レスター視点:最悪の出会いから2
二人の話が終わるのを、ジリジリしながら父と待っていると。
やがて静かにドアが開き、母が入ってきた。思わず座っていたソファから立ち上がる。
「母上…」
「レスター」
ふぅ、とため息混じりに名前を呼ばれ、心がじくじくと痛む。
ソフィア嬢だけではない。家に泥を塗り、そして母の期待にも背いてしまったのだ。何も言えず、その場に立ち竦む。
そんな自分に近づいた母が、静かな視線をこちらに向ける。
「自分がしたことを、わかっているわね」
「…はい」
「彼女が、どういう立場に置かれるかも?」
そう問われて、体が震えた。
彼女は何も悪くないのに、きっと社交界では面白おかしく噂されるだろう。下世話な噂や嫉妬に晒され、良い結婚相手も探し難くなる。
先程父が言ったように自分と婚約すれば名誉は守られるが、そんな馬鹿な男に守って貰うだなんて、何という屈辱だろう。そんな状況に、他でもない自分が彼女を追いやったのだ。
「…っ、はい」
答える声が、みっともなく震える。自分がしてしまった事を思うと、本当に、本当に、消えてしまいたい。
もう母と目を合わせられず、足元に視線を落とした。
母が小さく息を吐くのが聞こえる。
「なら、それについてはもう、言うことはないわ」
震えて立ち竦む自分の肩を、母が抑えてソファに座らせる。
されるがままソファに座り込んだ自分の背を、慰めるように父が叩いた。
メイドに飲み物を持ってくるように指示した母は、一人向かいのソファに座る。そして飲み物が揃った後、おもむろに口を開いた。
「彼女と話した感触だけれど」
その言葉に、体が強張る。
「想像よりはずいぶん、良かったわ」
「……………え?」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
「なんと言うか、領地経営なんてものに興味を持つだけあって、現実的な子ね。家格の違いも考慮してでしょうけれど、あんなことの直後で、取り乱すでもなく冷静に話し合いに応じてくれたわ。むしろ、優秀な方だとの評判は聞き及んでおりますだなんて、貴方をフォローする余裕まであったの。本当に肝が据わったお嬢さんだこと」
「…」
「彼女、怒ってなかったのか?」
父が目を丸くして聞くと、母はまぁ今のところね、と答えながら紅茶を啜った。
「最悪を想定して、こちらの対応がそれよりはマシだから一安心してるって感じかしら。想う人もいないって言うから、うちの息子はどうかって試しに言ってみたのだけど、嫌悪感はなさそうよ。決して乗り気でもないけれど」
そう言う母を見ながら、呆然とする。てっきり、次に会ったときには酷い嫌悪のこもった視線を向けられると思っていたのに。
「まぁ、一晩明けて事態を振り返ったら、怒りが湧いてくるかもしれないけどね」
少し気を緩めた自分に釘を刺すように、母がチラリとこちらに視線を向けた。
話を聞いていた父は、ふむと考え込む。
「ならば責任を取るからと、普通に婚約を推してもいいかもしれないが…。今後を考えると、一つくらい彼女が前向きになれる条件を提示したいな」
「そうね。仮に婚約を結べても、彼女に前向きになってもらわなければ王家から白紙にされるのでしょう?」
「猶予はくれるぞ、私の時のように。レスターは何か思いつくか?」
父に問われて、ぼんやりと彼女のことを考える。
「私は、普通に仲良くなれたら、彼女に領地経営を任せたいと言うつもりでした。私に実務経験がないことは不甲斐なく思われるかもしれませんが、逆に言うと、彼女の才覚を存分に活かす場所があります。それを好ましく感じるのではと、そう思っていました」
「…なるほど。妻の立場となると、今までの彼女の経験はあまり活きないからな」
「そこに価値を置いてくれるのであれば、むしろオルフィルドは他にない好条件でしょうね」
母が数度頷く。そして、こちらに目を向けた。
「とにかく、明日は謝罪と、解決策としての婚約を提案するわ。その感触を見て、改めて今後の対策を立てましょう。
レスター、謝罪と求婚の言葉を考えておきなさい」
「はい」
「分かっているとは思うけれど、婚約に頷いてもらうのがゴールではないわ。彼女に好意を持ってもらわなければ、補償として提案した婚約を、こちらから破談にしなくてはいけなくなるの。こんな失礼なことってないわ」
「…っ、はい」
「どうすれば彼女との信頼関係を築けるのか、よくよく考えなさい。その場しのぎで調子の良い事を言っても、あのお嬢さんは見抜くわよ」
そう厳しく言いつけて、母は部屋を出て行った。
父も立ち上がり、くしゃりとこちらの頭をひと撫でして部屋を出ていく。
しん、と静まり返った部屋で、母が言った事をひとり考える。
彼女の将来を考えると、たとえこの先道を分つとしても、一旦は婚約を結んだ方が良いだろう。興味を一身に集めている今をやり過ごし、ほとぼりが冷めてからの方が傷は浅い。その際は、…心を殺してでも彼女に別の相手を探そう。
ああでもその前に。この件で彼女やご家族にかかる迷惑が少しでも軽くなるよう、手を打たないといけない。いっそ自分が彼女の家の前で見張っていてはいけないだろうか。とにかく、早めに両親に相談しなければ。
「はぁ…」
重苦しい思いを、ため息で逃す。
明日。
彼女に謝らなければならないことは、沢山あった。思い描いていたものとは全く違う求婚も、彼女に伝えなければならない。でも。
「好きだとは、とても言えない…」
出会ってすぐの、しかも迷惑をかけられた相手からの恋慕など、気持ち悪いだけだろう。
まずは彼女が婚約に頷きやすいよう、少しでもよく思ってくれるような提案を軸に求婚しよう。そして時間をかけて、彼女に自分のことを知ってもらおう。
許してもらえることならば、やはり自分は、彼女のそばに置いてもらいたい。一生をかけて償い、そして幸せに過ごすための手助けをさせてもらいたい。
言うべきこと、言うべきではないこと。真剣に考えるうちに空は白み、結局一睡もしないまま翌日を迎えたのだった。
そうして。
必死に言葉を並べた申し込みは奇跡的に彼女の心の何かに触れ、てっきりゴミムシでも見るような視線を受けると思っていたレスターは、名前呼びの許可までもらう大勝利をもぎ取ったものの。彼女の一家が帰った後に過度の緊張と寝不足により庭先で倒れ、家族や使用人を大層慌てさせたのだった。