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歌姫たちのイストワール  作者: すけともこ
第3章「歌姫の物語〜晩夏」
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第3話「地を這うような、重低音です」

※この回には「地震」の描写があります。

※私の拙い文章で地震のリアリティが伝わるかどうか怪しいところですが、苦手な方はご注意くださればと思います。

 いつもなら、敬虔(けいけん)なウェントゥルス教南風派のカンタービレ先生は、美しい夕日に向かって手を合わせ、感謝の祈りを捧げられるのですが、今日はそうもいかないようです。


「いったい、なんなのかしらねぇ……」


 先生の顔は強張っておられましたが、通りを行く人の中には、美しい夕日を前に浮足立っている人もいるようです。


「とりあえず、ジュスティーヌは早く家に帰ったほうがいいわ。何も起きなければいいけれど……」


 カンタービレ先生は、形の良い眉を八の字にしながらも、私を送り出してくださいました。


「また来週、いらっしゃいね」

「はい、また来週……それまでに、今日の新曲を上手に歌えるように練習してきます」


 玄関前で手を振る先生に礼をして、私は夕日を背に歩き出しました。

 長い影が石畳に伸びています。

 住宅街からは、今日のお夕飯でしょうか、カレーと思われるスパイシーな香りが漂って来ています。


 石畳に響くヒールの音を聞きながら、私は肩にかけた鞄の中から、あの髪飾りを取り出しました。

サファイアがキラキラと輝いています。


『あなたは、もっと可愛らしい恰好をしたほうがいいと思うの』


 そうおっしゃったカンタービレ先生は、私の新しい歌も、可愛らしく華やかなものを選んでくださいました。

 曲名は『毎日がわたしの誕生日』。

 私が歌ったことのない、いわゆる恋の歌というものです。


 大好きなあなたと一緒にいられる日が

 わたしの誕生日ただ一日だけというのなら

 毎日がわたしの誕生日になるように

 神様にお願いするわ

 一日ずつ一年分の大人になって

 毎日あなたに会いたいの

 あなたと……ずっと一緒にいたいから


『……』 

『可愛いでしょう? ジュスティーヌの年頃にしか歌えない歌よ。あなたなら、きっと上手に歌えると思うの』


 カンタービレ先生はそうおっしゃってくださいましたが、私には上手に歌える気がしませんでした。

 私は、歌の中の人物に感情移入して歌うことを常としているのですが、この歌には、どう頑張っても気持ちが入っていかないのです。

 恋をしたことのない私には、この歌をどんな気持ちで歌えばいいのか、まったくわからないのです。


 先生には「もっと練習してきます」なんて言ってしまいましたが……

 残念ながら、どれだけ練習しても上手く歌える気がしません。

 恋とは、いったい何なのでしょう。

 だれかを好きになるとは、いったいどういうことなのでしょう。


 私は、もちろん母さまのことが大好きで、母さまの愉快な仲間たちのことも、カンタービレ先生のことも大好きです。

 そして、いつかお喋りできる日を心待ちにしているジークさんのことも。

 でも……

 恋とは、そういう「好き」とは違う気持ちなのでしょう。

 考えれば考えるほど、よくわからなくなってきます。


 特に『一日ずつ一年分の大人になって 毎日あなたに会いたいの』という歌詞……

 そうまでして一緒にいたいという、この子の気持ちがわかりません。

 私は誕生日が大好きですが、あれは1年に一度やって来るから楽しいわけで……

 私なら、ひとりで過ごすことになっても、年を取らないほうがいいと思うのです。


「うん。そのほうがいいに決まってる!」


 手にした髪飾りに心の声が漏れてしまった私は、慌ててあたりを見まわしました。

 けれど、通りを行く人は私に構うことなく、物珍しげに西の空を眺めています。


 いつもなら、もう日が暮れて黄昏時だというのに、今日はなぜか空が真っ赤に燃え続けていました。

 赤黒くたなびくいわし雲の中には、地面から天空へ向かってねじれている雲もありました。

 まるで、リボンをねじねじにして張り付けたような雲です。

 ただでさえ異様な形だというのに、それが深紅に染まった空の中で毒々しい色をして居座っています。


 いったい、何なのでしょうか……

 得体のしれないものは、常に恐ろしい雰囲気をまとっているものです。


「早く帰らないと。帰ったら、母さまに恋の話とか、いろいろ聞いてみなくちゃ」


 また髪飾りに語りかけてしまった自分に軽くため息をついて、私は家路を急ぎました。

 もう少し歩いて川を渡れば、城下町の北西エリアに出られます。

 西の空はいまだに燃え続けていて、人々は空を眺め続けています。

 私は、一抹の不安を抱えながらも、人波を縫うように黙々と歩き続けました。



★彡☆彡★彡



 石畳に、コツコツとヒールの音が響きます。

 大好きな、大人っぽい音です。

 今日は、街の中を歩くのでヒールは低めですが、ステージ用はもちろんヒールは高めです。

 そんな自分の足音に耳を澄ませていると、


 ズ……ズ……


 ヒールの音に被さるように、低い音が聞こえてきました。

 地を這うような、重低音です。


 ズ……ズズ……


 後ろを行く人の変わった足音かと思って振り向いても、私の後ろにはだれもいませんでした。


「……?」


 ズズ……ズ……ズズズ………


 いったい何の音かと考えている間にも、謎の重低音はどんどんと大きくなっていき……


 ズズンッ……!!


 最大音量で鳴り響いたと思った次の瞬間、


 ゴゴゴゴゴゴゴゴ……!!


 大地が……

 私の立っている地面が、大きく揺れ始めたのです!


「……あ……」


 恐ろしい未知の感覚に、私はへたり込んで声も出せずに縮こまっていました。

 いったい何が起きているのか、このときの私には、さっぱりわからなかったのです。

 ソニード王国で地震が起こるなんて、まさに数十年に一度の出来事だったのですから。


 この大地の揺れを「地震」ということ。

 その予兆が「地震雲」というねじれた雲や、赤黒いいわし雲だということ。

 そして、重低音を「地鳴り」ということも、私は後に知りました。


「……」


 私がへたり込んだ通りに並ぶ住宅内からも悲鳴が相次ぎ、混乱が伝わってきます。

 大地の揺れは、まだ続いていました。

 大きなものが落ちる音、食器の割れる音、子どもの泣き声……

 ぐわんぐわんと揺れる世界で、私はその場に伏せて無意識に頭を押さえていました。


 早く……

 早く終わって……!

 この状況に終わりがあるなら、どうか……

 どうか早く……っ!!

 何が起きたのかわからないまま、私は必死に祈っていました。


 …………

 ………

 ……


 どれぐらい、そうしていたでしょうか……


「……」


 気がつけば、あたりは静寂に包まれていました。

 顔を上げた私の荒い息遣いだけが、通りに響いています。

 大地の揺れはおさまっていました。

 まだなんとなく揺れている気がしているのは、私の錯覚のようです。


「……じ、地震だ! 地震だーっ!」


 立ち上がってスカートのほこりを払っていると、住宅地から通りへ飛び出してきた壮年の男性が叫びました。


「建物の中は危険だ! 早く外へ……外へ出るんだ! 急いで!」


 男性はこの「大地の揺れ」が何なのか知っているようで、薄暗い中でもその蒼白の表情はくっきりとよく見えます。

 そして、人々を避難させようと必死になっているようでしたが、


「何言ってんだ! 家の中が大変なことになってんだぞ! 外になんか出られるか!」


 2階の窓から罵声を浴びせる人もいれば、


「もう終わったんでしょう? そんなに慌てなくたって大丈夫でしょうよ」


 私と同じように道端で伏せていたふくよかなおばさまが、のほほんと話しかけたりしています。

 それでも男性は、真剣な表情で額に汗を浮かべながら訴え続けました。


「大丈夫なんかじゃない! あんたたちは知らんかもしれんが、これで終わりじゃないんだ! 無事な建物だって、いつ崩れるかわからん! それに、この時間は台所で火を……」


 そのとき……

 男性の訴えを遮るように、すぐ近くで空気を切り裂くような破裂音が響き渡りました。



つづく

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