第10話「ちょ、ちょっと待って……!」
「……そうかい」
母さまは、またむすっとしていましたが、すぐに真剣な表情になって、
「このまましゃがんでいけば、だれにも見つからずに裏の勝手口から出られる。気をつけていくんだよ」
私とジークさんは、母さまとリットさんとアッラルさんに見送られるまま、店の外へと脱出しました。
ほんの一瞬、タイ公爵がこちらに視線を移したように見えてドキリとしましたが……
リットさんとアッラルさんの後ろ姿をチラリと見ただけのようでした。
なんと……
バレてはいないようです。
★彡☆彡★彡
お店の勝手口は、裏路地に通じています。
外は宵闇に包まれた頃で、チラリと覗き見た大通りは、人波の喧噪で賑わっていました。
人通りが多いせいでしょう、春先の冷たい風もなんだか火照った頬に心地よく、三つ編みにしていた髪の毛の隙間からうなじに入り込み、さわさわと後れ毛を撫でていきます。
毎年変わらない、この時期の気候……
そして、行き来する人々の賑やかな会話……
ほんの少し残った、最後の冬の香り……
先ほどの店内の張り詰めた空気が、まるで異世界のようです。
「少し、ここで待っていてくれ」
ジークさんはタイ公爵の手の者がいないかどうか確認したいらしく、店の周りをそろりそろりと隈なく見て回ってから、また裏路地へと戻ってきました。
タイ公爵は、隠密に事を運びたかったのでしょうか……
貴族だというのに、お付きの者はひとりも連れてこなかったようです。
「大丈夫そうだ。行こう」
差し出された大きな手……
握り返すのは初めてです。
私が遠慮がちに触れると、
「しっかり握っていてくれ。離れ離れには、なりたくないんだ」
「えっ……」
ジークさんの呟きは小さすぎて、よく聞き取れなかったのですが……
聞き返そうとしたときにはもう、ジークさんは私の手を引いて夜の喧噪の中へと歩き出していました。
反対の手には、いつの間に持ったのか私のカバンが握られています。
かなり重たいはずなのに、まるでお鍋のフタを取るみたいに軽々と……
「……」
私は、お礼を言うのも忘れて、ジークさんに手を引かれるまま歩いていました。
明るい街中で見るジークさんの横顔……
耳たぶが、ほんのり赤く染まって見えます。
離れ離れになりたくない……
そう言われたような気がするけれど……
それって、迷子にならないようにっていう意味ですよね……?
私が言ったのとは、違う意味ですよね……
私は、ジークさんの大きな手をぎゅっと握り返しました。
ジークさんと私の靴音が、石畳に軽やかに響きます。
目指すは西大陸北部の大国、ペルガミーノ王国です。
★彡☆彡★彡
ペルガミーノ王国は西大陸最大の王国で、ここもまた、元はソニード王国の一部だった国です。
代々『自由』を愛する者が権力を握る不思議な国であり、ここでは『娯楽』を生み出す者たちを優遇する制度があるそうです。
もちろん、生きていくためにはそんなことばかりしていられませんから、ほんの少し真面目な人々は、商業やらに携わっているようですが……
「彼らも、そちらは副業だと割り切っている。このペルガミーノ王国では、生きるための仕事、その価値がほかの国とは違うんだ」
ペルガミーノ王国の王都を北へ北へと歩きながら、ジークさんが説明してくれています。
一日かけてソニード王国を北上した私たちは、大事を取ってソニード王国の王城が管理する宿に1泊しました。
そして、翌朝早くに出発したおかげで、午前中にはペルガミーノ王国へ到着し、昼過ぎには王都へと入ることができたのです。
芸術という名の自由を愛する国、ペルガミーノ王国。
建物という建物の壁面は、それだけで十分カラフルでキレイだというのに、さらに色とりどりの風景画や人物画が、まるでお祭り騒ぎのように描かれています。
そして住宅街からは、様々な楽器の音色が流れてきます。
金管楽器、木管楽器、打楽器……
その楽しげな旋律に合わせて、街中の小さな公園にいた人々が思い思いに踊りだすのが見えます。
なんだか私もつられて鼻歌を奏でてしまいました。
「絵画展、演奏会、舞踏会……ここでは絶えず様々な催し物が開かれている。そこで、国王陛下に日頃の成果をお披露目するんだ。すると、優秀な者には少額だが賞金が授与される」
ジークさんは説明を続けながら、大通りを右へ左へと複雑に移動していきます。
だんだんと住宅街の喧噪が過ぎ去っていき……
「さて……ここを曲がってまっすぐ行けば、港に出られる」
比較的静かな路地裏を左に折れて、そこから右に抜けると、長くて広い大きな通りに出ました。
そしてなんと通りの両脇には、本屋さんという本屋さんが、これでもかとずらーっと軒を連ねています。
しかもよく見ると、小説、実用書、絵本、漫画、そして大きな画集……
と、一軒ずつ扱っている本の種類が違うようです。
「ここ……全部、本屋さんなんですね!」
瞬きも忘れてきょろきょろとあたりを見回し続ける私に、ジークさんは、
「ここでは、これが普通なんだ。生きることが楽しくて、仕方がない感じがするだろう?」
と、得意げに笑いました。
「なんでも、王位継承権第一位の王子が大の本好きだそうで、国民も王子に自分の本を読んでもらいたいと思うのか、本屋ばかりが増えてしまった……ということらしい」
「えっ……これ、全部一般の方が書いたものなんですか?」
私は、大通りを行ったり来たりしながら本屋さんを見回してみました。
確かに言われてみると、売られている本の大きさも厚さも装丁もバラバラで、かなり手作り感があります。
ジークさんは、私の質問に「ああ」と頷きました。
「今までは申請さえすれば、だれでも自由に自分の本を売ってもらえたんだが……そのせいで、質の悪い本や子どもの教育に悪いだろう本までもが巷に溢れかえってしまった。だから、これからは王族が世に出しても良いと思った本だけが選び抜かれる予定だ。そして……いずれは他国からも本を募集して、大規模な小説大賞を作るという話もある」
「へぇ……ジークさん、詳しいんですね」
久しぶりに楽しげに話すジークさんに微笑んでみせると、
「以前、ペルガミーノ王国の国王陛下に、自分も小説を書いていると話したことがあって……その縁で、小説大賞の創設にも少し携わっていたんだ」
ジークさんは珍しく、はにかみながら口を開きました。
もともとジークさんは、ムーシカ王国の子爵という偉い人です。
そして、ペルガミーノ王国はムーシカ王国と同じ元ソニード王国……
きっと、いろいろな繋がりがあるのでしょう。
……ん?
ちょ、ちょっと待って……!
「ジークさんって、小説を書いているんですか!?」
さらりとした報告に目を丸くしていると、ジークさんは眉を八の字にして首を振りました。
「小説と呼べるほど、立派な代物じゃないよ。ノートの隅の落書きみたいなものでね。今はもう、手元にはないんだ」
「そうですか……」
ああ、残念。
ジークさんの小説、一度でいいから読んでみたかったです。
どんなお話だったのかな……
落書きみたいなお話でも、ジークさんが書いたものなら何でも読んでみたいのに……
そこでふと、私もこのノートのことを話そうかと思ったのですが……
もしも「見せてほしい」なんて言われたら、とっても困ることに気がついて「私も……」と、出かかった言葉を飲み込みました。
だって、こんな拙い文章、恥ずかしくて人に見せられるようなものではありませんから。
私とジークさんは、本屋さんをチラチラと横眼に見ながら、大通りを南へ向かって歩いていきました。
つづく




