第12話「こんなに大きなお守りなんて」
さすがはセレアル侯国侯爵家のご令嬢です。
あんなエフクレフさんみたいな人が、まだ数十人もいるなんて……!
私はエフクレフさんを振り向きましたが、すでにここにはいませんでした。
先ほどの旅行カバンとともに、船内へ入ってしまったようです。
イカスミさんといい、エフクレフさんといい、あんなに大きなものを軽々と……
あ、一応確認です。
「ポモさん、あのカバンって……私の荷物、ですよね?」
「はい! もちろん、ジュスたんの旅行道具一式ですよぉ! えっと、ジークさんに頼まれていたんです。アッチェレの店に行って、ジュスたんのお母さんに荷造りしてもらった荷物をここまで運んでほしいって」
ポモさんはとっても楽しげですが……
話の内容は、黙って聞いている限りあまり楽しいものではありませんでした。
私は、なんだか申し訳なくなってしまいました。
「そ、そんな大変なこと……私が気がついて取りに戻ればよかったのに、ポモさんにご迷惑をかけて……」
「全然大変じゃないですよぉ! それに、ジュスたんがお店に戻っていたら、ここまで無事に来られたかどうかもわからないんですから! ボクはほら、乗りかかった船ですし、ジュスたんの歌が大好きですし……だれかのために役に立てるのって、本当に嬉しいことなんですから!」
私が縮こまれば縮こまるほど、ポモさんは嬉しそうに楽しそうに話し続けます。
特に「だれかのために役に立てる」のところを強調して……
ポモさんは侯爵家のご令嬢、普段は「だれか」の立場だからこその言葉です。
「えっと、それから……カバンの中には、お母さんからのお手紙も入ってますよ! よかったですね!」
ポモさんは絶えずにこやかにしています。
……と、思いきや、
「ああそうだ! 忘れるところでした!」
肩にかけたポシェットから、白い布切れ……
薄くて高価そうなハンカチを1枚取り出しました。
「ジークさんから初めてジュスたんの似顔絵を見せてもらったとき、どこかで見たことがあるなぁと思っていて……で、久しぶりに家に帰ってきて、思わず『これだぁ!』って叫んじゃいましたぁ」
ポモさんが広げて見せてくれた真っ白いハンカチには、隅に刺繍が施してありました。
金色の長い髪をなびかせた、美しい女の人の横顔です。
「これ、ボクの家の紋章なんです。この女の人、ジュスたんに似てると思いませんか?」
……へっ!?
常盤色の瞳をキラリと光らせたポモさんに、私はぶんぶんと手を振ってみせました。
「いやいやいや! 全然似てませんよ! 私、こんなにキレイでも美人でも可愛くもないですからっ!」
「えー、似てると思うけどなぁ……」
ポモさんは残念そうに肩をすくめていましたが、唐突に顔を上げて、
「エフさん! エフさんはどう思いますかー? これ、ジュスたんに似てますよね?」
いつの間に港へ戻ってきていたのか、私の後ろにひっそりと佇んでいたエフクレフさんに、ポモさんは必死に賛同を求めています。
しかし。
「……」
エフクレフさんは特に何か答えるつもりはないらしく、遠くにジークさんの姿が見えることを確認すると、また船の中へと戻っていってしまいました。
「えー! ちょっとエフさーん! なんでもいいから何か言ってくださいよぉー!」
ポモさんが呼びかけても、大きな背中が振り返ることはなく、甲板から船内へと消えてしまいました。
後ろ姿しか見えなかったので、エフクレフさんがどう思っていたのかはわかりませんが……
似ていると思ってくれていたら、ちょっと嬉しい、かもしれません。
ポモさんと船を見つめていると、先ほど姿が見えたジークさんが戻ってきました。
「黒服隊の皆さんに、近くの喫茶店でコーヒーをご馳走してきたが……彼らのあんなに喜ぶ姿は初めて見たな」
「あ~、コーヒーは、そうですねぇ……ボクの家じゃ、自由に飲めないものですから」
ポモさんはしみじみと呟いて、もじもじと名残惜しそうにしていましたが、やがて大きく頷くと、
「じゃあ、ボクはそろそろ帰ります。皆さん、良い旅を!」
にっこり微笑んで、来た道を戻っていきました。
トマト色の髪が、風になびいて揺れています。
「ポモコ! ありがとう!」
「ポモさん! ありがとうございます! お気をつけて!」
ジークさんと私が歩き去っていく背中に声をかけると、ポモさんは振り向いて手を振ってくれました。
きっといつか、ポモさんにも私の歌をゆっくり聞いてもらおう。
その日のために、今は……
ほんの少しのお別れです。
トマト色の髪が見えなくなるまで、私たちは手を振り続けていました。
★彡☆彡★彡
私の大きな旅行カバンは、エフクレフさんが船の中、私にあてがわれた船室へと運んでくれました。
簡素な寝台と大きめの机、そして小さな丸窓のついた1人用の船室です。
船内では出港の支度が始まったようで、少しバタバタしている様子が私の船室まで伝わってきます。
私は早速、母さまの荷造りしてくれた旅行カバンを開けてみました。
実はこの旅行カバン、母さまが大事にしていた一級品のもので、上下開きの上部分は鏡になっています。
いつでも鏡台として使える便利なカバンだと、母さまが自慢げに話していたことを思い出します。
そんなカバンの中から出てきたのは、大量の着替えと髪を梳かすブラシ、そして日記のように使っているこのノートでした(おかげで、今も書き続けられています)。
中身を一通り確認してカバンを閉じようとしたとき……
鏡の裏の隙間に、手紙のようなものが挟んであるのに気がつきました。
手紙にしては少し大きめの封筒に、母さまの字で『お守り』と書いてあります。
いつもの殴り書きのような字です。
「お守り……?」
そりゃあ、多少命の危険のある旅だけど……
こんなに大きなお守りなんて、大げさすぎるというか、母さまらしくないというか……
首を傾げながらも、中に入っている紙を引っ張り出してみました。
現れたのは、あの日の私でした。
18歳の誕生日に、特別に書いてもらった似顔絵です。
翡翠のイヤリングをつけて微笑む私は、どこか気取っていて……
ジークさんは美化して描きすぎだと、改めて思うのでした。
「……」
似顔絵の入っていた封筒には、もう1枚折り畳まれた紙が入っていました。
いったい何でしょう。
そういえば、ポモさんが母さまからの手紙も入っていると言っていたような……
開いてみると、
『あたしには必要のないものだけど……ジュスティーヌ、あんたにはきっと命の次に大事なものだろうから入れておくよ』
もうなんだか怒っているみたいな母さまの字で、そう書いてありました。
母さまの、いつものむすっとした顔が見えるようです。
でも確かに、母さまの言う通りです。
これ以上に大切なお守りを、私はほかに知りません。
「ありがとう、母さま……」
大好きな人が描いてくれた大切な似顔絵と、大切な人が私のために書いてくれた一通の手紙を胸に抱いて、大きく深呼吸……
「……」
見知らぬ国、見知らぬ港……
そして、確かなことなど何もない、これからのこと。
そんな未知の世界に囲まれて、やっぱり私は少し緊張していたみたいです。
深呼吸を繰り返すうちに、だんだんと心が落ち着いてきました。
もう、大丈夫。
私には、大切なお守りがふたつもあるもの。
私は、似顔絵を丁寧にこのノートの見開きに挟みました。
これで、いつでも嬉しくてたまらなかった誕生日を思い出せます。
そして、母さまの手紙はスカートのポケットへ。
これで、いつでも母さまと一緒にいられます。
どちらも、私にとっては大切な『お守り』です。
つづく




