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この世で一番幸福な

 いつのまにか現れた使用人が案内してくれた扉の前に立ち、そっと息を吐く。

 目線で大丈夫か問われたので頷くと、レスター様は扉をノックして静かに声を上げた。


「レスターです。お呼びの通り参りました」

「入れ」


 許可が出たので入室すると、中には第二王子殿下が一人でソファに座していた。


 正面のソファを示されたので腰掛けると、さて、と呟いてレスター様に視線を向けられた。


「レスター?随分と婚約を急いだね。お陰でこちらも慌ただしく働かされたよ」

「申し訳ございません」

「確かに早く身を固めてくれとは言ったが、全部すっ飛ばしていきなり求婚するとはね?」

「それは…、私も予想外でしたので。ですが、必要なことはすでにお調べになっていたのでしょう」

「ああ、そうだね。君がヘタレだったから、下調べの時間だけはたっぷりもらえたよ」


 はぁ、と困った子を見る目つきでレスター様を見やると、殿下はヒヤヒヤしながら二人の様子を見ていた私に声をかけた。


「すまないね、エルダン伯爵令嬢。オルフィルド家が特殊なのは知っているだろう?だからね、オルフィルドに求められた女性は、必ず一度王家のものに面会してもらうんだ。そして、」


 すっと息を吸った殿下は、次の瞬間怖いほど真剣な眼差しで私を見据えた。


「ここからの話は他言無用だ。家族も例外なくね。ソフィア エルダン。守れるか?」

「…はい」

「よろしい。では本題に入ろう」


 そう言ってにこっと笑った殿下からは、先程一瞬見せた身のすくむ程の威圧感は綺麗に消えている。


 けれど余韻でまだ全身に緊張が蔓延っていて、震えないよう無意識に両手を強く握っていた。と、その上に不意にあたたかさが降ってきた。


「っ…」


 隣に視線を向けると、レスター様が心配そうにこちらを見ており、膝の上で握りしめた私の両手には、彼の手のひらがそっと包むように置かれていた。

 じわり広がる温もりに、過度な緊張がそっと解けていく。


「まぁ、問題なさそうだから婚約承諾書まで出して、順序を逆転させてあげたんだけどね」


 そう若干投げやりに殿下が仰ったことで、思ったより長くレスター様と見つめあってしまっていた事に気がつく。


 ハッとして殿下に視線を向けると、呆れたように私とレスター様に視線を向けて、はぁとため息をついた。


「まず、始めに聞くことは決まっているんだ。聞くまでもないことかもしれないが、ソフィア エルダン。貴女はレスター オルフィルドに好意を持っており、自分の意志でもって求婚に応じたか?

 もし、金銭や爵位を盾に意に沿わぬ婚約を強いられたのであれば、王家が責任を持って貴女を保護しよう。

 他に好いた相手がいれば結ばれるよう手助けするし、金銭や領地が理由であれば解決に人手を貸すことも可能だ。この婚約を白紙にすることで、貴女や家に不利益が生じないことを王家が保証する。

 だから、正直に述べてくれ」


 そう問われて、驚きに目を見張った。私がオルフィルド家にふさわしいかを問われるかと思っていたのに、逆に婚約を無理強いされていないかを問われるとは、思ってもいなかった。


 思わず隣のレスター様を見やると、縋るような眼差しを向けられたので、きっと本当に言葉通りのことを問われているのだろう。


「この婚約は私も望んでのことです。強制などはありませんでした」

「外堀を埋められたあげく、爵位を笠にきて強引に迫られて断れなかった。という訳でもないのかな?」

「殿下っ」

「レスターは心当たりがあるみたいだね」


 殿下が冷たい視線でレスター様を睨むと、レスター様はそれ以上何も言わずに唇を噛んで俯いた。


 もしかして、ダンス後に殿下にお声をかけられた後、難しい顔をして不安に瞳を揺らしていたのは、こう問われると分かっていたからなのだろうか。


 確かに公衆の面前での結婚宣言と格上貴族からの求婚で、私側に断る選択肢はほぼなかった。殿下はそのことを指摘しておられるのだろう。

 もしレスター様以外の方であれば、私が殿下に助けを求める未来も、あったのかもしれない。


 けれど。


「確かにこの縁談は、エルダン家からはお断りし難いものでした。ですが今はもう、その事はあまり気にしておりません。

 レスター様は私を、私の積み上げてきたものを認め、評価してくださいました。

 私はそれが、心底嬉しかったのです」


 尊敬できる女性だと言ってくれた。正面から向き合える貴女のような人を望んでいると言ってくれた。


 周りから蔑み貶められるのが常だった身に、その言葉がどれほど沁みたか。時間が経つほどに、その言葉は古傷を癒し、心の中でより輝きを増した。


「始まりがどうあれ、今はレスター様の伴侶にと望んでいただけたことは、これ以上ない幸福だと思っております。そしてこれから先、レスター様をお支えするのは私でありたいと、そう願っております」


 正式に婚約を結んでからも、レスター様は私に心を砕いてくれていた。その心遣いを少しずつでも返していきたいと、そう思うのだ。


「ですので、保護や援助は私には必要ありません」


 きっぱりと言い切ると、隣に座るレスター様がハッと息を呑んだのがわかった。

 そして目の前の殿下は、なんとも満足そうに微笑んだのだった。





「なるほど。舞踏会での暴挙を聞いた時には頭を抱えたが、初対面からさほど日もおかずここまで言わせるとはな。レスターも隅に置けない」


 ちらりと揶揄うような視線をレスター様に向けた後、殿下は再び真面目な表情でこちらに向き直った。


「オルフィルドが血筋に精霊の加護を得ていることは知っているな?公にはできないが、その加護を持つが故の縛りもまた存在する」

「縛り、でございますか」

「左様。その一つが伴侶に関わるもの。オルフィルドには必ず加護を持つ男児が誕生するが、愛のない婚姻の場合はその限りでない」

「愛のない婚姻…」


 それを聞いて少し不安になる。愛のない結婚でないとは言えるが、精霊が認めるほどの愛に溢れた婚姻かと問われると、具体的な基準が無い分、大丈夫だとは言い切れない。

 こちらの戸惑いを感じてか、殿下は安心させるように言葉を続けた。


「君たちなら問題ない。愛が深い方が加護も強く出るが、それなりに情があれば問題はないんだ。

 ただ、オルフィルドの男はこと恋愛に関して直情径行な振る舞いをすることがあってね。過去には相思相愛の婚約者がいる令嬢の家に、強引に婚姻の申込を行った例もあったらしい。結婚相手に憎まれていては、加護の継承など叶うわけもない。それ故、王家が間に入っている」


 思わず隣のレスター様の方を見ると、さっと視線を逸らされた。


「ちなみに、その例では王家が婚姻を認めず大失恋した後、その傷を慰めた令嬢と数年後に結ばれて事なきを得たらしい。そうやって周りを振り回しながら、なんとかオルフィルド家は存続しているんだ。だから息子が生まれたら、情操教育には是非力を入れてほしい」

「ぜ、善処いたします」

「そしてもう一つは、能力に関するもの。何となくは聞いているかも知れないが、オルフィルド家の男は土地を治める能力に欠ける。そして最後が、所属に関するもの。例えばオルフィルドがこの国を捨てて他国に亡命すれば、その加護は消える。

 まあ、この辺りは興味があれば後でレスターに聞いてくれ。王家に認められた以上、オルフィルド家に関することも貴女は知ることができるのだから」

「かしこまりました」


 そして、と殿下は言葉を続けた。


「先に言った通り、この件は他言厳禁だ。オルフィルドの加護はこの国の要。この情報をもって奸計をめぐらすものが出ないとも限らない」

「誓って他言は致しません」

「よし。ならば、私の仕事はこれで終わりだ。というより、メインはそこの暴走男にお灸をすえる事だったしね」


 ちらりと咎める視線をレスター様に送った後、殿下はこちらには含みのある笑みを向けた。


「では後は、二人の仲を深めるのに時間を使ってくれ。ああ、言っておくがもう心変わりなどしてくれるなよ?例えレスターが貴女に一目惚れした後2年間、声もかけられなかったヘタレだと知ってもね。まぁ、本気で無理になったら速やかに報告するように」

「殿下‼︎」

「ははっ。王家としてはそのヘタレのおかげで色々準備も整えられて有り難かったけどね。そうそう、今までレスターに肩入れして動いていた詫びに、今度息子をエルダン領に送ろう。

 あれが婚約者連れで訪れれば、話題くらいにはなるだろうから」

「!」


 弟とエルダン領で行った改革は、若い恋人達をターゲットにしたものだ。宿泊施設やデートコース、結婚式場まで揃えていて、旅行先や挙式の地として徐々に人を集めている。どちらかと言うと庶民向きではあるが、王子殿下が来てくだされば、大きく話題になるし、貴族の来訪も望めるようになるかも知れない。


「大変ありがたく存じます。領地をあげて歓迎させていただきますので、日程がお決まりになりましたらご連絡ください」

「ああ。では妃をひとり残しているし、私はそろそろ会場に戻ろう。来年の結婚式を楽しみにしているよ。お幸せに」


 そう言うと、にこやかな笑みを残して殿下は部屋を出ていってしまった。


 なんだか嵐が去ったようで、しんと静まった部屋の空気に茫然としていると、不意に隣から腕が伸びてきて、ぎゅっと抱きしめられた。


「っ⁉︎」

「ソフィア」


 驚いて固まった私の身体はすっぽりと腕の中に閉じ込められて、すりすりと頭に頬擦りしながら更にぎゅっと胸に抱き込もうとするレスター様に、抵抗できずにされるがままだ。


 今鏡を見たら、ぜったい私の顔は真っ赤に違いない。


 しっかりと身体に伝わる温もりに、居た堪れないような、安心するような、相反する感情が交互に湧いてきてどうとも表現できない。

 ただただ抱きしめられるがまま感情の波に耐えていると、しばらくしてようやく満足したレスター様が、私を閉じ込める腕を緩めてくれた。


 好き勝手して満たされた顔をしているレスター様を思わず恨めしげに睨むと、なぜか更に笑みが深くなって、頭に一つ優しいキスを落とされた。


「ありがとう、ソフィア。貴女の婚約者でいられる私は、きっとこの世で一番幸福な男だ」


 そう恥じらいもなく言ってのけるレスター様の、一体どの辺がヘタレなのか。

 謎の敗北感に打ちひしがれながら、でもこうして飾らずに見せられる好意がどうしようもなく嬉しいと思ってしまう。


 敵わないなぁと思う、そのなんと幸せな事か。


 その幸せを失わないよう努力したいと思いながら、そっとレスター様の胸に頭を預けたのだった。



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