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歌姫たちのイストワール  作者: すけともこ
第3章「歌姫の物語〜晩夏」
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第6話「歌おう」

「……」


 カンタービレ先生は、かばんの肩紐を握りしめる私をじっと見つめると、俯いて首を振られました。


「残念だけど、今日中には無理かもしれないみたい。この先の噴水広場で待っていればすぐに連絡が入るって話だったから、一緒に行ってみましょう」


 城下町南エリアと北西エリアを繋ぐ夏大橋の手前には、大きな噴水付きの広場、その名も『噴水広場』があります。

 歌練習前に、時間があるときはよく休憩している私にとっては見知った場所です。

 そのため、近くに崩れそうな建物がない安全な場所だということも、すぐにわかりました。


「それなら、急いだほうがいい。大きな広場でも、人が多いと場所がなくなるかもしれないから」


 話を聞いていたジークさんに促されるように、私たちは噴水広場へ向かって瓦礫だらけの街道を歩き始めました。

 夜の帳が下りて、あたりはすっかり暗くなっています。

 街の灯りが消えているせいでしょう、空を見れば、煙と薄靄の向こうで星々が煌めいていました。



★彡☆彡★彡



 噴水広場にいれば、夏大橋が開通した際に連絡が入る。

 カンタービレ先生の情報は正しかったようで、広場には大勢の人が集まっていました。

 家族連れ、親子連れ、何組かの若いご夫婦、年配の方々、仕事帰りの人々……


「今日は、こんなにたくさんの人が北西エリアから南エリアへ来ていたってことかしら」


 広場の入り口で噴水の前に佇む人々を眺めながら、カンタービレ先生がぽつりと呟かれました。


「いや、それだけじゃない。おそらく、家屋が倒壊してここへ避難してきた人たちも少なくないと思います」


 口を開いたジークさんが見つめる先には、大きな木の陰で膝を抱えている女の人がいました。

 その隣で、彼女の肩に手を置く男性は、旦那様なのでしょう。

 かける言葉も見つからないようで、開きかけた口をきゅっと引き結んでいます。


 自分じゃなくて良かった……

 そんな言葉が頭の中に浮かんで、私は思わず目を逸らしてしまいました。

 こんなこと、絶対に考えてはいけないことなのに……

 私が目を逸らした先で、ジークさんはその夫婦をじっと見つめています。


 不思議な横顔でした。

 まるで、何かを思い出しているような、ここではないどこか、今ではないいつかを見つめているような……


「……」


 胸が痛くなる光景は、ここだけではありませんでした。

 大声がするほうを見れば、まだ小さな子どもがわんわんと泣いていました。

 家に帰りたい、家に帰りたい……

 嗚咽の中から断片的に聞こえてくる言葉、それをなんとか泣き止ませようとする母親、そこへ容赦なく浴びせられる罵声……


 普段ならば、爽やかな風とともに、人々の笑顔が溢れているはずの広場だというのに、今は触れるだけで傷つけられる、荒んだ空気に満ちています。

 心を刺されそうな雰囲気の中で、ふと後ろから肩をぽんっと叩かれました。

 振り向くと、カンタービレ先生がほんのりと微笑を浮かべて、


「何か、歌ってちょうだい」


 と、場違いにもほどがある言葉を口にされたのです。

 あまりのことに、私は目を瞬かせました。


「せ、先生! こんな場所で、歌なんて歌えるわけが」

「こんな場所だからこそ、歌うのよ」

「え……?」


 困惑する私に、カンタービレ先生は満面の笑みを浮かべていらっしゃいます。

 そして、ふと思いついたように、


「ね、あなたもそう思うでしょう?」


 と、隣に佇むジークさんに、にっこり微笑んで尋ねられました。


「……」


 ジークさんは、目を閉じて何か考えているようです。

 私は、てっきりジークさんも驚いて困惑するものと思っていました。

 しかし。


「ええ……そうですね」


 と、真剣な顔で大きく頷いたのです。


「……」


 私の心臓が大きく高鳴りました。

 なぜかはわかりませんが、私はジークさんに「歌ってほしい」と声をかけられることを期待していたのかもしれません。

 木賊色の美しい瞳が、私をじっと見つめています。


「いつも歌っている『いつでも歌が』を歌ってくれないか」

「……」


 どの空よりも、うんと深い気品に満ち溢れた色の瞳……

 私は瞬きも忘れて見入ってしまいましたが、噴水の水しぶきの音で我に返り、大きく頷いてみせました。


 歌おう。

 いったい何人の人が耳を傾けてくれるかわからないけれど、私は歌う。

 この荒んだ場所にいる人たちが元気になれるように。

 歌を歌うことを提案してくださったカンタービレ先生のために。

 そして、私に歌ってほしいと言ってくれたジークさんのために。



★彡☆彡★彡



 愛唱歌『いつでも歌が』は、今から20年ほど前の流行歌です。

 大切な人と離れ離れになってしまった人や、事情があって夢を諦めざるを得なくなった人を励まして勇気づける歌で、母さまやアッラルさんたちが20代の頃に、聴かない日はないほど巷に溢れていた歌だそうです。


 20年前といえば、ちょうどソニード王国が国内の紛争で4分割した頃。

 北部ではペルガミーノ地方が、東部ではベスティード地方が、南部ではムーシカ地方が、それぞれ独立して王国となりました。

 ムーシカ地方が引き起こした紛争のためにソニード王国は分裂してしまったわけですが、もともとは同じ国の人間ですから、お互いのことを理解している人も少なくありませんでした。


 ソニード王国の中心地で踊り子になることを夢見ていた、ムーシカ地方の少女。

 そして、ムーシカ地方へ働きに出たまま、多忙で戻れない息子をもつソニード王国城下町の老婦人。

 このふたりが手を携え作り上げた歌、それが『いつでも歌が』なのです。


 いつでも歌が いつでも私が そばにいる


 美しい旋律と、心に深く響く歌詞……

 今は伴奏はありませんが、この場所にも上手に響かせたいものです。

 しかし。


 ………


 最初は、やっぱり小さな声しか出なくて、私の歌はだれの耳にも届いてはいないようでした。

 広場では相変わらず人々がすすり泣き、子どもが騒ぎ、罵声も聞こえてきます。

 ちっぽけな私の歌では、ここにいる人たちの心は救えないのかもしれない……

 ジークさんがいて嬉しくて強がってしまったけれど、このまま聞こえないほうがいいのかも……

 だって、


 うるさい!


 なんて言われたら、私……!


 ………


 小さな声は、かすれてますます小さくなり、私は項垂れてしまいました。

 けれどもそのとき、


「……」


 ジークさんが、私の腕を取って歩き出したのです。


「あっ、あの……?」

「……」


 無言のジークさんに導かれるまま、私は広場の真ん中近くにあるベンチの上に立っていました。

 少し背の高いベンチだったので、見晴らしがよくて、まるでいつものステージに立っているかのようです。

 私をここへ連れてきてくれたジークさんは、即席のステージを見上げるようにして、草地に座り込みました。

 そして、私を見つめると……

 大きな拍手を始めたのです。


 その音が注目を集めないわけがありません。

 荒んだ空気はやがてざわざわとした喧噪へと変わり、人々の視線は私へ向かい始めました。

 広場の人たちが集まって作った焚き火があるとはいえ、ベンチの下は薄暗く……

 それがまたいつものステージとよく似ているので、私の緊張はだんだんと和らいでいきました。


 ジークさんは、いったい何度、私を救えば気が済むのでしょう。

 ようやくいつものように歌えるようになった『いつでも歌が』を歌いながら、私はそんなことを考えていました。

 いつしか私も、恩返しとしてジークさんを救えるときが来るのだろうか……

 と、ふとそんなことを思ったりもして……


 いやいや、そんなことはないでしょう。

 こんなちっぽけな私に、ジークさんを助けられる日が来るなんて、想像もつきませんから。



つづく

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