第2話「鏡の中……」
レンゲさんの表情は、ようやく見えてきた西大陸のおかげで晴れやかそうだったけれど……
そこには、ほんの少し寂しさの色も混ざっていた。
脳裏に、あの日の彼女の言葉が蘇る……
『あたしとダンナは、西大陸に到着しても、この船を降りることはできないのよ』
「えっと……確か、セレアル侯国の港町って、ふたつありましたよね」
わたしの質問に、レンゲさんは笑って頷いた。
うう……
わからないのねシーナちゃんって、顔に書いてある……!
さすがはレンゲさん、もちろん図星です。
でも……!
ま、負けませんよ、わたしは……!
レンゲさんにはわからないように、必死に思い出す。
確か、北にあるのが港町スーベニーで、これから向かうのはそっちじゃない南の港で……
あっ! 思い出した!
「ポリーナ……! セレアル侯国南部の港町ポリーナ……ですよね?」
「そうそう! 大正解! しっかり地図を見て勉強していたのね!」
レンゲさんは、わたしの苦し紛れの正解も褒めてくれたけれど……
地理は昔から大の苦手で、勉強なんて数えるほどしかしていないわたしは、ただただ恐縮するばかりだった。
「いえいえ……偶然、覚えていたってだけで……」
「それをすぐ思い出せるっていうのが、若さの証よ。港町ポリーナは、コシーナ王国の港町ミオウと対になっているの。本当なら、セレアル侯国北部の港町スーベニーに着港したほうが、ソニード王国に行くのも近くて便利だったんだけどね。船長さんが、コシーナ王国から出られないあたしたちに気を遣って港町ミオウに寄ってくれたから、そこから港町ポリーナへ向かうことになったのよ」
「あ……なるほど」
確かに、わたしがモンターニャ号に飛び乗った港町カイサーからだったら、まっすぐ港町スーベニーに向かえたはずだ。
港町カイサーと対になっているのが、港町スーベニー。
港町ミオウと対になっているのが、港町ポリーナ。
よし、覚えたぞ。
レンゲさんに港町の豆知識を教えてもらっている間にも、船は風に乗って進んでいく。
先ほどまで小さな点だった港が、大きな港町になって目の前に広がっていた。
はっきり見えてきたのは、色とりどりの家屋。
壁の色は、隣り合う家同士で決して同じ色にならないように工夫されているらしく、鮮やかすぎて目が疲れるほどだ。
ふと、港町カイサーのお土産屋さんを思い出す。
そういえば、カラフルな建物が並んでいたっけ……
同じ港町だけあって、センスが似てくるのかもしれない。
みんな、元気かなぁ……
そろそろ手紙の一通でも書かないと、怒られそうだ。
特に、妹のマーサに。
……なんてことを考えている間にも、港町ポリーナは広がり続けていた。
停泊する大小さまざまな帆船たち、カラフルなお土産屋さんの中に点在する宿屋、人通りの多い大通り、賑わう盛り場、ひっそりとした裏路地……
こうして見てみると、やっぱり港町カイサーとあまり変わらない。
……と、思ったのだけれど。
「……」
なんだろう、この違和感は。
明らかに何かがおかしい。
それなのに、いくら考えても何がおかしいのかわからない。
あのときの、船長の言葉に対しての違和感に似ている。
お土産屋さんに挟まれた小さな宿屋、は別に変じゃない。
裏路地に置かれたゴミ箱がキレイすぎる?
いやいや、それはただ目に留まった「良いこと」じゃないのよ。
「……」
違う違う、そんな小さなことじゃなくて、もっとこう、全体的に……
うーん、やっぱりわかんないなぁ……
港町ポリーナの景色を見ながら腕組みしていると、なんと隣に立っていたレンゲさんが、なんとも簡単に答えを教えてくれた。
「何度見ても、なかなか慣れないわねぇ……やっぱり、鏡の中にいるみたいだから、落ち着かないのかしら」
レンゲさんは、そう言って困ったように笑うと、そのまま船内へと戻っていってしまった。
「鏡の、中……」
わたしは、レンゲさんの言葉を繰り返し、また港町ポリーナの景色を眺めてみた。
そして、
あっ。
と、思わず声が出そうになって息を呑んだ。
そう、鏡の中……
ここは、東大陸と何もかもが左右反転しているのだ。
太陽の向き、船から見える景色、停泊している帆船、お土産屋さん、点在している宿屋、大通りも盛り場も裏路地も、全部……!
「……」
そうか……
違和感の正体は、これだったのか……
なるほど。
気がついてしまえば、その理由も簡単にわかってしまった。
港町は、東西の大陸を問わず内海に合わせて発展していったはず……
だから東西で同じように港町が作られていっても、何もかもが内海を挟んで鏡のように左右反転してしまうのだろう。
東大陸と西大陸が左右対称であるように、それぞれの港町も実は左右対称になっていたなんて……
レンゲさんは気持ち悪そうだったけれど、わたしにはとても面白かったので、そのまま港町ポリーナの観察を続けることにした。
じっと見ていると、東大陸の人々より、なんだか朗らかな雰囲気がここまで伝わってくる。
なんというか……
東大陸の人たちは、生きるためにここにいるっていう真面目な感じで……
西大陸、中でもセレアル侯国の人たちは、生きているからここにいるっている明るい感じがする。
そう……明るくて、陽気なんだ。
ちょうどこちらに手を振ってくれている人の髪の毛なんて、トマトみたいに真っ赤なんだもの、これはもう明るくて陽気なお国柄ってやつに違いない。
それにしても、派手だなぁ……
しかも、初めて来た場所なのに、とても見覚えのある光景のような……
え?
ちょっと待って……
あのトマトみたいに真っ赤な髪の毛、まさか……
まさか!!
予期せぬ出来事、というか予期しておくべきだった出来事を前に、わたしは手を振る彼女を二度見してしまった。
彼女……
トマトみたいに真っ赤な髪の、女の人……!
「おおーい! みなさーん! モンターニャ号のみなさーん!」
聞き覚えのある声が甲板に届いて、わたしは無意識に真っ赤な髪の彼女に向かって大きく手を振っていた。
セレアル侯国侯爵令嬢、ポモドーロ・カペリーニ嬢。
それが、真っ赤な髪の彼女ことポモさんの正式な名前である。
数ヶ月前、お忍び旅行で東大陸のエスペーシア王国へとやってきたポモさんとお近づきになれたわたしは、船長やエフクレフさんとも知り合い、いろいろあって、本当にいろいろあって今に至る。
侯爵令嬢であるポモさんの情報を置き土産にして、勤めていた出版社に休職願を提出し、わたしはここまでやってきた。
ポモさんには、わたしが船長たちから「仲間」として認められたことが、エフクレフさんあたりから手紙で知らされているだろう。
モンターニャ号は、そこから流れるようにしてポリーナの港へと着港した。
ポモさんは、まるで少女のような軽い身のこなしで船腹へと取り付けられた階段を昇り、船上へと現れた。
「ポモさん……! お久しぶりです!」
半月ほど前に、もう会えないと思ってお別れした人が目の前に立っている。
こんなことが起こるなんて、いったいだれが予想しただろう……!
人生の不思議に今にも飛び上がりそうなわたしを前に、ポモさんは潮風にトマト色の髪の毛をなびかせて、ニコニコと微笑んでいた。
ああ、懐かしい、この感じ……
初めて出会ったときも、こんなふうにトマト色のショートヘアに目が行ったっけ……
それにしてもこの髪の色、セレアル侯国でもかなり目立つんだなぁ……
ポモさんは、あの日と同じように、自分の髪の毛をじっと見つめるわたしに楽しそうに笑って「地毛でーす」と、これまた懐かしい挨拶をしてくれたのだった。
つづく




