた者が言っていい言葉ではなかった。正常に動き始めた頭が、やっとそんな当たり前のことに思い至るが、すでにやらかしてしまった後。
情けなさに、涙が出そうになる。
「私も、こうして女性と出かけるのは初めてなんだ。貴女が一緒にいてくれることが嬉しくて、年甲斐もなくはしゃいでしまってすまない」
みっともなく本音を垂れ流し、謝るしかできない自分にほとほと嫌気がさす。彼女も内心呆れ果てているだろうに、揃いの指輪を購入する事を許してくれた。
ジクジク痛む心が、ほんの少しだけおさまる。まだ、ソフィアは私を見捨てずにいてくれるらしい。
でも、それはいつまでだろうか。明日には嫌になって、ほとぼりが冷めたら婚約を解消したいと思うのではないだろうか。
嫌な想像に視線を落とした先で。自分の手が、そっと白くて柔らかな手に包まれるのが、見えた。
そして、彼女の綺麗な声が耳に入ってくる。
「色々ありましたが、今はレスター様が私の婚約者になってくれて、よかったと思っています。それはお互いの家のことを抜きにしても、です。
なので、まだ慣れなくて戸惑ってしまうこともあるかもしれませんが、レスター様の恋人として扱っていただけると、私も嬉しく思います」
その言葉にはっと顔を上げると、すぐ近くにあるサファイアの輝きと目が合った。
真っ直ぐで、揺るがない、強い意志を持った眼差し。
ああ、なんて眩しい。
自信がなく揺らぎがちな自分には、彼女の凛と立つ生き様は、眩しくて、眩しくて、…焦がれずにはいられない。
彼女はこの婚約を、自分の意思で決めてくれたのだ。そして今、それが形だけではなく中身のあるものにしたいと、そう伝えてくれているのだ。
なんと得難い人だろう。
救いあげてもらった心が、自然と笑みとなって、言葉になる。
「貴女のそういうところが、たまらなく、好きだ」
私も、貴女のように強くなりたい。しっかりと前を見て、貴女の隣に立ちたい。貴女に好きになってもらえる、ちゃんとした男になりたい。
そう思わせてくれる、貴女が好きだ。
このところ浮き沈みの激しく不安定だった心が、やっと落ち着くべき場所に、戻った気がする。
が。
「私も、レスター様のそういうところ、とても好ましく思います」
という、ソフィアの破壊力抜群の言葉に、戻ってきた平静はあっという間にどこかへ消えてしまったのだった。
〜*〜*〜*〜*
「ただいま戻りました」
「お帰りなさい。あら、行きより随分と落ち着いたのね」
小首を傾げる母に、静かに頷く。
「ソフィアに、目を覚させてもらいました」
「彼女には頭が上がらないわね」
「ええ、本当に」
母が寛いでいたソファの向かいに腰掛ける。
そして、ついため息を吐いた。
「恋とは、恐ろしいものですね。簡単に周りが見えなくなってしまう」
「それに気がつけただけ進歩ではなくて?」
「…あんな事を仕出かして、今日も私の独りよがりな妄言につき合わせてしまったのに、ソフィアは言ってくれたんです。私が婚約者になってくれて良かった、と」
その言葉を思い出すと、純粋な喜びと共に、胸を裂くような痛みが心に湧き上がる。
「彼女の言葉に、期待に、応えたいのです。そう思うほどに自分の未熟さが見えて、本当に嫌になりますが」
「ならば精進なさい、レスター。全てにおいて完璧である必要などないの。けれど彼女が困った時、傷ついた時、その支えとなれる人でありなさい。そのためには、きちんと彼女に向かい合い、言葉を交わしなさい。偽らず、誠実でありなさい。誠意は相手に届くものよ。そして、心に根付くものでもある」
母の言葉に、少し前のソフィアとの会話を思い返す。
彼女が、私が婚約者で良かったと言ってくれた言葉には、真っ直ぐに胸に届く真摯さがあった。にわかには信じ難い言葉なのに、私はあの時、その言葉を疑わなかった。
そっと胸を押さえる。
彼女の言葉は、すでに私の心の中にある。私の言葉の中には、彼女の心に届いたものもあったのだろうか。
わからない。
わからないけれど、彼女への尊敬と敬意が届いていてほしいと、切に願う。
「精進します。彼女に、きちんと向き合える男であるように」
「ええ。その気持ちは、いつか彼女にも届くわ」
柔らかく笑む母を見ながら、改めてがんばろうと思う。今ソフィアがこちらを向いてくれている奇跡を、大切にしたかった。