第5話「嬉しくないわけない!」
「お茶も出せずに申し訳ないんだが……」
「いえいえ、お構いなく!」
書斎へ向かう船長を見送り、わたしは客間らしき場所に置かれたソファに腰掛けた。
もともとが物置なので、部屋を仕切っているのはベニヤ板である。
船長が書斎と呼んだ場所も、北向きの角を仕切っているだけの場所だ。
それでも客間、というか居間に置かれたソファは、座り心地の良い高級品だ。
テーブルも、良い香りのする木で出来ている。
わたしは木材に詳しくないのでよくわからないけれど、ヒノキかもしれない。
部屋内で唯一の出窓には、花瓶に金糸雀色の薔薇がいけられていた。
ここは男ふたりの隠れ家だから、薔薇をいけたのはおそらくポモさんだろう。
「……」
ひと通りあたりを見回して歩いてみたけれど、船長は書斎から出てこなかった。
いろいろと気になったものを手に取ってみたいけれど、キレイに片付いている部屋なので、迂闊に何かに触って壊してしまったら大変だ。
……というか、そもそもそんなことしちゃ失礼だ。
手持ち無沙汰になったわたしは、常に持ち歩いている『執筆セット』をカバンから取り出した。
メモ紙の束とプロットの束、真っ白い紙束に書き上がっている部分の原稿、それから鉛筆と添削用の青色ペン。
赤色は目に眩しいし、なんだか自分の人格まで否定してくるように自己主張が激しいので、わたしは青色ペンを愛用している。
「昨日はどこまで書いたんだったかな……」
紙束たちをテーブルいっぱいに広げて、その中から書き上げた原稿とプロットを手に取って見比べる。
大長編を書いているせいか、伏線は常にチェックしていないと忘れてしまうのだ。
うーん……
伏線なんて高度な技術を使おうとするから、いつもプロットと違う話になってしまうのかも……
まあ、いいか。
あとで読み返すときに、気をつけて見直せばいいもんね。
あれこれ見比べて、ようやく鉛筆を手にした、そのとき。
「申し訳ない、直していたらキリがなくなってしまって……」
船長が原稿を抱えて居間へと現れた。
あっ、と思ったものの……
「……」
船長は、鉛筆を手にしたわたしとテーブルに広げられた紙束を前に目を見開いていた。
あああ、なんてこった……
わたしってば、人様のお家で何やってるんだ!
わたしは、バタバタと紙束たちをカバンにしまい始めた。
「ご、ごめんなさい! 勝手に私物を広げてしまって……! あの、今、片付け」
慌てて片付けたせいか、プロットの切れ端がヒラヒラと舞い落ちて船長の足元に着地した。
船長はその切れ端を身軽に拾い上げると、
「シーナは小説を書いているのか……」
感慨深げにその切れ端を見つめていた。
拙い文字でできあがった、拙い文章が埋め尽くす、プロットの下書きの切れ端……
こんなもの、あのステキな小説を書いている船長に見られるわけにはいかない!
わたしは、いつもどんくさい自分にしては珍しく、目にも止まらぬ速さで飛び出して船長の手からプロットの切れ端を抜き取った。
「これは! その! 人様に見せられるようなものではなくて!」
「……」
船長は、しばらく切れ端の抜き取られた自分の手を眺めていたけれど、
「それじゃあ、どんな内容かだけでも教えてくれないか?」
そう言って、わたしの顔を覗き込んだ。
木賊色の瞳がキラキラと輝いていて、まるでお誕生日の贈り物をもらう前の男の子みたいだ。
ま、眩しい……
仕方ない、内容だけなら話してしまおう。
「わ、わたしの小説は、冒険ものです。読んでいてワクワクするような、少年たちの大冒険を書いています」
この少年たちのモデルが、ターメリック王子様と従者のパンデロー君だ。
ふたりの出会いを、わたしなりに想像して物語にしている。
書きながら「この国でこんなドラマティックなことが起こるわけないよなぁ」なんて思うこともあるけれど、ふたりの冒険譚は書いていてとても楽しい。
「へぇ……読んでみたいな」
わたしの話を聞いていた船長は、瞳を期待でキラキラと輝かせている。
……いやいやいや、期待させるために教えたわけじゃないですから!
「ダメですよ! 内容も拙いですし、ほんとに見せられるものじゃ」
「シーナ」
わたしが必死に拒否すると、船長はキラキラとした瞳から一転して真面目な表情になって、
「人に見せられないものを書いていたって、だれにも読んでもらえない。だれにも……わかってもらえないだろう?」
そう言うと、困ったような寂しそうな顔で微笑んでみせた。
「……」
わたしは、声も出せずにポカンと口を開けていた。
なぜならわたしは、今まで自分の筆の遅さを言い訳に、家族にすら自分の作品を見せられずにいたからだ。
船長には、そのことすらお見通しなのではないだろうか……
「ああ、だが……完成していないなら、まだ読めないんだな。なんだか無理を言ってしまってすまない」
「……」
船長のなんともいえない哀愁の漂う表情に、黙りこくっていたわたしは、思わず、
「書きます」
と、口を開いていた。
「船長のために、何か書いてきます。お手間をとらせない、短いものを」
できるかできないかなんて、そんな小さなことは気にしない。
まずは、ここから。
だれかに読んでもらうことを恥ずかしがっていては、小説家になんてなれるわけがない。
そんな大事なことを、面と向かって教えてもらうまで全然気がつかなかったなんて。
そっちのほうが恥ずかしい。
「わたし、小説家を目指しているんです。でも、今まで機会がなくて、自分の作品をだれかに読んでもらうということがなかったので、つい恥ずかしくなってしまって……でも、船長の言葉で目が覚めたんです。だから、書きます」
そんなわたしの決意とは裏腹に、船長はなぜか眉を八の字にしていた。
「いいのか……? 無理をさせていたら、申し訳ないんだが……」
「わたしが書きたいんです。書かせてください。そして、ぜひ読んでください」
だれかのために何か書くというのも、だれかに向かって自分の作品を読んでほしいと言うのも、わたしにとっては初めてのことだ。
船長は、そのことに気がついてくれたらしい。
「……わかった。どんな作品か、楽しみにしている」
そう言って、小さく笑ってくれた。
ステキな笑顔……
昨日、この人の小説に出会って心を奪われて、わたしもこんな小説を書いてみたいと思った。
作者に会えただけでも幸せなのに、この人のために小説を書くことになってしまった。
夢みたいだけど、夢じゃないよね……?
しばし呆然としていると、壁にかけられた鳩時計からとぼけた顔の鳩が顔を出した。
あれ、何時だろ……
わたしは、時計の文字盤を二度見した。
なんと、ここに来てから1時間経っている。
時間ならあるとは言ったものの、これでは香辛出版に帰ったときにわたしが怒られてしまう!
「すみません! もう帰らないと……!」
「いや、すまない。俺が原稿を直したいなんて言ったから……」
大慌てで船長の原稿を手に路地裏へと出たわたしを、船長は玄関まで見送ってくれた。
「ありがとうございました! あの、いろいろと……」
「俺も、小説仲間が出来て嬉しい。また来週、楽しみにしている」
慌てるわたしに、船長はクスッと笑って小さく手を振ると、玄関のドアを閉めた。
「……」
わたしが、船長の小説仲間……!
ステキな小説を書いている人に出会って、その人から仲間だって言ってもらって、書いている作品を読ませてほしい、なんて言われたら……
嬉しくないわけない!
危うく叫びだしそうになったわたしは、路地裏から香辛出版へ向けて、石畳をやかましく駆け出していた。
つづく




