表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
歌姫たちのイストワール  作者: すけともこ
第4章「歌姫の物語〜初春」
48/146

第1話「私、18歳になるんです」

 覆い被さるように広がっていた分厚い雲が日に日に薄くなり、雲間から太陽が顔を覗かせるようになりました。

 寒かった冬が終わり、もうすぐ春がやってくるのでしょう。

 店先に積もった雪は、翌日の午後には姿を消すようになり、溶けた水が石畳を縫うように坂を流れていきます。

 私は、幼い頃からこの水が流れていく様子を見るのが好きな、変わった子どもでした。

 母さまや常連さんからは「何が面白いんだか」と呆れられていますが、一度流れる様子を目にしてしまうと、何をしていても手を止めてじっと見入ってしまいます。

 流れる水を見ていると、心が落ち着いてくるのです。


 ジークさんの手紙を受け取ってから、半年近くが経ちました。

 もう二度と、ここへは現れない……

 その言葉通り、ジークさんは一度も母さまのお店へは来ていません。

 私はジークさんのことを思い出すたびに、近くを流れる川を覗いていました。

 もう会えないんだということは、頭でも心でも理解しています。

 日常生活にも、とくに支障はありません。

 でも……

 ふとした瞬間に思い出してしまうこともあります。

 美しい夕焼け、静かな満月の夜、美味しいプリン、バーカウンターの一席と薔薇の花。

 そして、あの髪飾り。


『これがいい……この色のほうが似合う、と思う』


 ジークさんの声が耳奥で再生されると、もう忘れていたはずの涙がじんわりと視界をぼやけさせるのです。

 そして、考えてしまいます。

 私にとって、ジークさんとはいったいどんな存在だったのかと……


 ただのお客様、というよりは親密な関係で……

 でも、私はジークさんのことは何ひとつ知らなくて……

 それで終わってしまったことがとても悲しくて、悔しいのです。

 もっとたくさんお喋りしたかった、お出かけしたかった……

 一緒にしたかったことが、涙と一緒に次から次へと溢れていきました。

 それでも、毎日は過ぎていきます。

 私は、今を生きていかねばなりません。


 涙を拭い、鼻水をかみ、笑顔の仮面を張り付けて、ステージで歌を歌う……

 そんな日々を繰り返し過ごしているうちに、日はどんどん短くなり、冷たい風が冬を運んできました。

 みぞれ交じりの雪が重たく地面を覆って、石畳の道が見えなくなり、1日の半分以上が夜になりました。

 朝晩の冷え込みは尋常ではありません。

 こんな日々が永遠に続くのでは、とだれもが思い始めた頃……

 春の兆しが見え始めました。

 雲間から暖かな日差しが覗くようになり、石畳に積もった雪を柔らかく溶かしていきます。

 春がやってきたのです。


 ステージ裏の楽屋で、私は屋根から伝い落ちる雫を見つめていました。

 雪解け水の雫は、午後の日差しを浴びてキラリと瞬くと、そのまま石畳の水と合流して流れていきます。

 ジークさん……

 私は心の中で語りかけました。

 ジークさん、もうすぐ春がやってきますよ。

 明日は、私の誕生日です。

 私、18歳になるんです。



★彡☆彡★彡



 私は、誕生日が大好きです。

 叔母のアッラルさんはよく「年を取る日だから、もうあんまり好きじゃない」なんて言っているけれど、私はきっと何歳になってもワクワクドキドキできると思います。

 だって、1年に一度だけやってくる特別な1日です。

 楽しく過ごさなきゃ、もったいないではありませんか!

 たとえだれにもお祝いされなくても、私は自分の誕生日を忘れたりしないでしょう。

 そう言い切れるほど、私は誕生日が大好きなのです。


 誕生日を楽しく過ごすために、掃除などの雑用を前日に終わらせておいた甲斐もあり……

 私は、誕生日をのんびり過ごすことに成功しました。

 夜はステージで歌うので、朝は遅くまでゆっくりと眠り……

 起きたらすぐに、大きなボウルに入ったプリンをペロリと食べ終えて……

 ああ、なんて幸せな誕生日なのでしょう。

 なんて、染み出たカラメルみたいに緩み切った顔の私に、母さまは呆れることなく、


「夜は、常連客と一緒に盛大にパーティーを開くからね」


 そう宣言して、いつも眉間にシワを寄せている母さまにしては珍しく、にっこり笑ってみせたのでした。

 た、誕生日パーティー!

 いつもはお店が忙しいから、私が寝る前にふたりでケーキを食べて終わりだというのに!

 母さまってば、無理しているのかしら……?

 少し心配になったので、いつもと同じで満足だと告げると、母さまは普段通りの眉間にシワを寄せた顔になって、


「あたしじゃなくて、アッラルがうるさいんだよ。ジュスティーヌが寂しそうだから、あの子の好きな誕生日ぐらい盛大にお祝いしてやれって」

「……」


 ジュスティーヌが寂しそう……

 私は、思わず息を呑みました。

 心配をかけまいと必死に隠していたつもりだったのですが……

 さすがは気遣いの第二子、アッラルさんです。

 と、思ったのも束の間。


「アッラルってば、きっと、何かむしゃくしゃしたことがあって、それを発散するためにジュスティーヌの誕生日パーティーなんて企画したんだよ。そこに父さんたち常連客が便乗したのさ、まったく」


 早口に文句をまくし立てる母さまでしたが、頬は上気して口角も少し上がっています。

 どうやら、便乗したのは母さまのほうみたいです。


「母さま、ありがとう」

「お礼ならアッラルに言いな! あと、店の中はパーティーの準備中だから、合図があるまで入っちゃダメだからね!」


 母さまはギリギリ聞き取れるくらいの早口で一気に言い終えると、そのままの勢いで楽屋裏へと立ち去ってしまいました。

 照れ屋さんにもほどがある……

 私はなんだか楽しくなって、すっかり冷めてしまった紅茶をすすりました。



★彡☆彡★彡



 自分の部屋で歌の練習をしたり、このノートを書いたりしているうちに、すっかり日が暮れました。

 窓からは、街灯の灯りがぽつぽつと見えています。

 春が近くなったとはいえ、夜はまだ長いままです。

 ノートを本棚にしまっていると、母さまが呼びに来てくれたので、私は楽屋へと向かいました。

 この日に着るべきものと身に着けるものは、もう決めていました。

 クローゼットから、しまい込んでいた真っ赤なドレスを引っ張り出します。


『……確かに、よく、似合う……と、思う』


 あの日のジークさんの声が、勝手に聞こえてきます。

 あの照れくさそうな表情も一緒に……

 自分で背中のホックを留めて着終わると、次に鏡台の引き出しを開けました。

 中から、あの髪飾りを取り出します。

 薔薇の形に細工されたルビーとガーネット、上品な雰囲気とともに揺れる黒のレース……

 光り輝く臙脂色と紅梅色、それを引き立てる一線の漆黒……


『これがいい……この色のほうが似合う、と思う』


 そう言って、ジークさんが私のために選んでくれた、大切な髪飾り。


「ジークさん……」


 私は髪飾りをぎゅっと抱きしめてから、髪の毛をまとめてねじり上げ、ぐっと留めました。

 自分の心も、びくともしないように固定できたらいいのに……

 店内からは、賑やかな笑い声が聞こえてきます。

 もうお客様が入っているのでしょう。

 急いで仕上げのお化粧をしていると、楽屋に母さまが入ってきました。

 何か、小さな箱を手にしています。


「ああ、ちょうどよかった。そろそろ、支度が整う頃だと思ったよ」


 母さまは私の隣の椅子に腰かけると、持ってきた箱を開けて見せました。

 中から出てきたのは、大きな翡翠のイヤリング……


「ジュスティーヌ、お誕生日おめでとう」


 母さまは、慣れた手つきでイヤリングを箱から取り出すと、


「この色、ジュスティーヌに似合うと思って」


 そう言って私の耳につけてくれました。

 鏡に映った私の耳元で、大きな翡翠が揺れています。



つづく

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ