第5話「そして、髪飾りのことも」
私は、咄嗟に三つ編みの先端を手で持って、頭の後ろに上げてみせました。
不格好ですが、これがステージでの私の髪型にいちばん近いと思ったのです。
すると、怪訝な顔をしていたジークさんは、はっと目を見開いて、
「君は、アッチェレの店の……! ああ、そうだったのか……」
と、顔をほころばせました。
いつも寂しげにバーカウンターに座るジークさんとは違う、初めて見る顔です。
そんな表情もできる人なんだ……
と、みとれていた私ですが、ふと自分がこうなる前に何をしていたのかを思い出して、すっくと立ち上がりました。
大変!! 髪飾りが……!
ジークさんの脇をすり抜けてあたりを見回し、瓦礫の近くに駆け寄ります。
手で避けられそうな小さな瓦礫を力いっぱい、いくつもいくつも投げ出して……
「……そんな……」
私は、思わず座り込んでしまいました。
瓦礫の下から現れたのは、見るも無残にひしゃげた髪飾りの残骸でした。
粉々に砕け散ったサファイアの欠片が、あちこちに散乱しています。
もう何も飾り立てる必要もないというのに、美しい宝石は美しいままに光り輝いて、私を見上げているようでした。
「……」
地面にひとつ、またひとつと水滴が落ちました。
雨かと顔を上げても、水は落ちてはきません。
でも、水は頬を伝ってあごを伝って地面に落ちていきます。
……私は、泣いているようです。
「……」
涙があふれて、地面を濡らしていきます。
お気に入りだった髪飾りが壊れて悲しい、という思いもあるけれど……
母さまやアッラルさんたちの大切な方の品だったと思うだけで、申し訳ない涙が止まらなくなります。
「……」
必死に嗚咽を堪えていると、後ろからポンっと肩を叩かれました。
「そんなに……大事なものだったのか」
ジークさんの言葉に、私は力なく頷きました。
「……母さま、の……」
もっとちゃんと話さないといけないのに、もう言葉が出てきませんでした。
帰ったら母さまに何て言って謝ろう……
頭の中は、そんなことばかり……
すると、
「……俺がアッチェレだったら、君が無事でいてくれたほうが嬉しい」
ジークさんは、小声ながらもはっきりとした口調で呟きました。
「……!」
その一言は、まるで電撃のように私の身体を貫きました。
あたりには焦げくさい臭いと煙が充満し、逃げ惑う人々の悲鳴に混ざって、まだ瓦礫の崩れゆく音まで聞こえてきます。
振り向いた先では、ジークさんがばつの悪そうな顔で、座り込む私に手を差し伸べていました。
あぁ、私は……
私は、なんて馬鹿なことを……!
たったひとつの髪飾りが壊れただけで大泣きして、自分を助けてくれたジークさんにお礼も言わずに私は……!
差し伸べられた手を取り立ち上がると、私はジークさんに深々と頭を下げました。
「ごめんなさい! 危ないところを助けて頂いたのに、お礼も言わずに自分のことばかり……あの、本当にありがとうございました!」
「……いや、いいんだ……」
顔を上げた先で、ジークさんは目を伏せて、ゆるゆると首を横に振りました。
いつの間にやら、逃げ惑う人々の悲鳴は遠ざかり、瓦礫の散乱する通りには、私とジークさん以外の人影は見えなくなっていました。
「……店まで送ろう」
ジークさんにそう言われましたが、私にはまだ気がかりなことがありました。
……カンタービレ先生の安否です。
南地区で起きた火事のこと、燃えているらしい邸宅のこと……
気になることはたくさんありますが、ジークさんに尋ねてもわからないでしょう。
私には行かなければならない場所があるんです。
……そう言おうと口を開きかけた、そのとき。
「……あら……?」
街道の南側……
瓦礫の向こうから、よく知る人物が顔を覗かせました。
濃紺の長い髪をクルクル巻いて、漆黒の瞳を見開いてこちらを見つめています。
あああ、よかったあああ……!
私は安堵のため息をついて駆け寄りました
「カンタービレ先生!! ご無事だったんですね……!」
ほっと胸をなでおろす私に、カンタービレ先生も安心したような表情をしていらっしゃいました。
しかし、すぐに目を三角にして口を開かれました。
「どうしてこんなところにいるの!? ずいぶん前に家を出たから、もうすっかりアッチェレさんのところに帰れたと思っていたのに!」
「それは、その、先生のお屋敷が火事で大変なことになっているって聞いて……それで、一目散に駆けつけようと思ったんです」
私の説明に、カンタービレ先生は何度か瞬きを繰り返し、大きなため息をつかれました。
「それは違うわ。燃えたのは、屋敷の隣の小さな物置小屋よ」
「えっ……」
お屋敷が火事で大変になっていると思い込んでいた私は、言葉もなく呆然としてしまいました。
そんな私を励ますように、カンタービレ先生はニコッと微笑まれて、その場でくるりと回ってくださいました。
自分は無事だから、そんなに落ち込むことはないわ。
そうおっしゃっていらっしゃるかのように。
先生は、私を見送ってくださったときと同じ格好でした。
いつでもお出かけできるような恰好でいらしたことが幸いしたのでしょう、怪我無くここまで逃げられたようです。
「……こういうとき、偽の情報が広まることはよくある。慌てず、自分の身を守ることだけを考えないと」
後ろに佇むジークさんの囁きに、身の安全も情報の真偽すらも確かめずに動き回ってしまった私は、自分を恥じました。
「ごめんなさい……」
「いや、謝らなくてもいい。ところで、そちらの方は?」
隣に並んで立ったジークさんに、私はカンタービレ先生を紹介しました。
紹介といっても、お名前と歌の先生であることくらいしか、お話しすることはなかったのですが。
そしてもちろん、カンタービレ先生にもジークさんを紹介しました。
紹介といっても、お名前とお店の常連さんであることぐらいしか、お話しすることはなかったのですが。
話し終えた私に代わり、今度はジークさんが口を開きました。
「これから彼女をアッチェレの店まで送り届けるところだったのです。向こうは被害が少ないようですので、よろしかったら、あなたもご一緒に」
ジークさんが慣れた様子で(そう見えるのです!)声をかけると、カンタービレ先生はこちらも慣れた様子で(だからそう見えるのですってば!)、ほんの少し口角を上げて微笑まれました。
ほんの一瞬、貴族の集まる舞踏会にいるかと思うくらい、おふたりは気品に溢れていて、先生の笑顔はどこか懐かしさの漂う表情でした。
そのまま3人で歩きだせると思ったのですが、先生はすぐに目を伏せられて、
「お気持ちは嬉しいのですが……」
と少し言いよどまれると、
「この先の北西エリアへ通じている『夏大橋』が、瓦礫の山で通行止めになっているそうなのです。先ほど引き返してきた家族連れに聞いたので、間違いありませんわ」
そう一息に言い終え、肩を落とされました。
「……」
私とジークさんも、思わず顔を見合わせました。
ソニード王国の城下町は大きく4つのエリアに分かれています。
私の住んでいる北西エリアは、他のエリアとの間に大きな河が流れているため、通り道は『夏大橋』という大橋にしては小さな橋しかありません。
そのため、唯一の通り道である『夏大橋』が通行止めになってしまうと、どうすることもできないのです。
「あの、先生。夏大橋がいつ開通するとか、そういう情報はありませんでしたか?」
緊張で早くなる鼓動を抑えて、私は先生に尋ねました。
このままでは母さまにも会えず、私が無事であることも知らせることができません。
そして、髪飾りのことも……
つづく




