第8話「味方……?」
沈黙が支配する店内で、最初に口を開いたのは、正体不明のカンタービレ先生でした。
「あら、あなた……」
先生は、私を守るように立つジークさんに目を向けると、ほっとしたように息をつきました。
「よかった、ちゃんと来てくれたのね、ジークさん……いいえ、タイ公爵付きジークレフ子爵……と、お呼びしたほうがよろしいかしら」
「! ……」
カンタービレ先生の一言に、ジークさんは息を呑み、右手を広げて私を庇うように立ち塞がりました。
目線は、一時たりとも先生から離れません。
「……」
ソニード王国内でジークさんの素性を知る人は少ないはずなのに……
なぜ、カンタービレ先生はご存知なのでしょう。
確かに先生は、出会った頃から謎の多い人物でしたが……?
私がジークさんの後ろからじっと様子を窺っていると、ジークさんから視線を逸らしたカンタービレ先生と目が合いました。
そこには、あの冷たい声の持ち主とは思えない、温かな視線がありました。
「ああ、ごめんなさい。誤解させてしまったみたいね。ジークさん、安心して。私は、あなたの味方です」
いつの間にか、先生の声色はいつもの優しく穏やかなものに戻っています。
そして、ジークさんの木賊色の瞳を見つめる漆黒の瞳には、その言葉が嘘ではないという強い意志が瞬いていました。
けれども、ジークさんはまだ半信半疑のようで、右手で私を庇ったままです。
先生は、気にせずに続けられました。
「あなたがムーシカ王国で読んだ手紙は、わたしが書いたの。どうしても、あなたにここに来てもらいたくて。もちろん、手紙の内容は本当です。もうすぐタイ公爵がここへ乗り込んでくる。時間がないの、だから……どうか、わたしを信じて。そして、すべてわたしに任せて頂戴」
「……」
カンタービレ先生の告白をじっと聞いていたジークさんは、しばらく考え込んだ後、ぱっと目を見開いて、
「あ、あなたは、まさか……!」
それだけを絞り出して、固まってしまいました。
カンタービレ先生は小さくため息をおつきになると、
「なるほど。わたしがだれだか、今わかったのね。あの大地震のときは、お互いにあまり話もできなかったから……それにしても、女性を髪型でしか判別できない悪い癖、まだ直してなかったなんて」
独り言のように言って、寂しそうに微笑んでみせました。
「でも、仕方ないわね。ムーシカ王国の人間だってバレないように、髪の毛の色は大好きな濃紺に染めているんだもの。それに、あれから数十年も時が流れたわけですものね」
「……」
カンタービレ先生の言葉に、ジークさんはゆっくりと一礼しました。
まるで、ここが華やかな宮殿の中であるかのように。
「このような場所でお目にかかれるとは思ってもおりませんでした。失礼をお許しください……スラ―伯爵夫人」
「ふふっ、いいのよ。名乗る前に思い出してもらえたみたいで、何よりだわ。実は、忘れられているんじゃないかと思って不安だったのよ」
「まさか……忘れるわけがありませんでしょう。あのようなことがあったというのに」
ジークさんは穏やかな顔で私を振り返ると、
「安心してくれ。この方は味方だ。それも、とても心強い味方だ」
そう言って微笑みました。
味方……?
カンタービレ先生が……?
それに、スラー伯爵夫人って……?
と、疑問に思ったのは、もちろん私ひとりではありませんでした。
「ちょ、ちょっとジークさん! あたしらにゃ、さっぱりだよ! なんでカンタービレ先生が、スラーなんたら~になるんだい!?」
「そうだよぉ! もっと年寄りにもわかるように説明しておくれよ!」
私がちんぷんかんぷんである以上に、アッラルさんとリットさんもまた、理解が追いついていないようです。
ふたりから説明をせがまれた形になったジークさんは「手短にお願いね」と微笑むカンタービレ先生に頷くと、
「この方は、スラー伯爵夫人。タイ公爵によって亡き者にされた、ムーシカ国王付第一貴族、スラー伯爵のご夫人です」
と、本当に手短に説明してくれました。
「……」
ぽかんとするリットさんとアッラルさんに、カンタービレ先生は補足のように、
「わたしの夫は、あそこでは珍しくムーシカ地方の独立に反対していたから……独立推進派のタイ公爵にとっては目の上のたんこぶだったのね。そのとき、夫と同じようにして命を狙われた私を匿ってくれたのが、ジークさんなのよ。だから、今度はわたしの番……お世話になった分、恩返しさせて頂戴ね」
そう告げると、ジークさんに向かってにっこり微笑みました。
ジークさんは、何やら思うところがあるのか、泣き笑いのような複雑な表情をしています。
きっと、おふたりにしかわからない共通の想い出があるのでしょう。
昔を懐かしんでいたジークさんが口を開きかけた、そのとき。
店の扉に付いた鈴が、またしてもけたたましく鳴り響き、来客を告げました。
だれも望んでいない、来客を。
★彡☆彡★彡
その人は、紺の上下に身を包んだ、60代ほどの男性でした。
銀鼠色の髪はフサフサで、意志の強い瞳もまた銀鼠色で、髪の色と瞳の色が必ず同じになるという、ムーシカ地方の人の特徴にピタリと当てはまります。
若々しい男性だなぁ……
と、思ったのも束の間、
「やはり先回りしていたか、ジークレフ」
しわがれた深みのある声は、歳を重ねた壮年の男性そのものでした。
「……」
銀鼠色の瞳に見据えられたジークさんが唇を引き結んでいるところからしても、この人がタイ公爵なのでしょう。
ムーシカ王国によるソニード王国の征服を企む、国王に次ぐ発言権を持つ貴族……
「しかし、残念なことだ」
冷ややかな笑みを浮かべたタイ公爵は、意地悪く口元を歪めました。
「まさか、貴様が先に取り決め違反を犯すとはな。まあ、昔から勘の良い貴様のことだ。それほど、ジュスティーヌという歌姫は良い歌声を持っているのだろう。だが……」
タイ公爵はそこで言葉を切ると、ジークさんから視線を逸らして……
「……」
あっと思う間もなく、ジークさんの後ろに佇んでいた私と目が合いました。
そして、私を上から下まで眺めまわすと、
「その小娘が、大衆の心を掴むような美しく素晴らしい歌を歌うようには、到底見えんのだがな」
そう言い捨てて、鼻で嗤いました。
彼のじっとりとした視線は、まだ私に向けられています。
なんだか、身体中を触られているような気色悪い感じがして、私は思わずジークさんの陰に隠れて、コートの背をぎゅっと握りしめようとしました。
しかし……
力が入りません。
視線の先で、手が震えていました。
今ここにある恐怖……
この先何が起こるのか、何もわからない不安……
すべてがないまぜになった感情が、手の震えとなって私を襲っていました。
そんな不安と恐怖が、震えるコート越しに伝わったのでしょうか、
「そのようにお考えなのでしたら、今すぐお引き取り願います」
ジークさんがそう言い捨てました。
まるで氷のように冷たく鋭い声色に、私までビクッと心臓が飛び跳ねてしまったくらいです。
しかし……
「あっははははは! 貴様にしては、なかなか面白いことを言うようになったな」
タイ公爵は、ジークさんを見据えたまま、乾いた笑い声を上げました。
もちろん、目元はほんの少しも笑ってなどいません。
「貴様の勘は鋭いと、先ほど言ったはずだ。そんな貴様の見込んだ歌姫だ、歌声も良いものに決まっている」
「……」
「その小娘は何が何でも連れていく。そして、ムーシカ王国のために、喉が嗄れるまで働いてもらうぞ! だれが何と言おうとな!」
つづく




