第16話「私は、ここにいるのに」
「あっ……」
ちょうどよかった、これ、お昼のサンドイッチです。
そう言って布包みを差し出そうとしたものの……
「……」
ジークさんの突然の登場に、私は何も言えずに立ち尽くしてしまいました。
そのせいでしょうか……
ジークさんは、私を見ることなく歩いて行ってしまったのです。
……なんの挨拶もありませんでした。
そこには、布包みを抱え、扉を叩くために握りしめた右手を上げた私だけが残されました。
前方の甲板からは、エフクレフさんとジークさんの会話が聞こえてきます。
「船長。この船、いったいどれくらい昔のものなんですか」
「どうした、古くなっている場所か?」
「ここの甲板なんですが……」
「……」
話はまだ続いているはずなのに、私の耳にはもう何も聞こえてはきませんでした。
ただ、潮騒だけが耳の中で響いています。
どうして何も言ってくれないの、私に気がついてくれなかったの。
私は、ここにいるのに。
「……」
何か、気に障るようなことをしてしまったのでしょうか……
例えば、水の使いすぎ。
レンゲさんは怒らずにいてくれたけど、ジークさんはイライラしていたのかもしれません。
ほかにも、あんなことやこんなこと……
部屋の吹き掃除、細かいとこまでやらなかったとか、そんな些細なことまで頭に浮かんできて……
私は、嫌われてしまったのかもしれません。
歌ってばかりで掃除もろくにできない、こんなの連れてくるんじゃなかった。
なんて思われているのかも……
そ、そんなこと、ない……!
ない、けど……
絶対にない、とは言い切れません。
「……」
そのとき、ふと左腕の重さに気がついて、私は自分がここへ来た理由を思い出しました。
これだけは、ちゃんと置いていかないと。
私は、ふらつく足取りで船長室へ入ると、近くの小机にサンドイッチの入った布包みを置きました。
そのまま船長室を後にして、足取りも重く自分の部屋へと戻ります。
どうして気がついてもらえなかったのでしょう。
私は、たった一瞬でもジークさんの目の前に立っていたはずなのに。
どうして、見向きもされなかったのでしょう。
急いでいたから……?
目が合ったような気がしたけれど、気のせいだったのでしょうか。
どうしよう……
ずっと、ずっとこのままだったら……!
と、そんなことまで考えてしまった私は、自分の部屋の前で立ち止まって、ぶんぶんと首を振りました。
こんなの、全然たいしたことない!
だって、ジークさんとは半年以上も会えない日々が続いていたくらいだもの!
その長さに比べたら……
「……」
でも、どうしてでしょう。
今のほうが寂しいのです。
手をかけた扉の取っ手に力を込めると、扉からきしんだ音が聞こえてきます。
今まで、自分が大好きなら、それだけでいいと思っていた。
全然、気がつかなかった……
大好きな人に、自分のことを好きでいてもらいたいと思うことがあるなんて。
自分が大好きなら、相手も自分のことを好きでいてくれる。
それを当たり前だと思っていた自分が恥ずかしい……!
きしむ扉を押し開けて、足音荒く中に入り、私はベッドに倒れ込みました。
カーテンを閉め切った薄暗い部屋の中で、涙が枕を濡らしていきます。
私は、なすすべもなく洟をすすり上げていました。
★彡☆彡★彡
午後から部屋に引きこもる私を、何もかもお見通しのレンゲさんが放っておくわけがありませんでした。
「ダンナとエフちゃんも心配していたけれど……ジュスティーヌちゃん、お腹すいたでしょう? 食堂にいらっしゃい。今日のコンソメスープ、残してあるから」
ベッドの上で膝を抱えた私に、部屋まで入ってきたレンゲさんは穏やかにそう言ってくれました。
夜も更けて、しばらく経とうという頃でしょうか。
食欲はもちろんありませんでしたが、コンソメスープなら食べられそうです。
レンゲさんに迷惑をかけるわけにはいきません。
私は、よろよろと食堂へ向かいました。
部屋に戻ってから泣き続けていた私の顔は、それはもう酷い有様だったでしょう。
しかし、レンゲさんは何も言わずに、コンソメスープを飲み干す私を見守っていてくれました。
大きなマグカップに大盛に注がれた野菜のコンソメスープは、いつにもまして温かく、お腹に染みわたっていきました。
角切りの野菜から染み出る甘味に、それを引き立たせるほんの少しのお塩……
こんなにも優しい味のする食べ物を、私はほかに知りません。
空になったマグカップをテーブルに戻すと、レンゲさんはマグカップを覗き込んでにっこり微笑みました。
「あら完食。よかったわ、お口に合ったみたいで」
「……」
私は、まだ頷くのが精一杯でしたが、レンゲさんは気にすることなく私の顔をちらっと見て、
「船長さんなら、この時間は甲板にいるのよ。時間ならたっぷりあるから、早く行ってらっしゃい」
「……」
私はもう、レンゲさんが何を知っていても驚かなくなりました。
私の心の中の、私の知らない私ですら知っているかのような、そんなレンゲさんの言葉ですが、私は素直に頷くことができませんでした。
「私なんかが、会いに行っていいんでしょうか……」
ようやく絞り出した言葉が意外だったのか、すべて知っていても不思議ではないレンゲさんでも、ここでは首を傾げています。
気がつけば私は、昼下がりの出来事をすべて話していました。
なんとなく、解決策が欲しくなったのです。
ジークさんに挨拶もされなかった。
それどころか、ここにいることさえ気がついてもらえなかったようだった。
きっと、私が何か気に障るようなことをして、すっかり嫌われてしまったからに違いない。
「……」
レンゲさんは、神妙な顔で頷きながら、私の話を聞いてくれました。
そして、最後まで聞き終えると、穏やかに微笑んでくれました。
「ジュスティーヌちゃんは、船長さんのことが大好きでたまらないのね」
「……」
「大好きだから、相手にも大好きでいてもらいたいって思っている。相手から嫌われるなんてありえない。そう思っているから、今は不安でたまらない」
「……」
これには、さすがに驚きました。
私は、自分の気持ちはなるべく喋らずにいたつもりだったからです。
それなのに、レンゲさんは私の気持ちをピタリと言い表してくれました。
私は、自分が大好きになれば、相手にどう思われようと平気だと思って今まで生きてきました。
大好きな相手から自分がどう思われているのか、こんなにも気になるなんて……
「私は、これからどうしたらいいんでしょう……」
何もかもお見通しのレンゲさんなら、的確な助言をくれるに違いない。
そう思って尋ねてみると、レンゲさんは眉間にしわを寄せて、
「そういうのは、直接聞いてみるのがイチバン! あたしのこと、好きですかー! ってね」
そんな大胆な答えをくれました。
いやいやいや、ちょっと大胆すぎです。
私が困っていると、レンゲさんは「ウソウソ、じょーだんよ」といたずらっぽく微笑みました。
「あなたたち、この頃ふたりだけで話をする暇もなかったでしょう? きっと、そのせいでいろいろ噛み合ってないんだと思うの。だから、今からたくさん話し合いなさい。誤解も解けて、お互いの気持ちもわかるはずよ」
「で、でも……」
「大丈夫、そのステキな髪飾りをくれた人だもの。あなたのことをどう思っているかなんて、答えが出ているも同然だわ」
「……」
まだ少し不安はありますが……
私を食堂の外へと送り出してくれたレンゲさんが満面の笑みを浮かべていたので、なんとなく安心した私は、ジークさんに会いに行くことにしたのでした。
つづく




