第5話「母さまぐらいで、ちょうどいいよ」
「……」
アッチェレさんの、まるで陶器を扱うかのような慎重な問いかけに、メヌエさんはすっと目を伏せてしまった。
実はアッチェレさんは、メヌエさんには内緒で戸籍などの情報を調べていた。
ジュスティーヌさんの父親は、すでに亡くなっていること……
その父親の家族も、母親であるメヌエさんを引き取った家族も、諸事情により今は連絡がつかなくなっていること……
そして、たとえ連絡がついたとしても、あまり頼りにならないだろうということ……
どこまで調べてもジュスティーヌさんがひとりであることは、アッチェレさんにもわかっていた。
「……」
メヌエさんはというと、アッチェレさんの質問に、すぐには答えようとしなかった。
その思いつめた表情からは、ジュスティーヌさんのことはすでに決まっているものの、それをアッチェレさんに教えることを渋っているように見えた。
そして……
孤児院にいた頃から人の顔色を窺って生きてきたアッチェレさんには、メヌエさんが言いたくないこともすぐにわかってしまったのである。
メヌエ、あんた、まさか……!
アッチェレさんが口を開けて固まっていると、メヌエさんは迷った末に決意したのか、目を伏せつつも口を開いた。
「あのね、アッチェレ……プラデラにはね、優しい人たちが運営している、大きな孤児院があるのよ」
「……」
……うん。
そう言うんじゃないかって、思っていたよ。
でも……
だからって、そんなの……!
「馬鹿言ってんじゃないよっ!!」
アッチェレさんの喉も枯らさんばかりの絶叫に、メヌエさんはびくっと身体を震わせ、寝息を立てていたジュスティーヌさんは目を覚まして泣き出してしまった。
アッチェレさんは、動けないメヌエさんに代わって、ジュスティーヌさんを抱き上げた。
ごめんごめん……
ちょっと、怖がらせちゃったね。
アッチェレさんは、よしよしと身体を上下に揺らしながら、ジュスティーヌさんが泣き止むのを待った。
その間も、メヌエさんは縮こまったまま動かない。
メヌエ……
あたしたちが孤児院で苦労したこと、忘れちまったのかい?
どうしてこの子にまで、母親と同じ苦労をさせないといけないんだよ。
こんなことになる前に、もっといろいろ考えておく時間はあったはずだ。
あたしに、相談するとか、さ……
あたしに……!
アッチェレさんの頭の中を、口にしたいことが川の激流のように流れては消えていった。
本当は、もっともっと言いたいことがたくさんあった。
それなのに、口をついて出た言葉は、
「メヌエ……いったい何のために、あたしがここにいると思っているんだい」
たった、それだけだった。
そしてアッチェレさんは、ぽかんとしているメヌエさんに、こう言ったのだ。
「ジュスティーヌのことなら、心配いらないよ。メヌエの代わりに、あたしがこの子の母親になって、大切に育てていくから」
どうしてそんなことを言ってしまったのか、アッチェレさん自身にもわからなかった。
母親というものがわからない自分には、この子を育てていく自信なんてもの、最初から持ち合わせていないというのに……
ただひとつ、明らかなことは……
アッチェレさんが、考えるよりも先に口を動かしていたということだった。
それをわかっていたのか、メヌエさんは、
「アッチェレ……ありがとう。そうよね、そのほうがジュスティーヌも私も嬉しいもの。それじゃあ、これからはアッチェレがジュスティーヌのお母さまよ」
そう言って、やつれた顔で微笑んだ。
アッチェレさんの腕の中で、泣き疲れたらしいジュスティーヌさんは、また眠っていた。
うーん……
お母さま、ねぇ……
深い眠りについたジュスティーヌさんを寝床に戻したアッチェレさんは、メヌエさんの言葉に、居心地悪そうに頭をポリポリかくと、
「あたしには、お母さまなんて立派な名前は似合わないよ。呼ばれるだけで、身体が痒くなっちまう。あたしは『お』なんて付けて呼ばれるような人間じゃないんだから。そうだねぇ……母さまぐらいで、ちょうどいいよ」
「母さま……お母さまじゃなくて、母さま……」
メヌエさんは、アッチェレさんの言葉に最初は瞬きを繰り返していたものの、ふふっと堪えきれずに吹きだして、
「確かに、その喋り方で『お母さま』は似合わないわね! 今からでも遅くないわ、アッチェレ。その喋り方、直してみたら?」
「はあ? 何言ってんだい。これは、あたしの家族の証なんだ。直したりなんてしないよ。それに……今さら直すのは、逆立ちしたって無理だね」
「あら、そう……それじゃあ、大きくなったジュスティーヌも、母さまと同じ喋り方になってしまうのかしら」
もちろん、と言いかけて、アッチェレさんはふっと息をついた。
何言ってんだい、メヌエ。
この子は、あんたの娘じゃないか。
あたしみたいにはならないよ、絶対に。
「大丈夫。この子があたしの喋り方を真似したら、叱ってやるんだから。もっとお上品にしなさい、あんたのお母さまみたいにってね」
アッチェレさんのおどけた答えに、メヌエさんは久しぶりに声を出して笑ってくれた。
それは、アッチェレさんが見た中で、いちばん元気なメヌエさんの姿だった。
★彡☆彡★彡
大平原プラデラを、純白の新雪が覆い隠す頃……
メヌエさんは幼い娘を残し、24歳という短い生涯を閉じた。
粉雪が舞う中で行われた葬儀には、メヌエさんの担当医だったという女医さんと、隣近所のテントに住む人たちが何人か訪れた。
大陸群「天使の背中」の一般的な宗教は、目に見えない風を神の声とするウェントゥルス教である。
その教えでは、亡き人たちは草原を渡る風になり、神のもとへと旅立つのだ。
春先は色とりどりの花が咲き誇る共同墓地も、今は一面の銀世界。
吹き荒ぶ風も、今は身を切るような冷たさである。
それでも、メヌエは風になって天国へ旅立ったんだ。
きっと暖かい風になって、あたしたちを見守ってくれている。
アッチェレさんは、いつか必ず大きくなったジュスティーヌとともにここへ戻ってくることを誓って、メヌエさんの墓前を後にした。
春の訪れは、まだまだ先だ。
メヌエさんのテントへ戻ったときにはもう、午後の早い時間だというのに、とっぷりと日が暮れていた。
アッチェレさんは、寝息を立てるジュスティーヌさんを胸に抱きながら、きんと冷えた夜空を仰いだ。
メヌエ……
あたしたちのこと、見守っていておくれよ。
ジュスティーヌが危険な目に合わないように、あたしと一緒に幸せに暮らせるように……
そして、何かあったときには、そっと手を差し伸べてほしい。
もちろん、あたしも努力はする。
まあ行き遅れの身だし、ひとりのほうが好きだから、あたしはこの後ずっと独り身かもしれないけれど……
でも、大丈夫。
ジュスティーヌに寂しい思いはさせないよ。
だってあたしには、お節介でよく気の付く父と、元気で頼りになる妹がいるからね。
きっとジュスティーヌのこと、あたしより可愛がってくれるよ。
そしてあたしも、メヌエのぶんまでジュスティーヌのこと、大切にするから。
……約束する。
「……」
テントの入り口から、ふと見上げた夜空の美しさ……
アッチェレさんの、はあっと吐いた吐息が、白い花のように舞っていき、美しい夜空に溶けて消えていった。
まるで、アッチェレさんの心の声を、メヌエさんが星空の彼方でしっかり受け取ったかのように。
するとそのとき……
風もなく静かだった夜空から、一陣の風が舞い込んできた。
それは、冷え切った冬の風ではなく……
まるで春の陽光のような、暖かな風だった。
つづく




