第4話「最初から決まっています」
「……」
船内の食堂には、カーテンが付けられていない。
そのため、東に向いている船窓からは、いつの間にか、水平線から顔を出した朝日が見えていた。
船長の独白は長くはなかったはずなのに、薄青に染まっていた外の様子は一変し、顔を出したばかりの朝日が無造作に置かれたコーヒーサーバーを照らして、長い影を生み出していた。
「そんな……」
信じられない、信じたくない。
「そんな、ことって……」
やっとの思いで、それだけを絞り出すように口にしたわたしに、
「すべては事実だ。ジュスティーヌは、もういない」
船長もまた、それだけを口にして俯いた。
ジュスティーヌは、憎き相手とともに、荒れ狂う海に飛び込んだ。
自分の大好きな人を守るために……
「……」
沈黙が続く……
わたしと船長しかいない食堂は、水を打ったように静まり返っていた。
もう、いない……
船長は、そう口にした。
もう、いない……
その先を言わない、ということは。
「ジュスティーヌさんは……もしかして、まだ行方不明の状態なんですか」
小さな声で尋ねたはずなのに、静寂に満ちた食堂内で質問は反響し、いつもの声より響いたように感じた。
そしてこの質問に、船長は項垂れるようにして頷いた。
行方不明。
まだ、亡くなったと決まったわけではない。
しかし、彼女が行方不明ということは……
だんだんと落ち着いてきたわたしの中に、ひとつの疑問が浮かんできた。
海に飛び込んだのは、彼女ひとりではない。
「それじゃあ、ジュスティーヌさんと一緒に海に落ちた、タイ元公爵も……?」
ジュスティーヌさんが決死の体当たりを喰らわせて、海へと突き落としたタイ元公爵。
彼女が行方不明ならば、彼もまた、ともに行方不明なのでは……?
しかし、わたしのこの質問には、船長はゆっくり首を横に振って「いや」と断言した。
「……タイは、死んだ。遺体も、この目で確認した」
「……」
死んだ。
とても重たい言葉のはずなのに、行方不明よりもあっけからんとして聞こえるのは、使われた人物に何の思い入れもないせいだろうか。
船長の話によると、タイ元公爵は東大陸コシーナ王国の浜辺に溺死体となって打ち上げられていたのだという。
コシーナ王国の港町ミオウへとたどり着いた船長たちは、そこで噂を聞き、遺体を確認したのだそうだ。
「あれは、間違いなくタイだった。海に落ちた後、溺れて死んだのだろう」
「そう、ですか……」
「遺体の確認が終わった後、エフクレフが遺体の発見者に聞いていた。もうひとり、金髪の女の子の遺体はなかったか、と」
「……」
「まるで、彼女も死んでしまったかのような尋ね方で、俺はいい気はしなかったよ。だが、発見者は『遺体はひとつだけだった』と断言したんだ。だから、彼女はまだ行方不明の状態だ」
「……」
船長は、話しながら窓の外を眺めていた。
けれど、その瞳には何も映ってはいなかった。
ここではないどこか、今ではない時間に、思いを馳せているのかもしれない。
遺体の打ち上げられた、コシーナ王国の浜辺。
遺体をこの目で確認した、あの瞬間。
「……」
そんな横顔を見せられたわたしは、申し訳ない思いで胸が苦しくて仕方がなくなっていた。
船長、ごめんなさい。
やっぱり、辛いですよね……
悲しいことを思い出させてしまって、本当にごめんなさい。
「……」
もう、何も聞きません。
すべて忘れます。
だから船長も、今日のことは忘れて……
「シーナ」
わたしが口を開きかけた、そのとき。
船長が右手をすっと高く上げた。
「シーナ、質問させてほしい」
「は、はい……?」
いったい、なんだろう。
船長の動向が読めずに思わず身構えると、船長はわたしをじっと見つめて、こう尋ねた。
「シーナ……ジュスティーヌは、まだ生きていると思うか?」
「……」
「そして、もし生きていると思うのなら……彼女を探したいか?」
「……」
船長の木賊色の瞳は、いつもと同じ輝きを取り戻していた。
いったいいつの間に……
いや、今は質問に答えなくては。
「えっと……」
わたしは、少し考え込むようにして腕を組み、そのまま目を閉じた。
「……」
実は、考える必要なんて、これっぽっちもないのだ。
彼女が生きているか、生きているとしたら探したいか。
なんて、そんなこと……
聞かれる前から、答えなんて決まっているじゃないか。
でも、もしも船長が、
『彼女のことは思い出すだけで辛いから、もう何もかも忘れて楽になりたい』
そう思っていたら?
「……」
ああ、何て言えばいいんだろう。
どう表現したら、だれも悲しまずに済むだろう。
「……」
いやいや、考えていたって何も始まらない。
だって、質問してきたのは船長なのだから。
ここは何も取り繕わず、自分の答えを正直に告げよう。
「そんなの、最初から決まっています」
わたしは、じっと船長を見つめ、身を乗り出すようにして口を開いた。
「聞かれる前から思っていましたよ。ジュスティーヌさんは生きているって。そして、聞かれる前から考えていました。ジュスティーヌさんを探したいって!」
「……」
船長は何も言わなかったけれど、その顔は「どうして、そこまで」と聞きたそうだった。
どうしてそこまで、はっきり信じられるのか、と。
まだ理由が必要なんて、まったく……
不思議そうな顔の船長に、わたしは言葉を続けた。
「海に落ちたふたりのうち、ひとりが遺体となって打ち上げられたら、もうひとりが生きている可能性はとても低いってわたしも思います。でも……いくら低くても、可能性がないわけじゃないですから」
「……」
「だから、わたしは信じているんです。ジュスティーヌさんは生きているって。そして、生きているなら探しに行かないと。探してあげないと!」
「……」
船長は、じっと黙って話を聞いている。
どうして、何も言わないんだろう……?
もしかして、まだ理由が必要なの?
わたしが彼女の物語を読み終わったときに思いついた、壮大な作戦も話して聞かせないといけないの!?
うう、それはちょっと……
おこがましいというか、なんというか……
「……」
船長は、目の前で挙動不審な動きをしているわたしを見ても、黙ったままだ。
はあ、仕方ない。
恥ずかしいけれど、話すしかなさそうだ。
わたしは、船長を直視できずに、すっと目を逸らしてから口を開いた。
「書きたいんですよ、船長とジュスティーヌさんの物語。ラストシーンは、もう決まっていて……ふたりが再会を果たす、ハッピーエンドです。それ以外の終わり方なんて書きたくないです、絶対に」
「……」
「だから、たとえジュスティーヌさんが生きているって信じているのがわたしだけでも、わたしはジュスティーヌさんのことを探し続けたいって思っています」
「……そうか」
船長は、そこで初めて口を開き、じっとわたしを見つめていた。
「……」
そこから、また長い沈黙が続いた。
けれども船長の顔は、なぜだかさっきよりもずっと晴れやかで……
あれ、と思う間もなく、船長はいたずらっぽい笑みを浮かべて、ゆっくりと頷いてみせた。
そして、
「それは、俺も読んでみたいな」
「え……?」
「ありがとう、シーナ。合格だ」
「……へ?」
合格? 何の話?
船長が何を言っているのかわからず、わたしは首を傾げるしかなかった。
けれども船長は、よほどわたしの答えが気に入ったらしく、立ち上がって声を張り上げたのである。
「みんな! 聞いた通りだ!」
その途端……
いつからそこにいたのか、食堂の入り口あたりから、今にも飛び上がりそうなトンスイさんとレンゲさんの歓声が聞こえてきたのだった。
つづく




