第7話「私の名前は、ジュスティーヌです!」
いつでも歌が いつでも私が そばにいる
………
愛唱歌『いつでも歌が』を歌い終わると、それまでの喧噪が嘘のように、広場が静まり返っていることに気がつきました。
「……」
静寂が満ち満ちています。
まるで、時が止まってしまったのかと思うほど、長い静寂……
でも、それは私の錯覚だったようで……
「――――!!」
次の瞬間、あたりは地鳴りのような人々の歓声に包まれていました。
空も割れんばかりの喝采、いつもとは比べ物にならないほど大きな称賛の声……
そのすべてが自分に向けられたものだということが信じられなくて、私はぼんやりと口を開けたまま、その光景を眺めていました。
「おねーさん! もう一回歌ってー!」
喧噪の中から聞こえてきた明るい声に視線を向けると、先ほどまで「家に帰りたい」とぐずっていた男の子が、こちらに満面の笑みを浮かべていました。
その隣には、男の子をあやしていたお母さんと、苛立ったように罵声を浴びせていた男の人もいます。
ふたりとも、先ほどまでのいざこざが夢だったかのように笑顔でした。
木陰でうずくまっていた夫婦も、憔悴していた年配の男性も、拍手を続けています。
焚き火に当たっていたおばあ様は、なんと涙ぐんでいるではありませんか!
そして、ジークさんはじっと私を見つめていました。
美しい、木賊色の瞳で。
「ジュスティーヌ。これが、歌の力よ」
いつの間にベンチへ上がっていらしたのか、カンタービレ先生が私の隣で微笑んでいらっしゃいます。
『あなたの歌声には、人を動かす力がある』
初めて私の歌をお聴きになった、カンタービレ先生の言葉です。
「自分だけの力じゃどうしようもないことが起こったとき、わたしたちは歌を歌うの。自分を慰めるため、だれかを元気づけるため、とにかく歌うのよ」
私の隣に立っていらっしゃるカンタービレ先生は、私の背中をぽんっと叩くと、
「皆さん! 今度は皆さんも一緒に歌いましょう!」
その張り上げられた声に、広場にいる人々の歓声がさらに高まりました。
そんな雰囲気の中で歌われた2回目の『いつでも歌が』は、広場にいる人たちの大合唱でした。
といっても、ハモっていたのはカンタービレ先生だけでしたが。
最前列のジークさんはというと……
なぜでしょう、私を見つめているだけで、一緒には歌っていませんでした。
疑問に思いながらも、私は広場の人々とともに歌い続けました。
3回目、4回目、5回目……
何度歌い続けた頃でしょう、
「開通―っ! 夏大橋、開通―っ!!」
噴水広場の北側から、屈強な男の人がふたりやって来て、歓喜に満ちた声で叫び始めました。
城下町北西エリアへ続く唯一の道である夏大橋が開通したということは……
母さまの待っている家に帰れるということです!
ほうっと息をついてあたりを見回すと、私と同じように北西エリアに住んでいるらしい人々が手を取り合って、盛大に喜んでいるのが見えました。
その一方で、まだ暗い表情の人も少なくありませんでした。
先ほどまで歌を歌ってご機嫌だった男の子も、帰る家がないらしく、今にも泣き出しそうです。
「……」
私だけが喜んでいて、いいのだろうか……
ここに残って、一緒に歌を歌い続けるべきでは……
どうしようかと途方に暮れかけていると、
「大丈夫。あとは先生に任せて、あなたは家に帰りなさいな」
カンタービレ先生が、私の後ろで囁かれました。
え……?
どういうこと、ですか……?
なんて驚く私に何も言う隙も与えず、先生は人々のほうへ手を打ち鳴らし、注目を集めました。
「皆さん! 聞いてください! 家が倒壊した、または火事で燃えてしまったという帰る場所のない方へ、わたしの家を開放します。どうぞ、自由に使ってください」
カンタービレ先生は、そうおっしゃってにっこり微笑まれると、城下町南エリアへ向かって歩き出されました。
広場の人たちは半信半疑のようでしたが、先生が振り向きざまに、
「あ、お金は取りませんから、ご安心を。わたしが欲しいものは、ただひとつ……労働力です。実は、家の中のものが崩れてぐちゃぐちゃになっているので、片付けを手伝ってもらいたくて。で、片付けた場所は、ご自由に使ってくださって構いません。わたしの家、けっこう広いんですよ」
瞳をキラリと光らせるカンタービレ先生は、どうやら自分が思いつかれたこのアイデアに相当満足していらっしゃるようで……
お茶目な先生は、こんなところでも健在のようです。
帰る場所のない人々も、ようやく先生があの邸宅のご婦人だとわかったようで、ゆっくりですが先生に続いて広場から去っていきました。
「先生―! ありがとうございましたー!」
去っていくカンタービレ先生に大きく手を振ると、先生も振り向いて手を振ってくださいました。
その後ろを、人々が行列になって付いていきます。
あの親子連れも一緒のようで、泣いていた男の子は、これから何が起こるのかと、もうワクワクしているようでした。
行列は数えきれないほどの人になっていましたが、寝る場所くらいは確保できる人数でしょう。
広場にいた人々は、カンタービレ先生に付いていった人々と、北西エリアへ向かう人々に分かれました。
そして、それぞれ広場から立ち去って行きました。
あとに残ったのは、即席のステージであるベンチに立つ私と、目の前の草地に腰を下ろしたジークさんだけです。
墨を流したような漆黒の闇も次第に薄れていき、東の空は透き通るような青色に染まっています。
「すてきな時間を、ありがとう」
夜明けの近づく空の下で、ジークさんはゆっくり立ち上がると、私に手を差し出しました。
握手かと思いましたが、少し手の向きが違います。
握手であれば、右手は斜めに差し出されるはずです。
しかし、ジークさんの右手は、すっと何かを支えるように下から差し出されているのです。
……あ!
その理由に気がついたとき、私の心臓は大きく高鳴りました。
ジークさんの紳士たる振る舞いにドギマギしつつ、私は差し出された手を取りました。
すると、ジークさんは至極当然のように、私を草地に降り立たせてくれました。
なんてことない、ただの段差だというのに。
私はいつも、この倍の高さのステージから客席へ飛び降りているというのに。
ジークさんの手は、想像していたよりも大きくて、ほんの少しひんやりとしていました。
「ありがとうございます……!」
お礼を言うとジークさんは目を丸くしていましたが、やがて何のお礼かわかったらしく、クスッと笑いました。
「店まで送ろう。心配しているだろうアッチェレに、ここでのことを教えてやらないと」
ジークさんの視線の先は、母さまの店がある方角に向けられて、その瞳はすっと細められています。
ジークさんが微笑んでいる……
お店ではいつも寂しげな表情をしているので、なんだか新鮮な横顔です。
思わず見惚れていると、声もなくジークさんが私を振り向きました。
思慮深い木賊色の瞳が、まっすぐ私を見据えています。
「……」
「……?」
なかなか話し出さないジークさんに首を傾げてみせると、ジークさんはぽつりと呟くように口を開きました。
「まだ、君の名前をちゃんと聞いていなかった」
「え? 私の名前、ですか……?」
「よかったら……教えてくれないか」
「……」
東の空からは朝日が差し込み、遠くの稜線を白く染めています。
自分の名前を尋ねられただけなのに、こんなにも胸がときめくなんて……
それは、相手がジークさんだったからかもしれませんが、嬉しくなった私は元気よく答えていました。
「私の名前は、ジュスティーヌです!」
つづく




