第4話「船長って呼んでもいいですか!?」
ポモさんは窓の下にある石段にちょこんと腰掛けると、わたしにも隣に座るよう促した。
「いつもここに座って、ジークさんとエフさんのことを待ってるんです。シーナたんも、ぜひ」
言われるがまま、少し硬い石段にちんまり腰掛けると、ポモさんは心底嬉しそうに微笑んだ。
……なんだか、初めて同年代の友人ができた、みたいな笑顔だ。
しかし。
「……」
その笑顔とは裏腹に、ポモさんはそれから一言も話してはくれなかった。
今にも鼻歌を歌い出しそうに身体を左右に揺らしている。
……気まずい。
ここは、わたしから何か話しかけたほうがいいのだろうか……
あ、そういえば、ポモさんはジークさんとエフクレフさんと親しいようだけど、
『いつもここに座って、ジークさんとエフさんのことを待ってるんです』
クミンちゃんが教えてくれた「ジークさんの呼び方」では呼ばないらしい。
どうしてだろう。
話しかけないと気まずいままだし、いい機会だから、ちょっと質問してみよう。
「あの……ポモさんは、ジークさんのことを船長って呼ばないんですか?」
尋ねてみると、ゆらゆらと揺れていたポモさんは首を傾げて「う〜ん、そうですねぇ……」と少し考えてから、
「ボクの家には、船長さんがたくさんいるから、ジークさんのことはジークさんって呼んでるんですよー」
と、歌うように教えてくれた。
船長さんがたくさんいる……?
うーん、ポモさんは船乗りさんなのだろうか?
またゆらゆらと揺れながら、大通りを見つめているポモさんをちらりと観察してみる。
変わった名前に、変わった髪色……
この国の人ではなさそうだ。
けっこう小柄で、わたしと同じ背丈だけど、歳上かどうかはわからない。
そして、醸し出される雰囲気は、なぜかエスペーシア城に住んでいらっしゃるターメリック王子様によく似ていた。
そういえば、仕事が変わると知らされた後、クミンちゃんには会えたけれど、ターメリック王子様やお世話になったパンデロー君には挨拶もできてないなぁ。
今度、菓子折りでも持って行こうかな。
例えば……
トマトを使ったお菓子、とか。
目の端にチラつくポモさんの真っ赤な髪のせいか、そんなことを考えていると、
「あっ!」
突然ポモさんが立ち上がり、そのトマトのような髪の毛がふわっと揺れた。
「ジークさーん! エフさーん!」
嬉しそうに手を振るポモさんの向こうに、人影が2つ見えた。
少し日が陰ってきたのか、ポモさんが来たときよりは、通りの向こうがよく見える。
目を凝らすと、スラリとした男の人が、先に立って歩いてくるのが見えた。
ふわふわの髪の毛は煉瓦色で、ちらりと見えた瞳は木賊色 。
軽く羽織っている、焦げ茶のロングコートがとてもオシャレだ。
「ポモコ、来ていたのか」
こちらまで歩いてきた男の人は、木賊色の瞳で優しくポモさんを見下ろしている。
よく通る声は若干渋めで、貫禄のある顔から、わたしより10は歳上に違いない……はっ!
わたしってば、じーっと観察して、しかもなんだか失礼なことを……!
「ジークさん、こんにちはー。こちら、シーナたんです」
ポモさんがサクッと軽く紹介してくれたので、わたしはアワアワとカバンの中から名刺を出した。
「こんにちは、ジークさん。わたしは、香辛出版のシーナと申します。今週からジークさんの原稿受け取り係に任命されました。よろしくお願いします」
実はこの挨拶、今日の朝から妹のマーサに煙たがられつつも必死に練習していたもので、噛まずに言えてよかったと、わたしは内心ほっとしていた。
それにしても……
と、ちらりとジークさんの様子を伺う。
木賊色の瞳は、まっすぐわたしの名刺を見つめていた。
この人が、あのとてもステキな小説を書いているんだ……!
目の前にいるってだけで、なんだか緊張する……!
「……なるほど。担当が代わるとは聞いていたが、こんな可愛らしいお嬢さんが来るとは思わなかったな」
ジークさんは、名刺とわたしの顔を見比べていたけれど、そこで顔を上げて涼やかに微笑んだ。
お、おおお嬢さん……?
わたしが……?
しかも可愛らしいって!
「……どうした?」
ぽかーんとしていたせいか、ジークさんは心配そうにわたしの顔を覗き込んだ。
木賊色の瞳と目が合う。
……息が止まるかと思った。
「す、すみませんっ……お、お嬢さんなんて呼ばれたことなかったので驚いてしまって……あ、可愛らしいっていうのも」
「なんだ、そういうことか。これは失礼。名刺をもらったのだから、ちゃんと名前で呼ぼう。よろしく、シーナ」
「よっ、よろしくお願いしますっ!」
名前呼んでもらっちゃったー!
なんて、興奮して上ずった声で応えると、
「船長」
ジークさんの後ろから、背が高くて大柄で、胸板の厚い男の人が現れた。
黒い瞳には若干の苛立たしさが滲み出でいて、なんだかとっても怖い顔だ。
おそらくこの人がクミンちゃんの言っていた、エフクレフさんというジークさんの相棒なのだろう。
「どうした?」
ジークさんが尋ねても、彼はムスッとするだけで答えない。
ジークさんは彼のそんな態度に慣れっこらしく、構わず「シーナ」とわたしに話しかけた。
「シーナも、俺のことは好きなように呼んでくれて構わない。まあ、できることなら船長と呼んでくれるとありがたいな」
「……」
船長って呼んでもいいですか!?
って聞こうと思っていたのに、なんと先を越されてしまった。
これは、こちらとしてもありがたい!
「はい! 喜んで!」
あまりに嬉しかったので、なんだか注文を受けた居酒屋の店員さんみたくなってしまった。
しかし、ジークさん……いや、船長は気にすることなく楽しそうに笑っている。
そして、隣りに佇むエフクレフさんに目配せしてみせた。
それはまるで「これでいいんだろう?」と言いたげな仕草だった。
初対面のわたしには到底わからない、ふたりだけの何かが、そこにはあった。
「それじゃあ、改めまして……よろしく、シーナ」
目の前に差し出された手を、わたしはしっかりと握りしめた。
「こちらこそ……よろしくお願いします、船長」
大きな手だった。
どんなに辛いこと、悲しいことが起こっても、優しく背中を叩いてくれるような大きな手。
握っているだけなのに、大丈夫だよと言われているような気がしてくる。
「あっ!!」
そのとき、成り行きを見守っていたポモさんが突然大声を上げたので、わたしは驚いて船長の手を離してしまった。
船長とエフクレフさんも目を見開いている。
「ど、どうしたポモコ」
「予定の順番、間違えてました。ジークさんに会う前に、お買い物に行くんでした」
「それなら、エフクレフを連れていくといい。気をつけて」
「はーい」
船長の言葉を背中に受けつつ、ポモさんはエフクレフさんと一緒に大通りへと歩いていった。
そんなふたりを見送っていた船長は、くるっとわたしに向き直ると、
「原稿なんだが、手直ししたいところが残っているんだ。時間を貰えるだろうか」
「はい! どうぞ! わたしが早く来てしまっただけなので! というか、時間ならまだまだありますから、どうぞお気の済むまで直してください!」
船長の申し訳なさそうな顔に、わたしはつい早口になってしまった。
それでも船長は「そうか、ありがとう」と安心したように隠れ家の扉を開けた。
外で待っていようと立ったままでいると、船長は中に入って振り向き、
「嫌じゃなければ、どうぞ中へ」
と、困ったように笑った。
嫌なわけない!
わたしは、紳士な振る舞いの船長に「お邪魔します!」と声をかけて、隠れ家へと入れてもらったのだった。
つづく




