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確かな熱

「ルセウス卿?というとルセウス伯爵のご子息かな」


 声を潜めて問いかけてくるオードル卿に頷くと、エミリアが嫌な奴なのと耳打ちしているのが聞こえた。

 そんな二人を気にも留めずに、ルセウス卿は私に近づく。


「ふん、もう飽きられて一人放って置かれてるのか」

「何をおっしゃっているのか分かりかねます。それよりも、人の会話を遮るなど不躾では?」

「なんだと?」


 当たり前のことを指摘されて凄むルセウス卿を冷めた目で見ていると、オードル卿がすっと私とルセウス卿の間に入ってくれた。


「今レスターは所用で少し外していてね。私がソフィア嬢をお預かりしているんだ。彼女に何か用かな?」


 穏やかに問うオードル卿に、やっと私と共にいた二人に意識がいったのか、ルセウス卿が少し怯んだ。


「え、ええ。彼女とはよく知る仲で。話があるのでお借りしても?」

「申し訳ないが、レスターが戻るまではここで待つ約束でね。私の一存でそれを違えることはできない」


 きっぱりと言い切られて、ルセウス卿が苛立たしげにオードル卿に視線を向けるが、爵位は同じとは言え家格も年齢もオードル卿の方が上だ。

 弁えない態度に、間に入ってくれているオードル卿に申し訳なく思ってしまう。


「お話でしたら、また後日お伺いします。今日はもうレスター様が戻り次第、お暇する予定ですので。申し訳ございません」


 先ほど挑発的な言動をしてしまったことを反省して、穏便に退去願えるよう努めて柔らかい口調で伝える。


 が、それも気に入らなかったのか、またギロリと私に剣呑な視線を向けられた。


「レスター様、ねぇ。婚約者気取りでいいご身分だな」


 婚約者気取りも何も、正式な婚約者だ。穏便な笑顔の仮面がひび割れそうになって、必死に保つ。


「まぁ、ソフィアとオルフィルド卿は相思相愛の素敵な婚約者でしてよ。先ほどオルフィルド卿から、ソフィアとの結婚式のご招待もいただきましたもの」


 エミリアがにっこりと笑顔でルセウス卿の言葉を否定すると、カッと顔を怒りに歪ませた彼は、なんとオードル卿を無理やり押し退けて、私の目の前に立った。


 驚いたエミリアが私を守るように腕を回したのも視界に入らないように、ルセウス卿は私を憎々しげに怒鳴りつけた。


「お前みたいな女が侯爵家にふさわしいわけないだろ!今ならまだ許してやる。捨てられる前にさっさと辞退して大人しく俺のところへ来い!元々お前もそのつもりだっただろうが!」

「はあ?!」


 全く意味のわからないことを言われて、一瞬頭が真っ白になる。


「意味の分からないことを言わないでください!貴方の所へ行く予定なんて、今も昔も全くもってありません!」

「嘘をつくな!俺の気を引きたくてその歳まで粘ってたんだろ?」

「貴方の気を引きたいだなんて、今まで一度も思ったことはありません!」


 人目のあるところで、なんてことを言うのだこの男は。私が身分の高いレスター様に乗り換えて、この男を遊んで捨てたとか、二人の男を弄んでいるとか、そんな噂が立ってしまったらどうする気だ。本当に信じられない。


「君、変な言いがかりをつけないでくれないか。あまりに無礼だろう」


 オードル卿が再び間に入り、ルセウス卿を遠ざけてくれたが、あのバカの声が大きかったせいで、周りからは好奇の視線が痛いほど刺さっている。

 それでなくとも、突然の婚約で噂のまとになりやすい身だというのに。


 どうしよう。どうしたらいい。


 こんなに悪い意味で注目される事など初めてで、泣きたくなる。ここでの対応を誤ると、あたかも誤解が真実かのように広められ、エルダン家どころかオルフィルド家にまで迷惑をかけてしまうことになりかねない。


 ざわりと感じる観衆の囁きが、凍えるほどに恐ろしかった。


 でもここで沈黙しては、この男の言葉を肯定することになりかねない。逃げるわけには、いかない。


「ルセウス卿、誤解のないように言いますが、私が貴方を婚姻相手の候補として見た事など一度もございません。当家からも貴家からも、そのようなお話が具体的に出たことはないはずです」


 声が震えないよう、必死に抑えて言葉を紡ぐ。


「はんっ。俺がいるからと、ここ数年社交界で相手探しもしていなかったくせに」

「私が社交界に出ていなかったことと、貴方とは、一切何の関係もありません」


 こちらの返答を鼻で笑ったルセウス卿が、まだ何か言い募ろうと、口を開いた時だった。



「そうだな、ソフィア。遅くなってすまない」


 不意に後ろから優しい声がして、次いでそっと後ろに引き寄せられた。


「レスター様…」


 あまりの安堵に、涙が滲む。レスター様は後ろから抱いていた私をくるりと反転させると、再び私を抱き寄せた。

 その胸に顔を隠してもらえて、必死に涙がこぼれ落ちないように歯を食いしばる。


 ここで、涙で顔を汚すわけにはいかない。


 小さく震える私を胸に隠したまま、レスター様はゆっくりと口を開いた。


「オルフィルドが、婚約者に迎える女性について、何も知らないとでも?私はソフィアが今までずっと、領地のために多くの時間と労力を費やし、その発展に貢献してきたことをちゃんと知っている。

 私はその聡明さと行動力を心から尊敬しているし、弛まぬ努力とひたむきさを愛している。

 だから、妻にと(こいねが)った」


 わたしの髪をそっと撫でながら言葉を紡ぐレスター様は、ルセウス卿にと言うより、周りの観衆に言い聞かせるように、優しく諭すような口調だった。


 じんわりと沁みるような声音に、少しずつ乱れていた心が収まってくる。


「もちろん、ソフィアに想い人がいないことも知っていた。だが、仮にいたとしても、私はソフィアに振り向いてもらうための努力を惜しまなかっただろう。私の隣に並び立つのは、ソフィア以外にあり得ない。この心はもうすべて、ソフィアに捧げてしまっているのだから」


 静かな熱のこもった言葉が、身体を、心を巡る。


 そっと顔を上げると、ずっとこちらを見てくれていたのか、すぐにそのエメラルドの双眸と目があった。


 その顔が安心させるように優しく笑みを作ると、私の心にもはっきりと、確かな熱が生まれた。


「さぁ、今日はそろそろ帰ろうか。これ以上私のソフィアを、人目に晒したくないんだ」


 その言葉に頷くと、レスター様はそっと私の額にキスを落とした。

 その甘やかな仕草に、観衆の所々から年若い女性の黄色い悲鳴が上がる。


 私も思わず赤くなってしまうが、先ほどの針の筵にいるような恐怖から解放されて、心は随分と楽になった。


 そばにいたエミリアがそっと腕に触れるのに、騒がせた謝罪ともう大丈夫の意味を込めて微笑むと、安心したように微笑みが返される。

 レスター様もオードル卿と短く言葉を交わすと、そっと私の背に腕を回して歩き出した。


 ちょうど出口の方向には言葉を無くして突っ立ったままのルセウス卿がいるが、レスター様はまるで彼の存在が見えていないかのように、一瞥もせずスッと横を通り過ぎる。


 まるで眼中にないことを、言葉も視線も与えないことで示し、場を支配したまま去ろうとするレスター様の余裕溢れる態度は、身悶えするほど素敵だった。


 歩みの先は自然に人が割れ、なんの障害もなくまっすぐ会場を出ると、すぐに馬車が用意されて2人で乗り込んだのだった。





「大丈夫か?」


 2人になってすぐに気遣ってくれるレスター様に、自然に笑みが溢れる。


「ええ。レスター様が助けてくださいましたから。騒がせてしまって申し訳ございません」

「いや、そばを離れるべきではなかった。こちらこそ申し訳ない」


 落ち込んだように言うレスター様に、思わず甘えるようにそっと頭を預ける。


「レスター様がいらしてくれて、本当に心強かったです。おっしゃっていただいた言葉も、嬉しくて。

 ありがとうございます。助けていただいたことも、妻にと望んでくださったことも。とても、嬉しく思います」


 ああ、もう認めるしかない。私はレスター様が好きだ。なんだか今なら凄い加護持ちの子どもだって産めそうな気がする。


 気持ちを認めた途端、自分が思っていたよりレスター様が好きだった事にも気がついて、すごくそわそわする。


「ソフィア?」


 私の様子がいつもと違うことに気がついたのか、レスター様が照れて下を向いた私の頬に、そっと手を添えて自分の方へと向かせる。

 顔が赤らんでいる自覚はあるが、こちらの顔を見てはっとしたレスター様から察するに、思った以上に感情が露わになってしまっていたのだろう。


 急に怖いほど真剣になったレスター様は、真っ直ぐに私にエメラルドのひとみを合わせる。


「ソフィア、私の妻になるのは嬉しいのか?」

「う、嬉しいです」

「それはなぜ?」

「…っ」 


 レスター様が言外に言いたいことを察して、ますます顔が赤くなる。


 でも、今までレスター様が私にまっすぐ伝えてくれた言葉を思うと、ここで適当に誤魔化すのは不誠実だ。

 私はレスター様にちゃんと向き合ってもらいたい。だから私も、きちんと向き合わないといけない。


「わ、私が」

「ソフィアが?」

「レスター様を」

「私を?」

「好き、だから」

「・・・っ!!」


 言い切った瞬間、レスター様が声にならない悲鳴をあげて、私をぎゅっと抱きしめた。


 苦しいほどの力なのに、どうしようもなく嬉しく思ってしまう。


「私も、私もソフィアが好きだ。ずっとずっと、好きだったんだ」


 そう言うレスター様の声は、今までになく感情的で、気がつく。


 今まできっと、私のこころが追いつくまで色々抑えていてくれたんだろう。戸惑うことはあっても、本気で怖いとか逃げたいとか思ったことはなかった。

 初めから好きだから結婚しろ、と感情露わに迫られていたら、私はきっと怖気付いたし、苦しい思いをしただろう。


 そういう意味ではとても策士で、まんまと罠に嵌ってしまった感はあるけれど、今となってはそういうところも格好良いと思ってしまうのだから完敗だ。


 今は、その好きだという言葉に隠すことなく宿る熱が、とても嬉しいのだから。


 言葉少なに抱き合う時間はあっという間に過ぎて、気がつけば馬車はエルダン家に到着していた。


 別れ際にそっと頬に落とされたキスはすごく優しくて、去っていく背中を見ながら、またすぐに会いたいと願っていた。





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