第20話「おやすみなさい。また、明日」
ジークさんは船室に入ると、私をベッドに座らせてくれました。
「それじゃあ、髪飾りは明日の朝までには直しておこう」
「は、はい。ありがとうございます」
ずっと続いてほしいと願った時間も、どうやらここで終わりのようです。
ジークさんの優しい声が頭上から聞こえてきました。
それにしても、あんなにボロボロの髪飾りを明日の朝までに直してくれるなんて……!
ああ、ジークさん、あなたって人は!
「ありがたすぎる」という思いと「なんて優しいの」という感動で、私の胸は大きく弾みました。
そして私は、この状況にさえも酔いしれているのです。
なんてったって、大好きなジークさんが私の船室にいるのですから!
もっとたくさんお喋りしたい、とは思うものの……
こういうとき、いったい何を話したらいいのでしょう。
「……」
私がお礼しか言えずにもたもたしていたせいか、ジークさんはそのまま「おやすみ」と船室を出て行こうとしました。
ああ、行かないで……
もう少し、もう少しだけ……!
私は、つい念のようなものを送ってしまいました。
念というか、願いというか……
本当に届いたら、この「大好き!」っていう気持ちすら伝わっているということだから、恥ずかしくて生きていけないくらいですけど……
「……」
すると、どうしたことでしょう。
ジークさんが、ふと足を止めたのです。
まさか、念が通じたのでしょうか。
「……」
しかし、その視線は私の机の上に向けられています。
はて、と目をやった先には……
なんと、このノートが出しっぱなしになっていたのです!
うわあぁぁ……!
私ったら、なんてことをっ!
どうやら、昼過ぎの出来事を書きなぐった後、ギリギリの精神状態でかろうじてノートを閉じたものの、そのまま置き去りにしていたらしいのです。
「あ! それは、その……!」
ノートは閉じてあったのだから、別に何も言わずに黙っていれば、そのまま話題に上ることもなかっただろうに、私は思わず大声で叫んでいました。
大切なものを机の上に置きっぱなしにしていたという事実に、私自身かなり動揺していたようです。
しかし、私の突然の大声に、ジークさんは私以上に驚いたようです。
「あっ! す、すまない! キレイな装丁のノートだったものだから、つい見惚れてしまって……人の日記を見るつもりは、これっぽっちも……!」
私が慌てて叫んだだけだというのに、ジークさんはこのノートが日記であると察したようです。
慌てて私の机から視線を逸らし、というか、ぐいっと首を曲げて、そっぽを向いてしまいました。
まるで「意地でも机なんて見ないぞ」といった決意すら感じます。
たかが日記の表紙に目を取られただけだというのに、日記を書いている私以上に慌ててしまうなんて……
ふふっ。
なんだかジークさんが可愛く見えてきた私は、気を良くして口を開いていました。
「実はこれ、あまり日記とはいえないんです。毎日書いているわけではないですし、そうですね……どちらかというと、物語の部類に入るかもしれないです」
「え、物語……?」
薄暗い船室の中でも、ジークさんの木賊色の瞳がキラリと光ったのがわかりました。
そういえば、ペルガミーノ王国で本屋さん通りを歩いていたとき、ジークさんは小説を書いていたことがあると教えてくれていましたっけ。
小説を書く人は、もちろん読むことも大好きなのでしょう。
キラリと光った瞳からは、ジークさんの「読みたい! ぜひ読みたい!」という思いが、ひしひしと伝わってきます。
さて、どうしたものでしょうか。
物語とはいっても、人に見せるために書いていたものではありませんから、支離滅裂で読むに堪えない箇所もあるでしょう。
それに、なにより……
ジークさんの話を、ジークさんに読まれるなんて!
「……」
私の中で、ジークさんの期待に全力で応えたいという気持ちと、そんなの恥ずかしすぎて絶対無理という気持ちがぶつかり合っています。
「あ、えっと、その……」
そして、散々考え込んだ末に辿り着いた答えが、
「明日……それ、ジークさんにお貸しします」
というものでした。
こうすれば、人に見せられるものへと書き換えたりできると思ったのです。
ジークさんが私に悲しい顔をしないでほしいと願うように、私もジークさんには楽しく過ごしていてもらいたいのです。
でも……
でも、やっぱり……
やっぱり恥ずかしい!!
「……」
ああ、熟したリンゴみたいに真っ赤になってるだろうなぁ、私……
そんな恥ずかしい顔を見られたくなくて、黙ったまま俯いていると、
「いいのか……?」
思ったよりもしんみりした申し訳なさそうな声が頭上から降ってきて、私は思わず顔を上げました。
すると、眉を寄せて、困っているジークさんと目が合いました。
「無理に、というわけではないから……」
ジークさんは心配してくれているみたいです。
ああ、なんてこと……
ジークさんのこんな顔、見たくなかったのに!
こんな顔させたくなくて、言ったはずなのに!
私は、自分への嫌悪も含めて、ぶんぶんと強く首を振ってみせました。
「ぜひ! ぜひ読んでください! 私が読んでもらいたいんです! だから、楽しみに待っていてください!」
若干やけになって叫んでみると、不思議なことに恥ずかしさはどこかへ吹き飛んでいました。
だって、大好きな人に読んでもらえるんだもの。
幸せに決まってる……!
「そうか、ありがとう。それじゃあ、楽しみにしているよ」
穏やかな声色で呟くようにお礼を言ってくれたジークさんは、私を見降ろして微笑んでいました。
なんて優しい顔……
「……」
見つめていると、胸がときめくのがわかります。
ああ、そうか……
私はジークさんの、この顔が大好きなんだわ。
「……」
ああ、幸せ……
ほわん、と見つめていると、
「ああ、すまない。すっかり長居してしまった」
ジークさんは、我に返ったように部屋の扉の前まで歩いていきました。
そして、振り返ると、
「おやすみ、ジュスティーヌ。また明日」
またにっこりと微笑んで、手を振ってくれました。
「おやすみなさい。また、明日」
私も手を振り返すと、ジークさんは静かに部屋から出て行ってしまいました。
名残惜しいですが、仕方がありません。
私が踏み抜いてしまった甲板は、浸水の心配はないようですが、まだ点検が必要みたいです。
もしかすると、まだ踏み抜いていないだけで、同じようにもろくなっている甲板や欄干があるかもしれません。
だれかが先ほどの私のように、甲板を踏み抜いて落ちそうになったら大変です。
いつだって、ジークさんが助けてくれるわけではないのですから。
船員全員の安全のために……
ジークさんが何度も甲板を見回る気持ち、よくわかります。
なんてったって、ジークさんはこの船の船長です。
忙しくて当たり前です。
でも……
もう、会えなくたって寂しくありません。
だって……
ジークさんは、私のことを嫌いになんてならないと、そう断言してくれたのですから。
……え?
それって、つまり……
もしかして……
「……」
あわわわ……!
バタバタとベッドに横になりながら、私は勇気を出してジークさんに質問している自分を想像してみました。
『私のことを嫌いになんてなったりしないってことは……私のこと、ずっと好きでいてくれるってこと、ですか……?』
「……」
果たして、私の大好きなジークさんは、何と答えてくれるのでしょう。
嫌いにならないってことは、やっぱり……
あわわわ……!
私は、ドキドキしながらも、ウトウトと夢の世界へと誘われていったのでした。
第4章 おわり




