第3話「プラデラに行こう」
義兄アタッカさんの死から2年の月日が流れ、アッチェレさんは24歳になっていた。
ムーシカ独立戦争は、長い終戦の道のりを経て、ようやく終結した。
大国ソニード王国から地方自治領がそれぞれ独立、ソニード王国の国土は4分の1になり、旧ソニード王国の城下町だけが現在のソニード王国となった。
こうして、西大陸内で唯一の……
いや、大陸群「天使の背中」で唯一の内陸国が誕生したのである。
しかし、もともとソニード王国城下町の片隅で暮らしているアッチェレさんたち家族にしてみれば、そんなことは道端に落ちている小石よりもどうでもいいことだった。
それよりも……
独立した国は、もともと自治領区だったんだから、戦争なんて起こさないでそのまま独立させてやればよかったじゃないか。
大切な人を亡くして、そんな風に思う人は数知れず。
もちろん、アッチェレさんもそのうちのひとりであった。
戦争なんて始めるから、義兄さんは……!
やり場のない怒りと、晴れることのない悲しみを胸に抱いたまま、アッチェレさんはそれでも生きていた。
大切な人を亡くした日々が、いつの間にか日常になっていく。
生き残った人々は、心に大きな穴を抱えながら、新しい日常を過ごしていった。
戦争終結から数ヶ月経ち、秋も深まった頃……
アッチェレさんたち家族は、旧ベスティード地方の大平原を訪れていた。
大平原の片隅には小さな教会が建っており、その一帯は合同墓地として管理されていた。
それはもちろん、ここが戦争の激戦地だったためである。
季節は初秋を過ぎて、冬の寒空が冷たい雪の匂いを運んでくることもあった。
乾いた枯草の上に立つアッチェレさんは、今は亡き義母の編んでくれたマフラーに口元をうずめていた。
合同墓地の片隅に佇む、義兄のお墓……
そこに白いユリの花束を手向けたのち、アッチェレさんは父と妹に「これから東大陸へ行こうと思う」と告げた。
「いつになるかは、わからないけれど……ちゃんと、帰ってくるから」
その言葉に、リットさんは何を言うでもなく静かに頷いてくれた。
アッラルさんは何か言いたそうに口を開きかけたけれど、リットさんがそれをやんわりと押しとどめて、そのままふたりはソニード王国へと帰っていった。
小さな乗合馬車が駆けていくのを見送りながら、アッチェレさんは理由も聞かずに送り出してくれたリットさんに感謝した。
行き先は、別に東大陸じゃなくてもよかった。
ここじゃないどこかなら……
もう、義兄のことを思い出さずにすむ場所なら、どこでもいい。
「……」
アッチェレさんのため息は、白い雲になり、やがて儚く寒空に消えていった。
きっと、父さんは気づいていたに違いない。
昔から「勘の鋭さでは、だれにも負けない」と義母も言っていた。
だから、あたしの義兄に対する「この気持ち」にも、気づいていて気づかないふりをしてくれていたのかもしれない。
きっと、あたしの口から「この気持ち」が言葉になって義兄に届くのを待っていてくれたのだろう。
けれど……
今はもう、言葉にしても聞いてくれる人はいない。
返事をもらうことなんて、もちろんできはしないのだ。
「……」
東大陸へ向かう、一艘の大型客船。
寒風吹きすさぶ甲板で、アッチェレさんはぐっと拳を握った。
寒さを堪えて欄干から覗き込めば、白波の立つ水面が見えた。
薄曇りの空の下、海には何の影も見えない。
「……」
それでもアッチェレさんは、じっと白波の踊る水面を見つめていた。
さて……
これから、どこへ行こうか。
東大陸といえば、あの大きな国が有名だけど……
でも「平和を絵に描いた国」なんて、ちょっと前まで戦争していた国の人間にしてみれば、あまりに胡散臭くて行く気がしないね。
でも、それ以外の国は詳しく知らないし、さてどうしたもんだろう。
学校の地理の時間、居眠りなんてしていないで、ちゃんと先生の話を聞いて勉強しておけばよかったよ。
そこまで考えて、アッチェレさんはふと思い出した。
東大陸には、あの子が……
メヌエがいるじゃないか!
メヌエさんというのは、アッチェレさんがまだ孤児院にいた頃、貴族出身の縁で仲良くなった女の子であった。
もう10年以上も昔のことだけれど……
メヌエは確か、東大陸のプラデラ大平原で暮らしている家族に引き取られたんじゃなかったかねぇ……
ああ、そうだ……
プラデラに行こう。
白波の落ち着いた水面に映りこんだのは、10年前のメヌエさん……
アッチェレさんは、水面にたゆたう旧友の顔に、ふっと小さく笑いかけた。
待っていて。
急に遊びに行って、驚かせてあげるから。
揺らめく水面の中に、アッチェレさんには見えていた。
美しく輝く金色の髪を波打たせ、紫水晶のように澄んだ瞳を細めて微笑む、メヌエさんの姿が……
★彡☆彡★彡
東大陸の北西あたり、エスペーシア王国と近隣国数国との狭間にある大平原プラデラ。
唯一「国ではない」この地域には、国という社会に馴染めない、ひたすら自由を愛する者たちが、身を寄せ合って暮らしていた。
食物は自給自足、他国へ出稼ぎに行くもよし、プラデラで何か自分に合った仕事を始めるもよし……
自由なプラデラだが、もちろん働きたくない者の居場所はない。
それほど甘い場所というわけではないのだ。
大平原の真ん中には、小さな塔のような建物が建っている。
そのプラデラ唯一の建物には、一応プラデラに暮らす人々の戸籍などが管理されているものの(それを生業としている人々もいる)、プラデラに住む人々にはあまり馴染みがなかった。
利用者は、もっぱらプラデラで人探しをする他国民がほとんどである。
そしてアッチェレさんもまた、そのひとりであった。
ちょうど14年前、アッチェレさんの親友であるメヌエさんは、確かにプラデラの家族に引き取られていた。
それから、ここには書ききれないほどいろいろなことがあり……
現在24歳の彼女は、大平原の片隅でひっそりと暮らしているらしい。
……残念ながら、戸籍を含めた彼女の情報は、そこで止まっていた。
彼女が何をして生計を立てているのか、といった情報もない。
そして、住所なんてものもないので、会えるかどうかも怪しい。
けれども……
アッチェレさんは、諦めなかった。
ひとりで聞き込みを続け、ついにプラデラ東端で時折メヌエさんに食べ物を差し入れているという家族に出会い、メヌエさんの住まいへとたどり着いたのである。
それは、プラデラに到着してから5日目のことだった。
「えっ……アッチェレ、なの……?」
大きめのテントから顔を出したメヌエさんに名前を呼ばれて、アッチェレさんは「覚えていてくれた」と胸が熱くなった。
そして、諦めずにここまで来てよかったと、心の底からそう思った。
懐かしい……
メヌエ、あんた何も変わってないね。
むしろ今のほうが、断然美人さんじゃないか。
アッチェレさんは、明るい表情のメヌエさんを前に、柄にもなく涙が込み上げてきた。
ここで泣くなんて、義兄さんのときにも泣けなかったあたしらしくない、かな。
アッチェレさんは涙を堪えるようにして微笑んだ。
「メヌエ……久しぶり」
「アッチェレ! 今までどうしていたの!? 私がいなくなった後、アッチェレはひとりで大丈夫かしらって心配していたんだから!」
メヌエさんは、美しい紫色の瞳でアッチェレさんを見つめると、すぐにセミロングの金髪を揺らして、
「まあ、お互い積もる話はお家の中で、思う存分語り合いましょう。さあ、どうぞ入って!」
そう言って跳ねるようにテントの中へと入っていった。
つづく




