レスター視点:最悪の出会いから1
カタカタと心地よい振動が体を揺らす。
抱きしめた柔らかいものは、なんだかいい匂いがしてとても幸せな心地だ。ああ、ずっとこのままでいたい。
「………ってますか…?」
そんな風にふわふわとした気持ちで微睡んでいたところ、不意に綺麗な声が耳に入ってきた。
それに釣られるように顔を上げると、美しいサファイアの輝きが間近に見える。
ああ、なんて綺麗な目なのだろう。いつも遠くからしか見えず、その視線をこちらに向けてもらうことさえ、できなかったのに。
それを、こんなに近くで見つめてもらえるなんて。この夢が、ずっと醒めなければいい。
そう、ずっと。ソフィアをこんな風に抱きしめて、その瞳に己を映して欲しかった。レスターと呼んで、笑って欲しかった。互いの温もりを感じるくらい近くに…。
………温もり?
ふと、脳裏に引っかかった違和感。夢にしては、やけに抱きしめる感触が、リアルではないか?
「ソ、フィア?」
「えっ⁉︎」
「えっ、??」
驚いた彼女の目が、まん丸に見開かれる。
まさか。
まさか。
まさか、自分が抱きしめているのは。
まさか。
本物の。
…うそ、だと、言ってくれ。
一気に酔いが覚めた気がした。
無遠慮に彼女の身体に回していた腕を、ぎこちない動きで、なんとか引き剥がす。
ああ、そうだ。私は。
最後の舞踏会でも結局うまく声がかけられず。令嬢達の持ってくる飲み物をやけになって飲んでいたところに。トドメのように、主催家の令嬢が「瞳の色が同じなんて、運命的ではありませんこと?」なんて言いながら渡してきた飲み物を、込み上げてくる不快感を流すように一気に干して。
そして、そして。
そんな時に、ソフィアが、偶然近くを通りかかったものだから。
「あの、こ、これは…」
最低、だ。
あまりの行いに、とっさに謝罪の言葉さえ浮かばない。この失態を、いったいどう謝ればよいと?あんな、人目の多いところで、本当に、なんてことを。
なんて、取り返しのつかない、ことを。
どう説明すれば?どう謝罪すれば?混乱した頭では何も考えつかない。
そして結局、謝罪の言葉一つ伝えられないまま。
いつの間にか、馬車は目的地へと到着したのだった。
「レスター!お前という奴はあぁぁぁっ」
その膠着状態を崩したのは、父の怒声だった。
勢いよく馬車の扉を開けた父に引きずられるように屋敷に引っ張り込まれ、ガシッと両肩を掴まれる。
「なぜ、何故だレスター!あれほど、出会いは重要だと言ったではないか!」
「申し、わけ…」
「お前まで父のように…って、お前、やけに酒臭いな。おい!誰か水を」
「はいっ、ただいま」
メイドが持ってきた水を、一気に飲み干す。
体が冷えて、真っ白になった頭も、冷えて。
改めて、自分の失態が頭を駆け巡る。
「わたしは、とんでもない、ことを…」
とてもではないが、彼女を好きだなんて、言えるはずがない。その資格を、自らの手で無くしてしまった。
深い絶望に、涙すら出ない。
「レ、レスター。その、まだ希望を捨てるには早い。言ってみれば、私と状況は似たようなものだ。むしろ私の方が酷いが、ほら、私はちゃんとマリエッタと結婚したぞ」
「ですが…」
「結婚宣言をされておいて何もなかったとなると、彼女の方も外聞は悪い。ほとぼりが冷めるまで婚約して、受け入れ難ければこちらの有責で別れるといえば、いずれ頷くはずだ。その間に、なんとか彼女を振り向かせろ」
振り向かせる?そんなことが自分にできるだろうか。あんな事をした後に?
呆然とした自分の肩を、父が揺さぶった。
「レスター!ならお前、彼女を諦められるのか⁉︎」
その言葉にハッとする。
諦めたく、ない。あんな事をしでかして、どの口がと謗られようと。手を尽くさずして、彼女のことを諦められる気がしなかった。
「…父上。私は、まだ頑張りたいと、そう思います」
「そうだ、その意気だ。数年かかるかもしれないが、まずは謝り倒して、貢げるだけ貢いで、褒め倒して、恥も外聞もなく縋れ!仕方ないわねと思わせたら、こちらの勝ちだ!」
やけに具体的なアドバイスに、父を見る目が変わる。
「それは、あの、経験談で?」
「ぐ、それは…」
変な沈黙が降りるが、気を取り直した父が、おほんと咳払いをする。
「とにかく、いまはマリエッタが彼女と話をしているはずだ。今日の今日は顔を合わさないほうがいいだろう。明日謝罪に先方へ伺おう」
「でもまだ、一言も謝れていないのですが…」
「そうは言うが、お前は今彼女と顔を合わせて冷静に話ができるか?」
「それは…」
確かに、彼女の前に出ても、何をどう伝えるべきか、混乱した頭に浮かばないかもしれない。
「二度目の失敗は許されないぞ。冷静になって、きちんとお前の思いを彼女に伝えろ」
その言葉に頷いて、まずは母が彼女との話を終えるのを待つことにしたのだった。