第7話「この方も謎の多い方でした」
「ジークさんっ!」
私は、微動だにしない母さまから大ジョッキを引き抜くように受け取ると、急いでジークさんに差し出しました。
いったい何事かとざわつく店内で、ジークさんは大ジョッキを勢いよく飲み干すと、
「ジュスティーヌ! 無事か!?」
私の肩を鷲掴みにして、ぐっと顔を覗き込みました。
ち、近いです、ジークさん……!
間近に迫る木賊色の瞳にドギマギしていると、ようやく動けるようになったらしい母さまがこちらに来る気配がしました。
「ちょっと、いったい何がどうしたんだい。あたしたちにもわかるように、イチから説明しておくれ」
眉をひそめる母さまは、ジークさんの手を睨みつけていましたが、ジークさんは我に返ったように店内を見回し、ほぅっと安堵のため息をつきました。
私の肩に置かれたジークさんの大きな手は、まるで謝るように優しく肩を叩いてそっと避けられました。
なんだか、尋常じゃないことが起こっているようです。
店内は静寂に包まれ、リットさんとアッラルさんも、ようやく椅子に腰かけたジークさんの言葉を待っていました。
「……」
けれどもジークさんは、言い出しにくいのか、空になった大ジョッキを握りしめて見つめたまま……
引き結ばれた唇も、そのまま開かれません。
痺れを切らした母さまが息を吸いこんだ、そのとき。
「ここへ、来る……」
ジークさんが、まずそれだけを絞り出すように口を開き、顔を上げました。
木賊色の瞳が私を正面から見据えます。
そして……
一呼吸以上の間を取って、ジークさんは重々しく言葉を紡ぎました。
「もうすぐ、ここへタイ公爵が来る。ジュスティーヌ、君をムーシカ王国へ連れていくために」
★彡☆彡★彡
それは、ジークさんがポモさんを無事にセレアル侯国へと送り届けた、今日の午前中のことでした。
タイ公爵が、ジークさんに宮殿での役職を与えると言い出したのです。
これは、ムーシカ王国では破格の昇級なのだそうですが、ジークさんはその昇級を断りました。
そもそも宮殿内の政治、内政には興味がなく、王国から出られなくなればジュスティーヌの歌を聴く機会もなくなってしまう、と考えたからだそうです。
しかし……
この決断が、タイ公爵の機嫌を損ねてしまいました。
ジークさんは、
『宮殿内で絶対的な力を持つ自分の命令が聞けない愚か者』
と、思われてしまったのです。
機嫌の悪いタイ公爵は、おそらく何か報復してくるはずだ。
そして、それは自分ではなくて、自分が大切にしているソニード王国の歌姫ジュスティーヌ、つまり……
私だと、ジークさんは考えたのです。
そしてジークさんは、私の身に何か起こる前に何とかしなければと、ここまで全速力で駆けて来たのでした。
「あんたねえ、そろそろ自分の歳を考えな。もう若くないんだから」
ジークさんは、母さまが持ってきた2杯目の水を受け取ると、渋い顔でまた一気に飲み干しました。
「気が気じゃ、なかったんだ」
ジョッキをテーブルに戻し、みんなが見守る中で、ジークさんは口を開きました。
「宮殿にある自室に、手紙が届いていた。そこに、今すぐソニード王国のアッチェレの店へ向かえと書かれていて……差出人はわからなかった。しかし、行かないわけにはいかなかったんだ」
「その手紙が何かの罠だったかもしれない、とは考えなかったのかい」
「……」
母さまの的を射た一言に、リットさんとアッラルさんも「確かにそうだねぇ」と頷きあっています。
けれども、ジークさんは眉間にシワを寄せて、
「てっきり、ここにいるだれかが危険を察知して知らせてくれたものと思っていたんだが……」
と、呟きました。
「……」
その一言に、リットさんとアッラルさんは顔を見合わせ、母さまは呆れたように大きなため息をつきました。
そんなお節介をするやつは、ここにはいない。
とでも言いたげに。
「しかし……たとえ罠でも、俺はここに来ていた」
そんな3人を前に、ジークさんは断言するかのように真剣に告げました。
木賊色の優しい瞳が、私を見つめます。
「ここに来ておけば、自分の手でジュスティーヌを守ることができるからな」
「……」
その言葉に、私の胸は大きく高鳴りました。
なぜでしょう……
「あんた、どうしてそこまで……」
私の常日頃の疑問を投げかけてくれた母さまでしたが、そこで何かに気がついたかのように、はっと口をつぐみました。
ジークさんは、そんな母さまにむくれてみせました。
「歌が好きなんだ。自分が音痴だから、尚更そう思う。それだけだ」
「それだけって……だれが歌ったって同じってわけじゃないだろうに」
「……」
その何かを見透かした一言に、ジークさんは黙りこくってしまいました。
母さまは、得意げにカウンターのウイスキーグラスを弄んでいます。
そしてどうやら、ジークさんの次の言葉を待っているようです。
「……」
母さまには、すでにわかりきった返事のようです。
私には、何が何やらわからないままですが。
「……」
どれくらい、そうしていた頃でしょうか。
沈黙に耐えかねたのか、ジークさんが俯いていた顔を上げました。
しかし……
何も話すことはなく、ただじっと店の扉を見つめています。
いったい何事かと私と母さま、そしてリットさんとアッラルさんも扉へと視線を向けました。
店の扉には、覗き窓はありません。
木製の扉に鈴がついているだけなので、だれかが外に立っていても、こちらからは見えない作りになっています。
まさか……!
気配を察したジークさん、そして扉の向こうにいるであろう人物の正体を悟った私たちは、テーブルを囲みながらも咄嗟に身構えました。
ジークさんは扉を睨みつけたまま微動だにしませんが、私はすぐに逃げられるように腰を浮かせました。
母さまは、氷の入ったタンブラーを抱えています。
まさか、投げつけるつもりでしょうか。
リットさんとアッラルさんはというと……
もうすでに、椅子の陰に隠れてしまっていました。
そして、全員が固唾を飲んで見守る中、扉が開いて鈴が鳴りました。
「……ああ、よかった。あまりに静かだから、だれもいないのかと思ったわ」
扉の向こうから現れたのは、女の人でした。
聞き覚えのある声に、サイドアップにした濃紺の長い髪……
じっと見ていると、くりっとした大きな黒い瞳と目が合いました。
なんと……
私の歌の先生、カンタービレ先生です。
「はあぁぁぁ……」
私たち5人は、先生には失礼とわかっていながら、盛大に安堵のため息をつきました。
「え? 皆さん、どうなさったの?」
カンタービレ先生は、怪訝な顔で私たちを見回していらっしゃいます。
「先生! ごめんなさい、今日いらっしゃるって聞いていませんでしたから……」
「あら、たまには突然ふらりと現れたっていいでしょう? このお店は、いつから予約制になったのかしら?」
私が失礼を詫びると、カンタービレ先生は瞳をキラリと光らせて、ぷっと小さく吹き出しました。
そして……
「なんて、ね」
今までに聞いたことのない、氷のように冷たい声色……
「え……?」
ぽかんとする私を見つめる視線も、いつの間にか鋭いものへと変わっています。
「……」
様子のおかしなカンタービレ先生から離れようと後ずさると、ジークさんが大きく一歩前に出て、私とカンタービレ先生の間に入ってくれました。
母さまはまだタンブラーを抱えたままですが、リットさんとアッラルさんは好奇心に負けたのか、椅子の陰から身を乗り出しています。
「……」
そういえば、この方も謎の多い方でした。
いったい、カンタービレ先生は何者なのでしょうか……
つづく




