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歌姫たちのイストワール  作者: すけともこ
第3章「歌姫の物語〜晩夏」
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第13話「風邪を引いた日なんかは、特に」

『少し寄り道したいところがあってね。ステージの時間までには帰ってこられるところなんだが……一緒にどうだろう』


 ここへ来る前にそう言っていたジークさんですが、彼が私を連れていきたい場所には、どうやら決まった時間があるようで、まだ少し早いようです。

 そこでジークさんは、私を連れて近くの喫茶店へと入りました。

 私のお小遣いでは到底入れないような、敷居の高いお店です。


「……何でも、好きなものを」


 テーブル席につくと、ジークさんは自分のコーヒーを注文して、私にメニューを見せてくれました。

 ほんの少し考えてから、私はメニューの片隅に載っていた、手頃な値段の瓶入りのプリンを注文しました。

 実は、私はプリンと名の付くものに目がないのです。


「……小さいな」


 運ばれてきたプリンをちらっと見て、ジークさんがぽつりと呟きました。

 確かに、お隣のテーブルでオシャレなお姉さんたちが食べているパンケーキタワーに比べれば、私のプリンは半分の量しかありません。

 しかし、同じ値段なのです。

 このお店では、プリンは高級品なのかもしれません。

 ジークさんは、目線だけで「もっとお腹にたまるものを食べなくていいのか?」と問いかけているようです。


「構いませんよ。私、プリン大好きですから!」


 首を傾げるジークさんに微笑んでみせて、私はプリンの上部分のチリチリに焦げたところをぱくっと食べました。

 う~ん! 甘くて美味しいーっ!

 そこですかさず、底の部分にスプーンを差し込んで……

 染み出てきたカラメルを、プリンと一緒にぱくっ……!

 おぉ……

 カラメルの絶妙な苦みに、プリンの甘さが際立って……

 あぁ、天にも昇る心地……!


「……なるほど。本当に好きなんだな」


 目を閉じてプリンを堪能していると、ジークさんの柔らかな声が耳へと届いてきました。

 目を開けた先では、ジークさんが琥珀色のコーヒーを飲みながら、こちらを興味深そうに見つめていました。


「俺は甘いものは苦手で、よくわからないんだが……プリンはそんなに美味しいのか?」

「はい! とーっても! この玉子の甘い部分に、ほろ苦いカラメルが絶妙に調和した感じがたまらなくて……!」


 と、そこまで熱く語って……

 私は、すっと目を伏せました。

 ……ここが高級喫茶店だということを忘れていました。


「すみません。ちょっと大きな声で喋りすぎちゃいました。うるさかったですよね……」

「いや、面白かったよ」

「……え?」


 顔を上げた先で、ジークさんがくっと口角を上げていました。


「プリンは、奥が深いようだ。ジュスティーヌの年頃の女の子は、みんなプリンが好きなのかな」

「……」


 その質問に、私は少し考えてみました。

 私は、巷でよく耳にする「女の子ならコレが好きに決まっている」といった表現があまり好きではありません。

 女の子だって千差万別、十人十色……

 いろいろあるのですから。

 けれども、ジークさんの質問に私は、素直に答えていたのです。


「そうですね、嫌いな人はいないと思います。風邪を引いた日なんかは、特に」


 私の答えに、ジークさんはまた「なるほど」と呟いて、くすっと笑いました。

 私たちのテーブル席には西日が差し込み、空になったプリンの瓶に夕日が反射してキラキラと光っていました。

 そんなキラキラの瓶をなんとなく眺めていると、


「……そろそろ行こう」


 立ち上がったジークさんが、コーヒー代とプリン代をテキパキと支払って、店の外へ出てしまいました。


「……」


 一瞬の出来事すぎて、お礼を言う暇さえありませんでした。

 ポシェットからお財布を取り出して準備していたせいで店内に置いてけぼりをくらった形になった私は、慌ててジークさんの後を追いました。


「あ、あの! ありがとうございました!」


 店の外で待っていてくれたジークさんに頭を下げたものの、当のジークさんはきょとんとしているだけでした。

 まるで、何に対してお礼を言われているのか、皆目見当もつかないとでも言いたげです。

 なんということでしょう……!

 頭を上げた私の顔もひどかったでしょうが、ジークさんは何も気にしていないようで、


「急がないと、間に合わないかもしれない」


 と、私を急かすように住宅地を南へと歩き出しました。

 夕日が差し込んで、オレンジ色に染まる城下町南エリアのさらに南……

 そこは……


「あ、あの、ジークさん……」


 私は、思わず前を歩くジークさんを呼び止めて尋ねました。


「もしかして……ムーシカ王国へ行くんですか?」


 すると、ジークさんは私を見つめて大きく頷きました。


「急がないと、間に合わなくなる」

「は、はい……」


 ジークさんには、国境を超えることに抵抗はないようで……

 それより、何か時間に制限があるものを気にしているようでした。

 ソニード王国から出たことのない私は、ドギマギしながらも歩き出したジークさんの後を追いました。



★彡☆彡★彡



「ここはトンネルになっていて、光の差すほうへと歩いていけばムーシカ王国側へ抜けられる。ジュスティーヌも、自由に使ってくれ」


 ジークさんが「抜け道を行こう」と案内してくれた場所は、城下町南エリアの下町の、さらに小さな路地にありました。

 目印は、トンネルの軒先に掲げられた木板と、そこに描かれたト音記号です。


 前を行くジークさんの後をついて行くと、トンネルの中は薄暗くてひんやりしています。

 抜け道らしく、街灯らしきものはついていません。

 けれど、それほど長いトンネルではないので、出口らしき光がこちら側までうっすらと届いています。


 歩くたびに鳴り響く足音の中、トンネルの出口へと向かって、私たちは歩き続けました。

 どうやらここは風の通り道らしく、時折前方から強い風が吹きつけてきます。

 ……潮の香りのする風です。


「海が近いんですね……」


 ぽつりと呟くと、前を行くジークさんは私を振り向いて、キラリと目を輝かせました。


「実は、これから海を見に行こうとしているんだ」


 トンネルを抜けたジークさんは、路地裏から路地裏へ、夕日に向かって歩いていきました。

 南から西へ、進路を変えたのです。


 ムーシカ王国の西端は、この大陸の外海へと通じています。

 私たちは、本当に海へと向かっているようです。

 私は、ジークさんの後ろを歩きながら、あたりをキョロキョロと観察していました。

 ムーシカ王国も、昔はソニード王国だったからでしょう。

 街並みは、あまり変わりありません。

 けれど、歩けば歩くほど、潮の香りが強くなっていきます。


 そして……

 潮騒も聞こえてくるようになりました。

 もう海はすぐそこのようです。

 と、そのとき。


「あぁ、よかった、間に合った……!」


 夕日に向かって歩き続けて、路地を抜けた瞬間……

 ジークさんの安堵の声とともに、オレンジ色の世界が広がりました。

 路地の先は、横に長く伸びた通路で、欄干が延々と続いています。

 そして、欄干の向こうには……


「これを見せたかったんだ」


 眩いオレンジ色の世界の中で、ジークさんがいつの間にか欄干のそばで手招きしていました。

 恐る恐る近づいて行くと、銀紙のようだった海の中で、白波が立っているのが見えてきました。

 規則正しい潮騒も聞こえています。


「……」


 お互いに何も言わず、欄干にもたれかかっている私たちの間を、強い潮風が吹き抜けて、ジークさんのロングコートと私のワンピースが大きくはためきました。

 欄干の真下では、波が壁にぶつかって水飛沫を上げているのが見えます。


「もうすぐ、海がいちばん美しく見える時間になる」


 ジークさんは目を細めながら、沈みゆく夕日を眺めていました。



つづく

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