第17話「決して同じ色ではありません」
バーカウンターには、ステージの準備を終えた母さまと、店先の掃き掃除を終えた私だけが座っていました。
バーテンダーのコーダさんは、今日の仕込みが終わったのか、それとも気を利かせてくれたのか、ここにはいませんでした。
私から手紙を受け取った母さまは、この手紙に何が書かれているのかをすでに知っているかのように鼻息を漏らしました。
そして、自分が読み終わるまでここで待っているようにと、私をバーカウンターの高い椅子に座らせ、黙々と手紙に目を通しています。
「…………」
決して長い手紙ではなさそうだし、もう読み終わっているだろうに、母さまはしばらく経っても顔を上げず、ただ手紙の一点を見つめていました。
日が傾いてきたのでしょう、バーカウンターの南に向いた窓から差し込む光が、ぼんやりとしたものになってきました。
店の中の灯りを灯して回ったほうがいいかもしれない。
椅子から立ち上がろうとした私ですが、
「ジュスティーヌ」
母さまの、いつになく鋭い声に引き留められてしまいました。
母さまは手紙を置いて私を見据えると、一度唇を引き結び、そこから意を決したように口を開きました。
「あいつは……もう、この店には来ない」
「……」
母さまの言葉の意味が、すぐにはわかりませんでした。
いったいどういうことでしょう……
そのままの意味、でしょうか?
でも、そのままじゃないとしたら、どういう意味なのでしょう……?
なんて考え込む私を前に、母さまの話は続きます。
「この国への出入りも禁止されたって書いてあるから、おそらく……もう二度と、ここへは現れないんだろうね」
「か、母さま……?」
まったく、何の話か見当もつきません。
もっとわかりやすく、順序立てて話してくれればいいのに。
けれども、母さまの言葉のひとつひとつは、音の塊となって耳へと届いているのです。
だから私は、理解できていないままに「どうして……」と呟いていました。
何が「どうして」なのか自分にもわかっていない質問に、母さまは答えを探すように虚空を見つめて、口を開きました。
「あいつが、ムーシカ王国の人間だから……」
「ムーシカ、王国……?」
ジークさんが、ムーシカ王国の人……?
それが、この話とどうつながるのでしょう。
「……ジークレフ」
ふと、母さまがぽつりと呟きました。
「ジークレフ?」
耳慣れない言葉をオウム返しにする私に、母さまは「あいつの本名さ」と目を伏せました。
なるほど、ジークレフだから、ジークさん!
なんて、ひとりで納得する私に、母さまは目を伏せたまま話し続けています。
「ジークレフは、ト音記号を意味するムーシカ王国では一般的な名前だ。あいつは……ムーシカ王国で、タイ公爵って奴の右腕として様々な任務を任されていた」
「はあ……」
うーん……
話が大きすぎて、ついて行くのがやっとです。
それなのに、母さまときたら……
「まあ……ここまでは、あたしも知っていたけどね」
「……えぇっ!?」
なんと母さまは、ジークさんが何者なのか知っていたというのです!
母さまの話と、ジークさんのお手紙をまとめると……
………
……
ジークさんは、本名をジークレフといい、ムーシカ王国の重鎮タイ公爵の部下として、信頼と実績を積み重ねていました。
タイ公爵というのは、ムーシカ王国独立の発案者であり、日和見だった現ムーシカ国王を焚きつけて独立を成し遂げた人物として知られている、初老の男性です。
しかし……
タイ公爵はムーシカ王国の独立だけで満足するような、遠慮がちな人間ではありませんでした。
長年に渡ってムーシカ王国を統治下に置き続けた大国ソニード王国を、そっくりそのままムーシカ王国の属国とすること。
それが、タイ公爵の最終目的だったのです。
野望を叶えるため、タイ公爵はひとつの計画を立案しました。
その計画に欠かせない存在が、なんと……
私……ジュスティーヌでした。
タイ公爵は大地震のときの公園での大合唱を知り、これは利用できると考えたようです。
ジュスティーヌの歌声でソニード王国民の心を掴み、なるべく平和的にソニード王国を手に入れる……と。
タイ公爵はこの計画を実現させるため、ソニード王国へよく出入りしていて、なおかつジュスティーヌのことをよく知っている人物に、彼女の説得を命じました。
それが、ジークさん……
タイ公爵の右腕、ジークレフさんでした。
すぐにでもジュスティーヌをムーシカ王国へ連れてくるよう命じるタイ公爵に、ジークレフさんは「いくらなんでも急すぎる」と異議を申し立て、彼女の話を聞くという名目で一日の猶予をもらい受けました。
そして、彼女と一日を過ごした日の夜、帰り際に尋ねたのです。
『もっと、広い場所で、歌いたい……もっとたくさんの人に、自分の歌を聴いてもらいたい……そう思ったことは、あるだろうか……?』
もちろん、ジュスティーヌは「いいえ」と答えました。
その答えに、ジークレフさんは心のどこかで安堵していたそうです。
……これで、彼女を政治に巻き込まずに済む、と。
しかし、タイ公爵がここで引き下がるわけがありません。
自分の計画が失敗するよう誘導されたと知ったタイ公爵は、このままソニード王国へ乗り込み、強引にでもジュスティーヌを連れてこようと意気込みました。
そんなタイ公爵を引き留めようと、ジークレフさんは必死になって、最終手段として、ひとつの取り決めを提案しました。
それは、
『何人たりとも、ソニード王国のジュスティーヌとの接触を禁ずる』
というもの。
つまり、自分はもうソニード王国へ足を踏み入れない代わりに、タイ公爵がジュスティーヌを利用できないようにしたのです。
タイ公爵は渋々ながらこの提案を受け入れ、自分はもうソニード王国への干渉をやめる代わりに、ジークレフさんのソニード王国入国を固く禁じました。
こうして、すべてが丸く収まったのです。
でも、そんなの……
………
……
「あいつはね、必死になってあんたを守ったのさ。あんたが、バカバカしい政治の道具にされないために、ね」
ジークさんからの手紙を折ったり開いたりしながら、母さまがぽつりと呟きました。
その視線は、バーカウンターの後ろの酒瓶の棚へと向けられています。
ジークさんのキープしたボトルでもあるのでしょうか……
南の窓から差し込む光は、儚げなものへと変わっていて……
日が沈んでしばらく経ったことを教えてくれました。
「……母さま」
静寂が支配する店内に、私の声だけが響きます。
いったい何から尋ねたらいいのかわからなかったのですが……
ただひとつ、気になったことを尋ねてみたくなったのです。
「どうしてジークさんは、こんな私を……そんなに気にかけてくれたの……?」
こんなことを聞いたって、母さまにもわからないかもしれないのに……
何やってるんだろう……
そう、思っていたのに。
「ムーシカ地方……今は王国だけど、あの地域の人は、目の色と髪の色が必ず同じ色になる。遺伝的にそう決まっているのさ」
母さまは、まだ手紙を弄びながら独り言ちました。
「……?」
ジークさんの姿を思い浮かべた私は、はて、と首を傾げました。
ジークさんの目の色は木賊色、髪の色はレンガ色……
決して同じ色ではありません。
私の疑問に気がついたらしい母さまは、初めて手紙から顔を上げて、寂し気に目を細めました。
「あいつの父さんは、昔からのムーシカ地方の人だったみたいだけど、母さんは違ったんだ。小さい頃に亡くしたっていうあいつの母さんはね……ジュスティーヌと同じ、プラデラの出身だったそうだよ」
つづく




