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歌姫たちのイストワール  作者: すけともこ
第4章「歌姫の物語〜初春」
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第17話「ジュスティーヌの心からの願い」

 甲板に吹き渡る夜風は、ひんやりと冷たく、まだ冬の名残があります。

 見上げれば、透き通るような夜空に、爪の先ほどの細い月……

 私の背中を押してくれたレンゲさんの話だと、ジークさんは方角を確認するための星を見に、船首甲板へ出ているのだそうです。


『大丈夫、そのステキな髪飾りをくれた人だもの』

「……」


 私は、船首甲板へ着く前にふと立ち止まり、髪飾りをまとめ髪から引き抜きました。

 なんとなく、ジークさんとの思い出を確かめたくなったのかもしれません。

 肩甲骨あたりまで伸びた長い髪が、夜風になびいています。

 手にした髪飾りは、ほんのりと淡く光っていて、夜空に目をやれば、無数の星たちが私を照らしていました。

 ジークさんは、この星たちを見に甲板へ出ている。

 会いに行かなくちゃ……


 私は髪飾りをぎゅっと握りしめて、スカートのポケットへ入れました。

 実は、一度抜いてしまうと、鏡なしでは元の髪形には戻せないのです。

 でも、ほどいたほうが首元が暖かくなりますから、まあ良しとしましょう。

 私は、また甲板を歩き出し、ようやく船首へと到着しました。



★彡☆彡★彡



 辿り着いた船首甲板は、静寂に満ちていました。

 まるで、すべての物音が星空に吸い込まれてしまったかのように。

 星明りの薄闇に目を凝らすと、船首の端に人影が見えます。

 大きな背中、揺らめくロングコートの裾……

 間違いありません。


「ジークさんっ!!」


 私は、無我夢中で叫んでいました。

 今度こそ気がついて!

 私は、ここにいます……!

 そんな必死の願いが伝わったのでしょうか。

 ジークさんは、こちらを振り向いてくれたようです。


「……」


 残念ながら、暗くて表情まではわかりませんが……

 それでも、私はジークさんのもとへと駆け出していました。

 よかった……

 名前を呼んだら、ちゃんとこちらを見てくれる。

 無視されていたわけじゃないんだわ!

 そう思って、安心したのですが。


「来るなっ!!」


 ジークさんの有無を言わせぬ強い口調が、静寂の夜空を切り裂きました。

 一瞬、だれの声かわからないほどの、大きくて、とても怖い声……

 息を呑んだ私が足を止めると、


「……」


 ジークさんは、何事もなかったかのように、私に背を向けました。

 え……?

 私、ジークさんに来るなって言われたの……?

 どういうこと……?

 私は、あなたに近づいてはいけないということ……?

 いったい何が起こったのかわからず、私は呆然と立ち尽くしてしまいました。


「……」


 その間にも、ジークさんは私から離れていきます。

 まるで私を避けるように、ゆっくりと甲板を歩いていきます。

 ああ、やっぱり……

 ジークさんは、私がここにいるのが迷惑なのね……


「……」


 嫌われてしまったんだわ……


「……」


 ジークさんは、ずっと私の歌を聴いていてくれたけれど……

 それは、歌が良かったから、なのでしょう?

 良い歌で人気のある有名な歌『いつでも歌が』。

 それは、ジークさんのお気に入りの歌。

 だから、だれが歌っていたって変わらない。

 別に私が歌わなくたっていい。

 私の歌じゃなくたっていいのよね。


 最近、ギターの伴奏だけで歌うようになって、とても音程が悪いような、下手になったような気がしていた。

 でもそれは、気がしていたわけじゃなくて、本当に下手になったのでしょうね。

 聴くに堪えない、音程の外れた、酷い歌……

 それで、ジークさんは食堂に来なくなったんだわ。


「……」


 私は、今までずっとジークさんに助けてもらってばかりで、自分から行動したことなんてなかった。

 この子を船に乗せてほしいって言ったのは母さま。

 私が頼んで乗せてもらったわけじゃない。


 どこに行きたいかと聞かれて、東大陸のプラデラ大平原と答えたのは私だけれど……

 聞かれたから答えただけで、そこからは何もしていない。

 ただ、船に乗っているだけ。

 何もせずにプラデラ大平原へ到着できる日を待っている。

 それだけ。


「……」


 私は、小さくため息をつきました。

 ため息は甲板の静寂を邪魔することなく、風に流れて消えていきました。

 そりゃあ、嫌にもなるでしょう。

 自分の力じゃ何もできない、いや、自ら行動することなく何もしようとしない子どものお守なんて。


「……」


 甲板には、相変わらず静寂が満ちています。

 薄闇の中では、時折ジークさんの手にしたランプの灯りが揺れていました。

 まるで、振り子時計のように、ゆらり、ゆらりと……

 だんだんと遠ざかっていく灯りは、ジークさんの心そのもののようです。

 そんなの……

 絶対に嫌っ……!

 もう、どこにも行かないで、そばにいて……!

 離れ離れになんて、なりたくない……っ!!


「ジークさんっ!!」


 心の底からの震える叫びとともに、私は甲板を駆け出しました。

 ヒールの音が高く鳴り響く中、ジークさんがこちらを振り向いたのが見えます。

 表情は、やっぱり暗くてよく見えません。

 それでも、大きく見開かれた瞳の色は、私のよく知る木賊色のはずです。

 私は、その大きく見開かれた木賊色の瞳に、声も限りに叫んでいました。


「私のこと、嫌いになんてならないでくださいっ!!」


 それは、あまりにも幼稚で……

 ただのわがままな、子どもっぽい言葉でした。

 でも、仕方がないのです。

 これが私、ジュスティーヌの心からの願い、なのですから。


「……」


 ジークさんにとっては、予想外の出来事だったのでしょう。

 突然のことに、声も出せないようでした。

 その表情は、やっぱりよく見えません。

 しかし、少し強張った顔をしているのが、甲板を駆けていく中でもよくわかります。

 だんだん、ジークさんの顔がうすぼんやりと見えてきました。


 もう少し、もう少しであなたのところにたどり着けます。

 待っていてください、ジークさん……!

 私は、もう何も考えてはいませんでした。

 ただ甲板を駆け抜けていくだけ……

 私の耳だけが、ヒールの甲板を叩く音を拾っていました。


 と、そのときです。

 ヒールの音に混じって、何かがきしむようなミシッっという音が聞こえたかと思った瞬間……

 私は、その場でよろめきました。

 咄嗟に欄干に手をかけたものの……

 欄干は頼りなく、私の身体と一緒に傾いていきます。


 いったい、何が……??

 よろめいた先、自分の足元に目をやると……

 甲板に、稲妻のような亀裂が走っているのが見えました。

 あっ……

 と思う間もなく、バキッと大きな音がして、亀裂から暗闇が覗きました。

 夜の海です。


 そういえば……

 と、私は昼下がりの光景を思い出しました。

 エフクレフさんがジークさんに甲板のことで何やら相談していた、あの光景。

 確か、甲板の一部に古くなっている場所がある、とか……

 なるほど……

 どうやら私は、その古くなって危険な甲板を踏み抜いてしまったようです。


「あ……」


 突然消滅した足元、暗闇に吸い込まれていく身体……

 私は血の気が引いて、悲鳴すら上げられませんでした。

 何もかもが、ゆっくりと動いていきます。

 腕を伸ばしたものの、思うようには動けず、手が甲板の切れ端をかすめていきました。


 ああ、もう、このまま、落ちていくだけ……

 私、死んでしまうのかしら……

 大好きな人に、気持ちを伝えられないまま……

 嫌われたまま……

 ……


「ジュスティーヌっ!!」


 何もかも諦めた世界の中で、その声だけは鮮明に私の耳へと届きました。

 大好きな、あの人の声。

 あの人が私を、私の名前を呼んでいる……

 ジークさんっ!

 私は……

 私は、ここにいます……っ!


「……」


 まだ声の出せない私は、必死になって腕を伸ばしていました。

 視線を上げたその先で、私の頼りない手首を、ジークさんの大きな手が力強くつかんでいました。



つづく

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