第8話「そう来ると思った」
原稿を受け取る担当である連載小説が終わるということ。
それは、もう作者のところへ原稿を受け取りに行くこともなくなる、ということ。
原稿を受け取らなくてよいということ。
それは、もう船長に会う機会がなくなってしまった、ということ。
「……」
香辛出版の2階にある編集室。
その片隅に申し訳程度に置かれているのが、わたしの机である。
使うこともないから散らかることもない机。
そこに頬杖をついて、もう数えることに飽きてしまった小さなため息を漏らす。
机の上に唯一置かれているのが、無駄に余白の多い卓上カレンダー。
ここの主は自分だと言わんばかりの我が物顔で陣取る卓上カレンダーには、とある日付に目立たないような小さな丸が付けられている。
それはもちろん、わたしにとって唯一の予定……
船長の原稿を受け取る日だ。
日付に丸が付いているのは、昨日で最後。
昨日の後は、日付に丸はない。
毎日見ていたはずなのに、感想をもらえた嬉しさに浮かれてすっかり忘れていた。
おかげで、船長に最後の挨拶もできなかった。
ん……?
いや、したかな……
覚えていない。
それにしても……
もう、船長に会えないなんて。
「寂しいなぁ」
ため息とともに吐き出した言葉。
「何が寂しいんだ?」
どこからか聞こえた声に、わたしは喋り続ける。
「せっかく短編小説も読んでもらえて、仲良くなれたのに、船長の連載が終わって、わたしが隠れ家へ行くこともなくなってしまったから、もう船長に会うこともないんだって思ったら、寂しくて……って、えぇ!?」
ちょっとちょっと!
なにしれっと独り言に参加してるんですか!
というか……
なんで気がつかないのよ、わたし!
いろいろとツッコミを入れつつ振り向いた先に、もう会えないと思っていたあの人が立っていた。
「船長っ!」
「大げさな。近々香辛出版にお邪魔すると伝えていたはずだが」
船長はそう言うと、驚くわたしから机に視線を移した。
そして、カレンダーの丸印に気がついたらしい。
「ここまで楽しみにされていたとは……もっとお茶やお菓子を出して、もてなせばよかったかな」
「え、いや、そんな……」
それじゃあまるで、わたしがお菓子を楽しみにしていたみたいじゃありませんか。
違いますよ、船長。
わたしが楽しみにしていたのは……
「船長、こんなとこで油売ってる暇はありませんよ」
そのとき、船長の後ろからエフクレフさんがぬっと現れた。
そして、不機嫌な顔のエフクレフさんに促されるまま、船長はタイム編集長の机へと歩いて行ってしまった。
なるほど。
編集長のお客様としていらっしゃったのね。
ん?
ちょっと待って。
こんなとこ……?
わたしがエフクレフさんのちょっとイジワルな一言に気がついて、後ろ姿を睨みつけている間……
船長とタイム編集長は、絶えず何かを話し合い続けていた。
もしかして船長、次の連載小説も担当させてくださいって、頼みに来たのかな。
そして、受け取りはシーナに任せてくださいって話になってたりして……
そうしたら、また同じように船長に会える日々が続くわけで……
幸せすぎる!
「おーい! シーナ君!」
幸福な妄想に浸っていると、なんだか嬉しそうなタイム編集長に呼び出された。
お、これはもしかして……
わたしを原稿受け取り係に再任するという呼び出しでは?
タイム編集長がすごい勢いで手招きしているので、わたしもワクワクしながら駆け寄った。
編集長の机の前に立つと、自然と船長の隣に立つことになる。
普段はテーブルを挟んで座っているだけだからわからなかったけれど、船長はわたしより頭ふたつ分は背が高いみたいだ。
……なんてことを考えてしまうのは、緊張している証かもしれない。
けれども編集長は、そんなわたしにはお構い無しに、すこぶるご機嫌な様子でニコニコしている。
そして、とんでもないことを言い出した。
「シーナ君、先ほどジークさんから聞いたよ。連載小説がメインになりつつある『週刊さんぱんち』の次回の連載小説、今度は君が書いてくれるそうじゃないか」
「……は?」
え、何?
何の話?
全然聞いてませんけど!?
戸惑って船長と編集長の顔を見比べていると、それまでニコニコしていた編集長が、わたしにつられて不安げな顔になった。
「ジークさんからそう聞いたんだが……違うのかい……?」
編集長の蚊の鳴くような心細げな声に、ジークさんこと船長はブンブンと音が聞こえるくらい大きく首を振った。
「いいえ、違わないですよ。次の小説はシーナが書きます。昨日の帰り際に、そう約束しましたから」
シーナ、忘れたなんて言わせないぞ。
今にもそんなことを言いそうな木賊色の瞳が、じっとわたしを見つめていた。
ああ……
なんとなく、思い出してきた。
それは、原稿を受け取る少し前のこと、だったと思う。
船長の感想という、嬉しい言葉にのぼせ上がっていたわたしの耳に届いた、別世界からの暗号みたいに遠い言葉。
『次の連載小説はシーナに書いてもらおう。今度、タイム編集長に挨拶に伺うことにする。きっと賛成してもらえるはずだ』
確か、そんなことを言われたような気がする。
わたしはというと、浮かれてのぼせた頭でコクコクと頷いていた。
……ような気がする。
「シーナ君、そうなのか?」
その一言で現在に引き戻されたわたしは、今度は目の前の編集長に向かってコクコクと頷いていた。
編集長はというと、命の危険から逃れたかのように安堵の表情で息を吐いた。
「ああ、よかった……助かったよ。これからの『週刊さんぱんち』がペラペラにならずにすむからね」
「ペラペラ……あれ、以前『大国の貴族様、我が国をお忍び旅行中か?』みたいな特ダネの話、してませんでした?」
どこかの国の、どこかの貴族様が、このエスペーシア王国の城下町にいらっしゃっていて、お忍びで旅行中らしい……
そんな噂話が巷に流れ始めたのは、わたしが船長に1話目の短編小説を手渡した頃だった。
あまりに情報が曖昧で、確固たる証拠もない。
それなのに、城下町はこの噂話で持ち切りで、香辛出版を含め多くの出版社が貴族様の真相を探っているという。
タイム編集長も、次の『週刊さんぱんち』には、絶対に噂話の真相を載せてやる、なんて息巻いていたのに、
「あ〜、アレはまだ真相がハッキリしていない情報しかないからなぁ。それに、掲載したところでだいたいペラペラだからなぁ、うちの『週刊さんぱんち』は。あはは」
そう言って、まるで他人事のようにケラケラ笑っている。
いやいや、笑いごとじゃないと思うんだけど……
と、呆れるわたしの隣で船長がすっと小さく手を挙げた。
「それなら、シーナの小説を2話分載せればいい」
その提案に、編集長は顔を輝かせた。
「さすがはジークさん! シーナ君、やってくれるかい?」
そう来ると思った。
有無を言わせぬ編集長の言葉に、わたしは大きく頷いていた。
「はい、やります。わたしに書かせてください!」
実は、心のどこかで期待していたのだ。
自分の実力が発揮できる場所を提供してもらえることを。
胸に手を当てるわたしに、船長が隣で「頑張れ」と囁いた。
その言葉が、わたしを動かしていく。
必ず、良いものを作り上げよう。
そして、また褒めてもらおう。
船長に褒めてもらえるのなら、わたしはたとえ火の中水の中、大空の彼方までだって飛んでいける。
書いて書いて書きまくってやるーっ!
わたしの背中からは、やる気という名の炎が燃え上がっていたのだろう。
船長の後ろに控えていたエフクレフさんが、すっとわたしと距離をとっていた。
つづく




