第5話「もちろんです」
それは、今から半年前……
ジークさんの手紙が、アッチェレの店に届いた頃のことです。
ソニード王国近辺での仕事を失ったジークさんは、その昔、船で旅に出ていた頃の腕を買われて、一隻の商船を任されていました。
そんな商船の船長として、各国の視察も兼ねていたジークさんは、その縁もあってセレアル侯国のご令嬢を警護するという仕事を任されました。
セレアル侯国第7侯爵家令嬢ポモドーロ・カペリーニ。
現在24歳の彼女は、幼少期からおてんば娘として名をはせていたそうですが、
『西大陸を船で周遊してみたい』
と言い出したときには、さすがにお屋敷中がざわついたといいます。
カペリーニ侯爵は厳格な方ですが、今までも一人娘の無茶な頼みを無下にはせず、できる限り手を尽くしてくれる優しい父親でした。
けれども今回ばかりは難しく……
侯爵家内での議論の末、家中の使用人をかき集めて警護につかせることになりました。
そして……
西大陸周遊の水先案内人として、地理に明るく船の扱いにも手慣れたジークさんが選ばれたのです。
ポモさんが初めて会ったときのジークさんは、まるで死んだ魚のような目をしていたといいます。
依頼された仕事をこなすためだけに生きている。
この世界に、心躍るような楽しいことなど何もない。
とでも言いたげに。
船はセレアル侯国の南から出発して、沿岸を添うように内海を北上していきました。
航海を始めて5日経ち、セレアル侯国から船が離れた頃……
ポモさんは、思い切ってジークさんに尋ねたそうです。
『どうして、そんなに元気がないんですか?』
人の出払った甲板にぽつねんと佇んでいたジークさんは、磯の香りのする強い海風の中で、遠い目をして口を開きました。
『歌が……ないからな』
その意味深な響きに、ポモさんは俄然興味が湧いてきたそうで……
………
……
「いろいろ聞かせてもらったんです。ソニード王国の歌姫、ジュスティーヌのことを」
店内のテーブル席で、ポモさんは昔語りをしながら注文したカルーアミルクを一気に飲み干しました。
もう店内に残っているお客さんはリットさんとアッラルさんだけでしたが、母さまも含めてポモさんの飲みっぷりに目を丸くしていました。
ジークさんはというと、今晩の宿を探しに行っていて、ここにはいません。
けれど、エフクレフさんは私の警護を命じられたままらしく、バーカウンターの後ろで気配を消して佇んでいます。
こっちに来て、一緒に聞けばいいのに。
恥ずかしいのかな……
残念ながら、薄暗いせいで彼の表情は見えません。
ちなみに、ポモさんの昔語りのおかげで、どうしてエフクレフさんがジークさんのことを「船長」と呼ぶのかがわかった私は、人知れずスッキリしていたのでした。
「ジークさん、すっごく好きなんですよ。ジュスたんの歌」
強いお酒を一気飲みしても顔色ひとつ変えず、ポモさんはじっと私を見つめました。
「どんな女の子かって聞いてるのに、ジークさんってば歌のことしか話してくれなくて……彼女が歌うから良い歌になる、ステージに立つ姿はまさにソニード王国一の歌姫。ほかにもいろいろあったけど、正直ボクにはよくわからなくて……でも、ひとつだけ一目でわかることがあって」
ポモさんは、そこまで一息にはなすと、ふっと当時を思い出すように目を閉じてから、口を開きました。
「ジークさん、ジュスたんの歌の話をしているときだけ、死んだ魚から生きている人間に戻るんです」
そんな生き生きとした人間のジークさんに、ポモさんは気がつけば投げかけていたそうです。
……答えのわかりきった質問を。
『その歌姫の歌、また聴きたいですか』
なぜなら……
ポモさんには、妙案があったからです。
『船を、ペルガミーノ王国沿岸で故障して乗れなくなったことにすればいいんです。そこからなら、修理を待つより大陸を縦断したほうが早くセレアル侯国に帰れますから。あと、これがいちばん大事なことですけど……この作戦、縦断経路にソニード王国が含まれてるんですよ』
『……』
ジークさんは何も言いませんでしたが、その瞳はまだ生きた人間のものだったそうで、彼の決意が伝わってきたといいます。
「でも、この後が大変だったんです。本当に船を壊さないといけないわけですから……けっこうボロボロになるまで壊したんですよ」
大変だったんですから、と語るポモさんは、でもどこか楽しそうで……
聞いている私も、自然と口角が上がってしまいました。
それにしても、船をボロボロにするって、具体的にどうしたのでしょう。
やっぱり、甲板に穴をあけたり、帆を破いたりしたのでしょうか。
私が、船をボロボロにする狂気的なジークさんとポモさんを想像していた、そのときです。
「あの船は、もともとが古くなっていたからな。全体が壊れるのも時間の問題だったはずだ」
いつの間に戻って来ていたのか、ジークさんが店の入り口から声をかけてきました。
そして、私たちのいるテーブル席まで来ると、空いていた席に腰かけました。
「それよりも、わざと壊すほうが大変だったな。あくまでも走行不能を偽るんだから、船には手を付けずに帆を破けばいいだけだったんだが……」
「ボクが、甲板に大きな穴をあけちゃったんです。ボロボロ感出したほうが、いざ問い詰められたときに楽かなと思って。でも、ちょっとやりすぎちゃいましたね」
てへへと舌を出すポモさんに、ジークさんは眉間にシワを寄せていましたが、その表情はなんだか楽しそうで……
「しかし、ボロボロにしたおかげで視察に来た奴らも唖然として、案の定陸路しかなくなってね。こうしてジュスティーヌに会えたんだから、今までのことは全部良しとしよう」
ジークさんは、ため息交じりにふっと鼻で笑ってみせました。
そこまでして、私の歌を聴きに来てくれたなんて……
ジークさんは、半年間も私の歌を思っていてくれた。
町はずれの酒場で歌う私のことなんて、もう忘れられていてもおかしくないというのに。
今ここに、船を壊して取り決め違反を犯してでも私の歌を聴きたいと思ってくれていたお客様がいる事実に、私は強く胸を打たれたのでした。
「ああ、そうそう! ジュスたんに見せたいものがあったんでした!」
ジークさんの話をニコニコと聞いていたポモさんがパッと立ち上がり、自分の荷物らしい大きなカバンから、1枚の紙を慎重に取り出しました。
丸まっているのは、折り目がつかないようにするためでしょう。
「これ、ジークさんが描いてくれたんです。あまりにボクがうるさいからって」
そこに描かれていたのは、なんと私の似顔絵でした。
しかも、今まで見てきた似顔絵の中でも、いちばんキレイな絵に見えます。
もちろん、言わずもがな、当たり前ですが……
絵の私のほうが断然キレイで美しくて可愛いです、もちろんです。
それにしても、驚きました。
「ジークさんが、これを……?」
「はい! 似てますよねぇ! おかげで、ジュスたんがお店に入ってきたとき、すぐにだれだかわかったんですよ!」
ポモさんは、じっと絵に見入る私を楽しそうに眺めていましたが、ふいに「そうだ!」と手を打って、
「それ、ジュスたんにあげます!」
なんて、とんでもないことを言い出しました。
「え!? い、いいんですか!?」
「はい! もちろんです! ボクからのお誕生日プレゼントってことで!」
ポモさんは満面の笑みを浮かべて、目を丸くする私に似顔絵を差し出してくれました。
しかし……
受け取ろうとした瞬間、ジークさんが素早く取り上げてしまったのです。
つづく




