精霊の祝福
オルフィルド領付近の知人をエミリアに紹介してもらったり、侯爵夫人に茶会に招かれたり、レスター様とデートを重ねたり。
そんな日々はあっという間に過ぎて、明後日はレスター様との婚約式だ。
この国では、婚約は家や本人の事情で解消されることもたまにあるが、婚約式を終えた後に解消することはまずない。そのため、婚約式を終えた後は相手との繋がりをより強固に周りに示せるのだ。
だからなのだろう、レスター様は婚約式をそれはそれは楽しみにしている様子だった。
「これを着たソフィアはとびきり美しいだろうな。早く明後日になればいい…」
会場に事前に運び込まれた婚約式用のドレスを眺め、嬉しそうに呟くレスター様を見ながら、この人の目には私がどんな美女に補正されて見えているのだろうかと疑問に思う。絶対婚約式で人々の目を惹きつけるのはレスター様の方だ。
初めて涙を見せたあの日以降、レスター様は何というか、大人の男の落ち着きと余裕を身につけてしまい、すれ違う人が思わず振り返ってしまうほどの魅力を無意識に振りまいている。
「ソフィアはどうだ?不安はないか?」
優しくこちらの髪を手で梳きながら問う瞳も、不安に揺れる事なく、頼り甲斐さえ感じる。
「私も明後日を楽しみにしていますよ。でも、もうすぐ領地に戻る時期にもなるので、少し寂しいですね」
オルフィルド領とエルダン領は結構離れているので、手紙のやりとりも日数がかかるだろう。首都では頻繁に会っていただけに、数ヶ月会えないというのは寂しく感じる。
「ああ、それなら時間を見つけて私から会いに行く。ソフィアに会えないのは、私も耐えられないから」
「えっ、でも距離もありますし大変ではありませんか?」
事もなげに言われた言葉に驚いてレスター様を見上げると、安心させるように微笑まれた。
「オルフィルドは天馬の所有を許されているんだ。天を駆ければ、早朝に出て昼にはエルダン領に着ける」
「もしかして、これまでも天馬でエルダン領まで来られてたんですか?」
「ああ。今思うと変なこだわりなど持たず、早くソフィアに話しかけていればよかったな。そうしたら、もっと早くから貴女の側にいられたかもしれない。とても惜しい事をしたように感じる」
残念そうに言われるが、急に天から降りてきた白馬の王子様風美青年に声をかけられたら、びっくりして逃げ出していたかもしれない。
首都とは違い、エルダン領が田舎だからこっそり天馬で降りたてる場所もあったのだろうが、それにしても全く噂にもならず、気が付かなかったのは驚きだ。
「天馬は稀に空で見かけるだけで、近くで見たことはないんです。今度いらした時は見せていただけませんか?」
天馬というのはとても知能が高く美しい生き物で、主に魔の森に生息しているらしい。天馬目的で魔の森を荒らしたり、乱獲を避けるため、許可された者しか所有はできず、それを破ると厳罰が下るのだ。だから大半の人は近くで天馬を見る機会はほとんどないのが現状だ。
「ああ、約束だ。高いところが苦手でないなら、乗ってみてもいい。長距離の移動は過酷だが、少し駆けるだけならそう負担もないはずだ」
「本当ですか?とても楽しみです!」
「なら二人用の鞍をつけて行こう」
嬉しい約束をもらってわくわくしていると、不意に身を屈めたレスター様に唇を奪われた。
「…っ、き、急にっ」
「ソフィアが可愛いのが悪い」
そう言って、もう一度優しく啄むようなキスを重ねると、レスター様はふわりと笑った。
「早くソフィアをオルフィルド領に迎え入れたい。知っているか?魔の森、という言葉からの印象とは違い、あの森はとても豊かで美しい森だ。
精霊も、他の地とは比べ物にならない程沢山いる。ソフィアにも、あの森を見せたいんだ。精霊と共に、オルフィルドが長きに渡って守っている、あの森を」
「精霊と、共に?」
「ああ。精霊の多い地は豊かになる。だが、精霊と魔は切っても切れない関係だ。魔は精霊を糧として力をつける。だから精霊の多い地には魔が生じやすい。精霊は魔を滅する力を持つが、十分な力を持つ強い精霊の数は少なく、また魔に近づくとその生命力を吸い取られるらしい。だから、精霊はこれと見込んだ人間に加護という形で力を分け与えるんだ」
「加護を与える代わりに、人間に魔を討伐してもらうんですね」
そういうと、レスター様はそうだと頷いてくれる。
「オルフィルドは魔の森に住まう大精霊と契約を結んでいる。精霊たちは森に魔が生じるとオルフィルドに知らせ、危険を冒して魔をオルフィルド領方面に誘導するんだ。オルフィルドは精霊からの知らせを受けると、退魔部隊を率いて魔を迎え撃つ。ずっとそうやって持ちつ持たれつの関係を維持しているんだ」
「なら、急に森から魔が現れて領地を荒らされる、ということはないんですね」
「そうだな、大半は森近辺で討伐できる。だから安心して嫁いできてくれ。ソフィアの安全は私が守るから」
「はい。森をこの目で見るのが楽しみです」
そう答えながら、ふと殿下がおっしゃっていた加護を持つが故の縛りの話が頭に浮かんだ。加護持ちにそう言った代償がある事は書物を見ても書かれていなくて、疑問に思っていたのだ。
「あの、以前伺った加護故の縛り、というのは、大精霊のような力の強い精霊と契約した時に生じるのですか?」
そう問うと、レスター様はふっとおかしそうに笑って答えてくれた。
「ああ、あれか。殿下は縛りと仰ったが、実は祝福の一種なんだ。初代が、自分の子孫が幸せな結婚をし、そして自分の親友である王に取って代わる事なく、その加護を持って王の子孫を支え、国を守って行くように、と。そう願ったことから生じたものだ」
なるほど。オルフィルド家は特別な加護ゆえ、大きな混乱なく王に取って代わることさえできる。でも初代は子孫たちに、それでも臣下として自分の親友である王の子孫を支えてもらいたいと願ったのだろう。
「領地経営が苦手なのは…」
「思わぬ副産物のようなものだな。例えば、自ら国を治めよう、などと考えて地図を見れば、オルフィルドの加護持ちは地図すら読めないだろう。それが困ったことに、自領の領地経営にまで支障をきたしてしまっているんだ」
思わぬ理由に、目が丸くなる。
「精霊の祝福も、完璧ではないのですね」
「ああ。だがそのせいか、オルフィルドの者は優秀な女性に心惹かれることが多く、それで割と幸せな結婚に結びつくものだから、精霊に強く改善を求めることなくそのままになっているんだ」
「レスター様が私の存在に興味を持たれたのも、領地経営の経験持ちだからですよね。それがなければ、出会うことすらなく、お互い別の人と結婚していたかもしれません」
「そう思うと、領地経営能力は取り戻さなくてよいかと思ってしまうんだ。大精霊も初代に与えた祝福を変えたくないようだしな」
「精霊にとっても、思い入れのあるものなのでしょうか」
「そうかもしれないな」
そっと私の手をとったレスター様は、そのまま私の指にはまった揃いの指輪に口づけを落とした。
「祝福に対し苦い思いを抱いた事もあったが、ソフィアと過ごす中で、心が定まった気がするんだ。私に欠けたものを、貴女が補ってくれる。だから私は、それ以外で貴女を全力で守り、支えたい」
「私も。レスター様とならきっと、支え合って生きていけると、そう思っています」
自然と互いの顔には微笑みが浮かび、どちらともなく顔を寄せ合い唇を重ねた。
婚姻により、私は住み慣れたエルダン領を離れ、遠くオルフィルドで重い責を担う。でもそれも、レスター様が必ず支えてくれるという確信があるから、過度な不安を抱かず前向きでいられるのだ。
視線を巡らせた先には、明後日身に纏う予定の美しいドレスがある。レスター様の想いの詰まったそれに包まれる日はきっと、人生で一番幸せな日に違いない。
そう、心から思った。