護国神社のラジオ塔
挿絵の画像を作成する際には、「AIイラストくん」を使用させて頂きました。
生命力に満ち溢れた瑞々しい新緑は目にも鮮やかだし、五月晴れの空の下で吹き抜ける初夏の風は実に心地良い。
放課後にマウンテンバイクを飛ばして訪れた護国神社の境内は緑も豊かだから、フォトコンテスト用の写真撮影には最適の環境だったよ。
「よし、そろそろ引き上げようか!素材も一通り集まった事だし、後は家に帰って応募作品用の写真を選ぶだけだね。」
「良い写真が沢山撮れたね、和歌浦さん。後はコンテストに入選出来たら、言う事無しだよ。」
同じ榎元東小学校三年一組の友達である袖掛町子さんは、私の呼び掛けに朗らかな笑顔で応じてくれた。
クラスメイトの存在ってのは、全く有り難いものだよ。
堺市立榎元東小の校区内から護国神社までの道中も、友達と一緒なら楽しいサイクリングに早変わりしちゃうんだからさ。
ここでサッサとマウンテンバイクに跨って帰路に着いていれば、何事も起きずにケリがついていただろうね。
平凡な日常を非日常に一変させた切っ掛けは、友人の何気無い一言だったんだ。
「だけどさ、和歌浦さん…少しだけ時間を貰えないかな?ちょっと寄りたい所があるんだよね。」
「どうした、お町?入選の願掛けに御百度でも踏もうってのかい?」
自分で言うのも何だけど、「御百度参り」なんて小三の小娘の台詞じゃないね。
ジョークにしても、少し空回りしていたかな。
余談だけど、この「お町」ってのは私が袖掛さんに付けた愛称だ。
まるで時代劇の町娘みたいな呼び方だけど、特に文句をつけられた覚えはないから、当人としても悪い気はしないのだろうな。
その癖、私の事は「和歌浦さん」と苗字で呼んでくるんだからね。
あだ名は流石に抵抗があるにしても、「マリナちゃん」という具合に下の名前で呼んでくれても罰は当たらないのになぁ。
「違うってば、和歌浦さん!ちょっとした珍しい物を見掛けたんだ。あの納札所の右隣をよく見てよ。」
お町が指差す先にあるのは、三メートルはあろうかという灯籠みたいな石造りの塔だった。
便宜的に「灯籠みたい」とは言ったけれど、火袋から下にかけてが随分とノッペリしている所からも、それが単なる石灯籠ではないのは一目瞭然だったよ。
「ほら、見て!ラジオ塔だよ、和歌浦さん!しかも、ちゃんとラジオが入ってる!」
「コイツは珍しいな、お町。大浜公園にあるのは知っているけど、この護国神社にも残っていたとはね…」
ラジオ放送の普及を目指した国営放送や地元の有志達が建設した、街頭ラジオの聴取施設。
そんなラジオ塔は、第二次世界大戦の前後にかけて日本各地に幾つも設置されたんだけど、一般家庭にラジオが普及した事で役割を終え、次第に利用されなくなっていったんだ。
だが、近年では文化的価値が認められて保存活動や再活用が全国各地で盛んに行われるようになり、往時の姿を取り戻したラジオ塔も少なくないらしい。
堺市の大浜公園や京都の船岡山公園に行けば、現存するラジオ塔から流れる音楽に合わせて、地元住民がラジオ体操を踊る姿を見る事も出来るんだ。
この堺護国神社のラジオ塔も、機械類を取り外されて放置された遺構ではなく、街頭ラジオとしての機能を備えた現役の聴取施設のようだね。
「見て、和歌浦さん!ボタンが押せそうだよ。押しちゃおっか?」
ところがお町の奴と来たら、キチンと整備されているのを良い事に石塔のラジオを動かそうとするんだもの。
本当に困ったもんだよ。
「止せよ、お町…勝手な真似して怒られても、私は知らないぞ。」
「大丈夫だよ、和歌浦さん。気にしすぎだって。」
お町は私の忠告を軽く聞き流すと、喜々としてラジオ塔のボタンを押してしまったんだ。
馬の耳に念仏とは、正しくこの事だな…
「だって、本当に駄目なら『押さないで下さい』って注意書きがあるはずだもの。」
「しょうがない奴だな、お町は…」
まるで悪びれる様子の無い友人に苦笑しながらも、私はスピーカーから聞こえてくるラジオ放送に耳を傾ける事にしたんだ。
何しろ現存するラジオ塔の中には、国の登録有形文化財に指定されているのも少なくないからね。
言うなれば、歴史の生き証人。
そんなラジオ塔から流れてくる放送を聞くのも、貴重な経験になるはずだ。
何とも無邪気な話だけど、当時の私はそのように考えていたんだね。
年季の入ったラジオ塔のスピーカーから聞こえてきたのは、国営放送と思わしきニュース番組だった。
独特のイントネーションや殊更に生真面目な口調も、国営放送のラジオアナウンサーと考えれば不自然ではなかったよ。
「んっ?」
「えっ…?」
だが、アナウンサーの読み上げるニュース原稿は、あまりにも異様な内容だったんだ…
「なお、本日の臨時閣議において、東郷平八郎元帥の国葬奏請が決定されました。葬儀委員長には…」
ニュース原稿の内容には関しては、問題なく理解出来た。
しかし、何故このニュースが放送されているのかは皆目見当がつかなかった。
日露戦争の英雄として名高い東郷平八郎元帥が亡くなられたのは、確か一九三四年のはずだ。
どうして今になって、その訃報がニュース番組で報じられるのだろう。
その後に報じられたニュースも、イタリア王国のムッソリーニ首相の動向や東北地方の記録的冷害など、一九三四年当時の世相を反映した物だったんだ。
「どうなってるの、和歌浦さん?東郷元帥が亡くなったのって、大昔の話だよね?」
「私に聞くなよ、お町!はっきりしているのは、あのニュース番組は今の放送じゃないって事だけだ!」
驚いた私達は脱兎の如く駆け出し、ラジオ塔が視界に入らない所まで一目散に走ったんだ。
年若い巫女さんを御神籤売り場で見掛けた時には、正直言ってホッとしたよ。
そうしてラジオ塔のボタンを勝手に操作した事を詫びながら一部始終を説明し、巫女さんの手を引いて戻った時には、ラジオ塔は何事も無かったかのように沈黙していたんだ。
巫女さんに立ち会って貰いながら再びボタンを押してみたけれど、聞こえてくるのは上方落語「時うどん」を演じる中堅噺家の朗々とした声ばかり。
あの奇妙なニュース番組を聞いたのは、後にも先にも一度きりだったんだ。
「もしかしたら、この護国神社にいらっしゃる英霊の方々が、東郷元帥の事を懐かしんでいらっしゃるのかも知れないわね…」
そう呟きながらラジオ塔を見つめる巫女さんの声色に、恐怖の響きは少しも感じられなかった。
「何と言っても、今日は五月三十日。東郷元帥の御命日だもの…この護国神社も日露戦争で亡くなられた方を大勢御祀りしているから、東郷元帥を御慕いされる英霊の方々は大勢いらっしゃるはずよ。」
年若くとも、流石は英霊達を祀る護国神社に仕えし神職者。
感極まった独白から読み取れる感情は、皇国の未来を守る為に生命を捧げた先人達への、真摯な敬意と感謝の思いだけだったんだ。
「ねえ、和歌浦さん…私達も改めて御参りした方が良いんじゃないかな?」
「然りだな、お町。私達が聞いたラジオ放送は、ここに眠る英霊達の東郷元帥に向けた敬意の証だったんだ。」
敬愛する故人を偲ぶ気持ちは、生者も死者も変わらない。
それに思い至った時、驚きと混乱でラジオ塔から逃げ出した自分達の行いが、俄に気恥ずかしくなったんだ。
日露戦争は勿論、二度の世界大戦や、その後の沢山の戦争や紛争で亡くなっていった人達がいたからこそ、私達の生きる現代がある。
その人達の犠牲を無駄にしないためにも、そして「生命と引き換えに守って良かった」と喜んで貰うためにも。
今を生きる私達は、先人達の誇りに背く真似を働く訳にはいかないんだよ…