第15話「早く良くなるといいな……」
「ああ、ジュスティーヌちゃん。お皿は、1枚しまっておいてね」
船旅6日目の朝のことです。
私は、毎朝の日課になっている朝食の支度をしていたのですが、カレーライス用の大皿を出しているところへ、レンゲさんが声をかけてきました。
はて……?
首を傾げてみせると、大鍋でカレーをかきまぜていたレンゲさんは、食堂を覗いてみるよう指を差しています。
小さな台所から食堂を覗いて見てみると、テーブルについたトンスイさんが隣に座っているエフクレフさんに何やら熱心に話しかけているのが見えました。
エフクレフさんが渋い表情で頷いているところをみると、もう何度も何度も聞かされている話なのでしょう。
私も、リットさんの話し相手になるときは、たぶん同じ顔をしていると思うので、エフクレフさんの気持ちが手に取るようにわかります。
ここまでは、いつもと同じ風景です。
いつもなら、ここにジークさんもいて、スプーンを手にして大好きなカレーライスを待ち構えているのですが……
「船長さん、朝ごはんはひとりで食べるから今は用意しなくていいって、さっき言っていたのよ。体調が悪いわけじゃないみたいだけど、どうしたのかしらね」
レンゲさんは、私が用意した大皿に炊き立てのご飯をよそいながら、独り言のように教えてくれました。
ジークさんが朝ごはんをひとりで食べる理由……
「お仕事が忙しいんでしょうか……?」
「う~ん、それならダンナとエフちゃんも駆り出されているはずだからねぇ……どうしても、ひとりになりたい理由があったりするのかもしれないね」
「……」
「まあ、そんなに深く考え込まなくたっていいのよ! あたしたちにはわからない理由かもしれないし、今はそっとしておきましょう」
レンゲさんは、俯きがちな私の背中をばしっと叩くと、山盛りのカレーライスを手に食堂へ出て行ってしまいました。
「ほぉら、いつもよりカレー多めにしておいたから、今日も元気に過ごすんだよ!」
私たちは3人で食堂のテーブルを囲みましたが、やっぱりジークさんがいないと少し寂しい朝ごはんでした。
せっかくのカレーライスなのに……
この心にぽっかりと穴が開いたような気持ちは、朝ごはんのときだけだと思っていたのですが……
ジークさんは、お昼ごはんのときにも食堂に現れませんでした。
レンゲさんに尋ねても、返事は朝ごはんのときと変わらず……
私は、硬いパンで素早く食事を済ませて甲板へ出てみました。
しかし、甲板を船首から船尾へ駆け抜けても、ジークさんはどこにも見当たりませんでした。
もしかすると、船長室で仕事を終えたジークさんは、もう休憩室にいるのかもしれない!
今日も歌を歌う予定の私は、急いで身支度を整えてステージへ向かいました。
トンスイさんがギター片手に笑顔で迎えてくれて、ステージの最前列には満面の笑みのレンゲさんが座っています。
休憩室の入り口付近には、いつもと変わらない仏頂面のエフクレフさんもいて……
3人は、いつもと変わらない場所で私を迎えてくれました。
しかし……
ジークさんの姿だけが、そこにはありませんでした。
「船長さん、さっき挨拶したんだけどなぁ。だーいぶ疲れた顔してたんだ」
ギターを調弦しながら、トンスイさんが呟きました。
「だから、今日はもう部屋で休んだほうがいいって言っちまったんだよ。ジュスティーヌちゃん、ごめんな。船長さんに歌を聴いてもらいたかっただろうに」
「……いえ」
申し訳なさそうに眉を八の字にするトンスイさんに、私は首を振って微笑むことしかできませんでした。
ジークさんが疲れるようなこと……
船長という仕事は、やっぱり見た目以上に忙しくて大変なのかもしれません。
寂しいことに変わりはないけれど、ジークさんの体調を思えば……
「トンスイさん。私、ジークさんが早く元気になれるように、心を込めて歌います」
「お、そうかい。きっと船長室にも、その優しい気持ちと一緒に歌声が届くな!」
トンスイさんのギターは今日も軽やかで、合わせて歌う私の声も、つられて舞い上がっていきます。
きっと、ジークさんにも届いているはず。
早く良くなるといいな……
そうしたら、朝ごはんもお昼ごはんも、もちろん夜ごはんも一緒に食べられます。
そして、休憩室で私の歌を聴いてもらえるはずです。
それは、明日?
それとも、明後日?
ああ、早くジークさんに会いたい……!
私は、いつにもまして心を込めて、大切に大切に歌い続けました。
★彡☆彡★彡
翌日の朝になっても、ジークさんは食堂に現れませんでした。
船長室へ様子を見に行ったエフクレフさんによると「仕事が落ち着いたら顔を出すから」と言われたそうで……
とりあえず、体調が悪いわけではないようだったので安心しました。
朝ごはんは、レンゲさんの美味しいサンドイッチです。
トンスイさんとエフクレフさんは早々に食べ終えてしまいましたが、私は中身のツナマヨをじっくりと味わっていました。
口の中でキュウリの良い音を響かせていると、台所から出てきたレンゲさんがテーブルの上に布包みをポンと置きました。
「これ、船長さんの分なの。エフちゃんに言われて作っておいたから、ジュスティーヌちゃんが届けてちょうだい」
「えっ……私が、ですか……?」
「もちろん! ダンナもエフちゃんもなんだか忙しそうだし、あたしが行くよりも断然ジュスティーヌちゃんのほうが適任だもの。久しぶりに、船長さんと顔を見てお話ししたいでしょう?」
「……」
私の顔を覗き込んだレンゲさんは、声の調子とは裏腹に、眉を八の字にしていました。
私は、よっぽど沈んだ表情をしていたようです。
みんなでジークさんを心配していたはずなのに、ここで私が余計な心配をかけるわけにはいきません。
私は自分のサンドイッチを食べ終えると、テーブルに置かれた布包みを抱えてレンゲさんに一礼し、そのまま甲板にある会議室兼船長室へと向かいました。
★彡☆彡★彡
春先は風向きが安定しない……
その言葉通り、ここ数日の間はトンスイさんとエフクレフさんが帆を張ったり畳んだりと忙しそうにしていました。
今はちょうど無風状態ですが、いつ前方から風が吹き始めるかわからないので、ふたりは交代で見張りに立っているようでした。
昼下がりの太陽を右手に、私は甲板を歩いていきます。
欄干越しに見える海は、ほんの少し波打っていて、ゆらゆらと揺れているのが見えました。
「良い天気……」
お昼ごはんは外で、と思ったけれど、ちょっと眩しいかしら。
お部屋のほうがいいかもしれない。
いいえ……
どこで食べてもらうかなんて、そんなこと、今は関係ない。
ジークさんが元気にお昼ごはんを食べてくれたら、それでいい。
……お昼ごはんを作ったのは、私ではないけれど。
……
船長室の扉を開けて、顔をほころばせるジークさん。
サンドイッチを受け取って「ありがとう」とお礼を言うジークさん。
「ちょうどジュスティーヌの歌を聴きたいと思っていたところだ」と、船長室に入れてくれるジークさん。
それから、それから……
……
いつまでも続けていられそうな妄想に口元を緩めながら歩き続け、私は船長室の前へとたどり着きました。
扉を叩く前に、軽く深呼吸します。
「……」
たった1日、顔を見ていないだけなのに、なんだかとても久しぶりのような気がして、緊張してしまうのです。
握りしめた右手に、ほんのりと汗を感じます。
いざ、扉を叩こうとした、そのとき。
突然、扉が内側へ向かって引き開けられ……
ジークさんが、姿を見せたのです。
つづく




