第7話「これで泣き止んで!」
それにしても、このふたり……
まるで、握手しているみたいだねぇ。
心の底からの感動を隠し切れない少年と、嫌がるそぶりも見せずに少年の指をつかんで離さないジュスティーヌさん……
ふたりを見守っているうちに、アッチェレさんは自分の強張っていたらしい表情が緩んでいくのを感じていた。
今日は馬車の順番が回って来なくても大丈夫。
乗れないと決まったわけじゃないんだ、そのうち必ず順番は回ってくる。
それで船に乗れなかったときは、港町カイサーで暮らしてみるのも悪くない。
「……」
アッチェレさんがそんなことを考えている間も、少年は無言のままじっとジュスティーヌさんを見守っていた。
そこからさらに10分ほどが過ぎても、少年はジュスティーヌさんと握手を続けていた。
あらら……
ふたりとも、よく飽きないね。
アッチェレさんは、改めて目の前の少年を観察してみた。
クルクルでこげ茶色のくせっ毛、深い緑色の瞳……
背丈は、背の高いアッチェレさんの肩あたり。
年の頃は12、3歳。
それだけなら、ソニード王国の城下町あたりで暮らしている子どもと何ら変わらないだろう。
しかし……
少年の身なりは、平凡な子どもたちとは違っていた。
彼の身長にぴったり合っている厚手の上品なコートは、おそらくどこかの高級品店の特注品だろう。
値段なんて、想像することすら憚られる。
なぜそこまで詳しくわかるのかというと、メヌエさんが同じような特注品のコートを大切にしていたからだ。
メヌエさんが「体形が変わっても着られるのよ」と自慢していた、自分にピッタリのコート……
メヌエさんが譲ってくれたそのコートは、背の高いアッチェレさんには「つんつるてん」で、手元に置いておいても仕方がないので泣く泣く売ってしまった。
けれども、かなり高額で売れたおかげで、ジュスティーヌさんにかかる諸々の費用と自分の旅費を心配することがなくなり、今までかなり助けてもらったのだった。
そんな特注品のコートと似たようなコートを着ている少年が、相当裕福な家庭に生まれ育ったことは、アッチェレさんには一目瞭然であった。
そして、そんな少年が乗合馬車の待合所にいるということは……
……いや、わざわざ考えることでもないし、考えたって何も変わりゃしないんだ。
だからあたしは、あたしより先に馬車に乗る少年を、ちゃんと見送ってあげようじゃないか。
子供を妬むほど、心の狭い人間にはなりたくないからね。
「……ふふっ」
アッチェレさんの目の前では、まだ少年がジュスティーヌさんと握手をしていた。
それにしても……よかった。
この少年のおかげで、ジュスティーヌもご機嫌になったまま寝付いてくれそうだよ。
だから、しばらくは少年の気が済むまで、好きにさせてあげよう。
アッチェレさんがふたりを見守り続けようと決めた、まさにそのとき。
待合所の大きな柱時計が、15時を告げる鐘の音を鳴らした。
あら、もうこんな時間……
ここに来たのはお昼ぐらいだから、もう3時間になるんだねぇ。
アッチェレさんが心の中で呟くのと同時に、少年が何かを思い出したように「あっ!」と声を上げた。
「15時に父さんとお土産屋さんで待ち合わせしてたんだった!!」
少年はそのまま駆け出そうとして、慌てて足を止めると、
「それじゃあ、元気でね」
ジュスティーヌさんの手を傷つけないように、優しく人差し指を抜いた。
そうか、お父さんと来ていたんだね。
15時に待ち合わせなら、もう過ぎているから急いで行きな。
アッチェレさんが駆けだそうとした少年に声をかけようとした、その瞬間、
「……っ! っうわああああぁぁぁぁん!!」
それまで大人しくご機嫌だったジュスティーヌさんが突然、火がついたように泣き出した。
その大地すら震えるような大音量に、待合所にいた全員がアッチェレさんと少年に視線を向けている。
「わ……わわっ……ど、どどどうしよう……!」
ジュスティーヌさんの豹変ぶりに、少年は驚き慌てている。
そんな少年の声がか細く聞こえるほど、ジュスティーヌさんはその場の注目を浴びて泣き続けていた。
この泣き方は……
お腹が空いたわけでも、お尻が気持ち悪いわけでもなさそうだね……
アッチェレさんは、ジュスティーヌさんを揺すったりあやしたりしてみたものの、まったく効果がなかった。
かばんから出した鈴のついた小さな棒のおもちゃも、お気に入りのアヒルのぬいぐるみも、花柄のおしゃぶりも、ジュスティーヌさんは気に入らないとばかりに投げ捨てていく。
ああ、どうしよう……
このままじゃ、迷惑だからってここを追い出されてしまうかもしれない。
そうなったら、もう馬車には乗れない……!
なすすべのなくなったアッチェレさんが頭を抱えていると、
「うわあぁ……」
突然、ジュスティーヌさんがぴたりと泣き止んだ。
え……?
どうしたんだい……?
アッチェレさんが視線を向けた先には、ぽかんとした顔のジュスティーヌさんと、人差し指をジュスティーヌさんに握らせている少年の姿があった。
少年の顔は真剣そのもので、
お願い! これで泣き止んで!
と、書いてあった。
「……」
待合所には、一瞬の静寂が訪れた。
そして、少しずつ先ほどと変わらないざわめきが戻ってきた。
ジュスティーヌさんは、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で、少年を見つめていた。
アッチェレさんがガーゼで顔を拭いてあげると、それまでの泣き声が嘘のように、嬉しそうに少年の指をぶんぶん振って喜んでいた。
「……あらら」
アッチェレさんの口から、思わずといった調子の声が転がり出てきた。
「あー……あはは」
そして、少年も困ったように笑っている。
お互いに、この体勢のままでいなければ大変なことになると悟って、アッチェレさんと少年は苦笑いを浮かべていた。
……こうして、何分かが過ぎたものの、ジュスティーヌさんは少年の指を放す気配すらない。
アッチェレさんは、さすがに申し訳なくなってきた。
「すまないねぇ……お父さんと、待ち合わせしてるんだろう?」
放してもらえない自分の指先を見つめる少年に声をかけると、少年は眉尻を下げて頷きつつ、口を開いた。
「でも……ここで僕がいなくなったら、大変だから……それに、父のことなら心配いりません。たぶん、僕のことを探してここまで来ると思うから、そのときに説明すればわかってもらえると思います」
「あたしが、ここを離れられればよかったんだけど……」
「そんな! 気にしないでください! 馬車の順番、抜かされちゃったら困るでしょう!? 僕のことなら、何も心配は……」
と、そこで少年とアッチェレさんの会話を遮るようにして、
「ジークレフ!!」
ひとりの男性が、血相を変えて待合所へと飛び込んできた。
そして、あたりを見回して少年の姿を見つけると、早足でアッチェレさんたちのところへと近づいてきた。
男性は30代後半といったところで、こげ茶色のくせっ毛に同じ色の澄んだ瞳をしていた。
そして、少年と同じ仕立ての良いコートを着ている。
この男性が何者かは、一目瞭然だった。
「父さん!」
少年は、ジュスティーヌさんから指が離れないように気をつけつつ、後ろからやって来る男性のほうを振り向いた。
少年の父親である男性は、早足から駆け足になり、肩を怒らせて近づいてくる。
これは、かなりご立腹だねぇ。
待ち合わせをすっぽかしただけで、そんなに怒るなんて。
もっと優しいお父さんかと思っていたのに。
勝手に期待して幻滅したアッチェレさんは、同時に考えていた。
……ここは、あたしがなんとかしないと。
つづく




