レスター視点:最悪の出会いから3
今日は、ソフィア嬢と有難くも二人で話し合う機会をもらえた日。いつかこれが役立つ日が来るようにと、懐にはお守りとして婚約申請書を忍ばせている。
緊張を隠しながら訪問した彼女の家では、思ったよりも和やかに迎え入れられて、内心ほっとしていた。
けれど。
「レスター様には遠く及ばないと存じますが、少しでも領地のためになればと日々尽力しております」
「っ、い、いや・・・」
少し気が緩んでいたところ、彼女が何気なく発した言葉に、鋭いナイフで胸を刺されたかのような痛みが襲った。
彼女の言葉は、私が嫡男として領地経営に携わっている事を前提とした発言だ。
相手が、その経験を持たないとは欠片も思っていない。当たり前だ。普通の嫡男であれば、それこそスクールに入るより前から視察の同行や簡単な書類整理くらいなら行っているもの。彼女だって、領地経営は弟君と共に行ってきたのだ。
「?」
急に口籠もったこちらを不思議そうに見るソフィア嬢と、まともに目を合わせられない。まだ信頼関係も何もない相手に、自分の弱みを曝け出すのは、とてつもなく恐ろしかった。
彼女ならむしろ喜ぶのではという期待は、軽蔑されるのではという不安に簡単に押し潰される。彼女の経験を活かせる環境への喜びより、迷惑な無能男への嫌悪が勝るかもしれない。けれどあんな事をしでかした上、彼女にそれを隠したまま向かい合うなんて、できるはずがなかった。
「今日は…。お互い、腹を割って話せればと思ってきたんだ」
掠れそうになる声を無理やり押し出して、ソフィア嬢へと視線を向ける。
そして。
領地経営の経験がない。
そう打ち明けられた彼女が呆然と言葉をなくすのを前に、情けなさと恥ずかしさと申し訳なさで吐きそうになった。
思わず精霊絡みである事を匂わせてしまったが、それくらい許してほしい。自分の事情をフォローする言葉を連ねながらも、もう逃げ出したくて仕方がなかった。
その沈黙が、酷く恐ろしい。
「や、やはり、受け入れ難いだろうか」
何も言ってくれないソフィア嬢に胸の潰れる思いをしていると、やっとこちらの言葉を消化したらしい彼女が口を開いてくれた。
「え、と。以前おっしゃられた、当主のように領地を治める権利というのは・・・」
「比喩でもなんでもなく、言葉通りの意味だ」
そう言葉を返すと、彼女は少し考えた後、何かを納得したようだった。
「ご事情は、分かりました」
そんな相手とは婚約できません。
などという否定の言葉が出てくるのではと、泣きそうな気持ちで彼女を見つめる。
そんな内心大荒れの私とは対照的に、彼女は落ち着きを取り戻したようで冷静な面持ちでこちらに向き合ってくれた。
「いくつか、お伺いしておきたい事があるのですが」
そう言った彼女は、まるで取引の条件を確認するかのように、侯爵領が必要とする知識は?子ができなかったら?想い人はいないのか?と淡々と質問を並べてくる。
愛人⁉︎複数人を召し抱える⁉︎あんな出会いから間もないとは言え、カケラも信用されていなくて涙を溢しそうになる。貴女がいながら、そんなものを作るなんて考えられる訳がない!と、ソフィア嬢は悪くないのに、思わず恨めしげな視線を向けてしまう。
そんなこちらの不満を悟ってか、彼女はちょっと苦笑を浮かべた。
そして最後に、と言葉を続ける。
「私はこのように、あまり殿方には好まれない気質の女です。それでもなお、妻にと望んでいただけますか」
その言葉に、思わずまじまじと彼女を見つめる。…聞き間違いだろうか。何だかとても都合良く解釈したくなる言い回しだ。
貴女の努力家ではっきりした性格は大変私の好みだし、批判的な意見をもらおうと自分を曲げずまっすぐ立っているところは、とても尊敬している。
そして何より、あんな事をしでかした私にまで、こうしてきちんと向き合ってくれるところが、ものすごく好きだ。
「私は遠回しな駆け引きよりも、真正面から向き合ってくれる貴女のような人を望んでいる」
調子に乗って言葉に熱を乗せすぎると、怖がられるかもしれない。本音をなんとか簡潔な言葉に押し込めて返すと、彼女はその美しいサファイアの双眸を真っ直ぐにこちらに向けてくれた。
「そうおっしゃっていただいて嬉しく思います」
そして彼女が次に口にしたのは、全くもって予想外の、信じられない言葉だった。
「婚約のお話、レスター様がよろしければ進めてください」
〜*〜*〜*〜*
婚約を受けてもらえた!婚約を受けてもらえた!婚約を受けてもらえた‼︎
信じられない幸運に、もうこの事実を大声で叫び回りたい衝動を抑えるだけで一苦労だ。
エルダン家での話し合いの帰り道。馬車の中で、先程完成したばかりの婚約申請書を震える手で掲げる。そこには確かに、エルダン家の署名が入っていた。
「ソフィア エルダン」
その名も、確かに彼女の筆跡で記されている。
「〜〜〜〜〜っ」
こんなに嬉しいことが、あって良いのだろうか。
少し前まで人生のどん底にいたのに、今はまさに人生の絶頂。魔の一匹や二匹、自分一人で滅してしまえそうなほどの力が湧き上がっている。
話し合いの際は本当に苦しくて泣きそうになったが、領地経営ができない事を告白した時も蔑みの目は向けられなかったし、なにより、彼女の意思で、婚約を進めてよいと言ってくれたのだ。
あの決意を固めたサファイアの輝きの美しさと言ったら…。
「ああ、そうだ。貢がないと」
父が言っていたではないか、貢げるだけ貢げと。彼女に貢げるなんてむしろご褒美ではないのか?
定番の花か?菓子か?果物は…彼女の好きな林檎は残念だが季節外れか。ああ、記念のワインもいいな。あと、宝石も…。自分の色を纏って欲しいと言うのは我儘だろうか。いや、当たって砕けよう。ドレスも見繕わなくては…。
御者に寄り道の指示を出して、あれこれ考える道中は、まさに幸せだった。
婚約申請書を屋敷に持ち帰るため迅速に、かつ注意深く貢物を見繕って発注し、帰りの馬車を急がせる。
そして屋敷に帰り着いた時、出かけていた父とちょうど庭先で鉢合わせた。
「父上!」
「レスター、ずいぶん機嫌がいいな。少しは進展があったか?」
「これを!見てください‼︎」
「は⁉︎こ、これは‼︎」
はやる気持ちで婚約申請書を父に渡すと、まさに驚愕!といった表情がその顔に浮かぶ。
「嘘だろう⁉︎なにか疾しい手段を使ったわけではあるまいな?」
「違います!彼女自身が、婚約の話を先に進めてよいと言ってくれたのです」
「なんと…」
絶句した父の目に、薄ら涙が浮かぶ。
「庭先で倒れたお前を見て、お前の意思を無視してでも早く縁談を申し入れていればよかったと、マリエッタと後悔ばかりしておったが…。まさかこんなに早く、婚約を受け入れてもらえるとは…」
その言葉に、どれだけ両親に心配をかけたかを改めて感じて心が痛む。不甲斐ない息子で、本当に申し訳ない。
そう反省していると、感動に震えていた父は思い立ったようにこちらに視線を向けた。
「こうしてはおれん。せっかく先方が婚約を受けてくれたのだ。はやく王家の承諾証をもらってこねば!」
そういうと、父はだっと駆け出してしまった。その心意気は非常にありがたいのだが。
「父上はまさか、天馬で王宮へ行かれるおつもりか…?」
走って行ったのが、天馬達のいる方角な事に一抹の不安を感じる。追いかけようかと数歩足を踏み出した時だった。
「兄様!」
「アーサー」
ここしばらくチラリとも姿を見せていなかった弟が、なんの前触れもなく帰宅してきて目を丸くした。
「どうした?お前がわざわざ帰ってくるなんて」
弟は勉強好きが高じてスクールの寮に住まい、滅多に帰らないので会うのは本当に久しぶりだ。
「どうしたも何も、スクールで兄様の事を聞かれすぎてうんざりしているんです。一体何があったんです?」
「う、それは…」
口ごもったこちらを見て、弟の目が厳しさを帯びる。
「…何かの間違いかと思っていましたが、まさか本当に酔って見ず知らずのご令嬢に迷惑をおかけしたと?一体どう責任を取るおつもりなのです!」
「ち、違う!いや違わないが、そのご令嬢には先程婚約の許しをもらった!そもそも私が長く想っていた相手だったんだ。周りに聞かれたら、そう答えてくれて構わない」
「…色々と言いたいことはありますが、まぁいいです。どうせ母様がおっしゃった後でしょうし」
はぁ、とため息を吐く弟は今年18なのだが、母に似ていてしっかり者で、たまにどちらが年上なのかわからなくなる。加護を持たずに生まれた代わりに、大変優秀な頭脳を持っており、将来はオルフィルドでも舵取りの難しい部分を任される予定だ。
「せっかく帰ってきたんだ。今日はこちらに泊まるか?」
「いえ、母様に顔だけ見せたら寮に戻ります。兄様に聞いた話を早めに周りに話せば、これ以上煩わされないでしょうし」
「苦労をかけてすまない…」
「まったくです!」
ぷんすか怒ったまま、早足に屋敷へと入る弟を申し訳ない気持ちで見送る。
そして、結局父がどうしたのか見損ねてしまったが、まぁいいかと屋敷に戻る事にした。
弟の話が終わったら、母にも婚約のことを話さなければ。
その翌日。
思いがけず広まった婚約の事実に、慌ててエルダン家へ謝罪に走ることになったものの。王家からの婚約承諾証を父がもぎ取ってくれたおかげで、その翌日には婚約式の日取りまでおおまかに決まり、ソフィア嬢に悪いと思いつつ、レスターは幸せに打ち震えるのだった。