第1話「船長が暴れた……?」
わからない、わからない……
船長の気持ちが見えてこない。
「……」
決意の宴から、丸数日。
わたしは、自室の机に向かうたび、まっさらなノートと睨めっこを続けている。
船長とジュスティーヌさんの物語を書くために必要なことは、まずわたしがふたりの気持ちを理解していることだ。
それで、とりあえず船長の気持ちを書き出してみることにしたのだけれど……
困ったことに、何も書けていない。
どうして船長は、そこまでしてジュスティーヌさんを……?
もとはといえば、それは『自分と同じ大平原プラデラにルーツがあるから』なんだけれど……
でも、他にも理由がありそうな雰囲気なのだ。
とりあえず、まっさらなノートに鉛筆で書き込んでみた。
『船長にとって、ジュスティーヌさんとはいったいどんな存在?』
……机に鉛筆を置くコトリという音が、船室に響いた。
静かに置いたはずなのに、意外と大きな音が鳴って少し驚く。
それほどまでに、船内は水を打ったように静寂に満ちていた。
まあ、それもそのはずで……
卓上の小さな置時計は、もうすぐ日付が変わろうとしていることを教えてくれていた。
そんな静かな船内で耳をすますと、遠くから潮騒が聞こえてくる。
深呼吸をすれば、木材の香りの中から時折、潮の香りが顔を出す。
ここは海の上……
みんな、海の上にいる。
あのとき、ジュスティーヌさんが海へ落ちていくのを見ていることしかできなかった人たちがいるのだ。
「……!」
そこでふと、わたしの中にひとつの答えが浮かび上がってきた。
なんてシンプル……
そして、どうして今まで思いつかなかったのか不思議なくらいの選択肢。
船長以外の3人になら、遠回しに尋ねれば知りたい情報を教えてもらえるかもしれない。
そうだ、そうしよう。
我ながら、名案じゃあないか。
船長だけが忙しい時間なんて、たくさんあるだろうし……
3人とも、船長のいないところでしか話せないことがあるかも。
ふふっ……
なんだか楽しくなってきた。
本当は、楽しくなっちゃいけないんだけど。
わたしは、非日常的なイベントにワクワクしながらも、複雑な心境のまま就寝したのだった。
★彡☆彡★彡
「……好き以外の理由じゃ、あんなに暴れたりしませんよ」
食堂にて、エフクレフさんは彼にしては珍しく、手にしていたコーヒーカップをテーブルに叩きつけるようにして置いた。
わたしが名案を思いついた、翌日の午後。
仕事の合間の、ほんのひと時。
幸い、エフクレフさんとトンスイさんもゆっくりできる時間があるというので、わたしは夕食の支度を控えたレンゲさんも一緒に、お茶にしましょうと誘ったのである。
船長は、西大陸上陸の事務手続きを済ませるため、ここには来ていない。
「船長さん、大好きだったものね……ジュスティーヌちゃんのこと、だれよりも心配して、どうしようもなくて、途方に暮れていたっけ」
エフクレフさんの強い言葉の後、レンゲさんもマグカップを両手で包んで持ちながら、うんうんと頷いている。
わたしはというと、ふたりのおかげで、船長にはわたしの知らない「何か」があったということがわかって、ひとりほくそ笑んでいた。
……我ながら名案と、自画自賛しただけのことはある。
それにしても……
「あの、エフクレフさん。あんなに暴れたりって……何かあったんですか?」
びしっと断言したエフクレフさんに、もう一度確認してみる。
彼の話では、船長は目も当てられないほど暴れた、ということになる。
船長が暴れた……?
あの、何が起きても笑って受け流しそうな船長が……?
この前、ジュスティーヌさんが海に落ちたときのことを話してくれたときは、そんなこと一言も言ってなかったけれど……?
わたしが首を傾げてみせると、
「……」
エフクレフさんは、黙りこくったまま何かを考え込んでいるのか、眉間にシワを寄せて目を閉じてしまった。
何を考えているんだろう……
普段は仏頂面のエフクレフさんだけど、今日は唸り声が聞こえてきそうなほど眉間のシワが深い。
このことは言ってよいものか、言わないでいるべきか……
覗き込んでみた顔には、そんな言葉が書いてあるようだった。
これは余談だけど、近頃のわたしは、いつの間にかエフクレフさんの表情から言いたいことをかなり読み取れるようになっていた。
……もちろん、出会った瞬間から彼の表情を読み取っていたジュスティーヌさんには敵わないけれど。
まあ、それは今は置いておいて……
「……」
エフクレフさんはまだ何か悩んでいるらしく、何も話してくれそうにない。
なんだか、わたしが聞いてはいけないことを聞いてしまった空気が流れているようで、居心地が悪い。
やっぱり、いいです。
無理に教えてもらいたいわけじゃないですから。
そう言おうとして口を開いた、そのとき。
「エフ。口で説明するより、見てもらったほうが早いこともあるぞ」
今まで黙ってお茶請けのクッキーを食べ続けていたトンスイさんが、手元のクッキーをより分けながら、エフクレフさんに声をかけた。
もちろんトンスイさんは、今まで一度もエフクレフさんの顔は見ていない。
雰囲気だけで、師匠は弟子が何を考えているのかわかるらしい。
エフクレフさんは師匠の言葉にはっとしたように目を開けて、何か少し言い淀んだかと思うと、隣に座っているレンゲさんに向かって自分の前髪をぐっと上に上げてみせた。
……?
何やってるんだろう。
もしかして、前髪よけたら、おでこに何が言いたいのか書いてあるとか……?
「……」
エフクレフさんのおでこを見たレンゲさんは、何やらとても寂しげな表情で頷いた。
そして、向かいに座るわたしに向き直ると、
「シーナちゃん。エフちゃんの右眉の上あたりなんだけど……少しだけど傷跡になっているの、わかるかしら?」
「傷跡……?」
わたしは、レンゲさんの説明通りに目を凝らして、エフクレフさんのおでこを眺めまわした。
こんなに近くで男の人の顔なんて見たことないので、かなり恥ずかしいけど堪えてじっと見つめる。
「3年前だから、よく見えないけれど、でも……よかったわね、エフちゃん。目立つ痕にならずにすんで」
「……はい」
レンゲさんの言葉に、小声で頷くエフクレフさんのおでこには……
なるほど、そうと言われなければ気がつかないような、小さな三日月形の痣があった。
ちょうど、右眉のほんの少し上のところだ。
「エフの背がちょっとでも高かったら、右目は確実に失明していた……って、コシーナ王国のお医者さんに言われてたっけなあ。最初はびっくりするくらい抉れてて……うう、思い出すだけで鳥肌立ってきた」
「ほんとにねえ。前髪で隠れるところだったのが、不幸中の幸いというか……おかげで、町中に出掛ける仕事があっても、町の人に驚かれずにすんだもの。でも、ああいうのは避けなきゃダメ、絶対」
「自分にも、責任があると思っていますから。あれは……絶対に避けてはいけないものでした」
3人の話を黙って聞いているわたしは、もちろん当時のことは知らない。
けれど、頭の中には先ほどのエフクレフさんの言葉が浮かんでいた。
『……好き以外の理由じゃ、あんなに暴れたりしませんよ』
なんとなく、想像はついたけれど……
「そのエフクレフさんの怪我って、やっぱり……船長が?」
尋ねてみると、エフクレフさんたち3人は互いに目配せした後、大小の違いはあるけれど、揃ってほろ苦い笑みを浮かべた。
そして、船長が省略してしまった『ジュスティーヌさんが海に落ちてからの物語』を語って聞かせてくれたのだった。
つづく




