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歌姫たちのイストワール  作者: すけともこ
第3章「歌姫の物語〜晩夏」
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第1話「本名は、わかりません」

 昼間の太陽のように眩しいステージから、ふと視線を向けた先……

 そこは、薄暗いバーカウンター。

 その人は、今日もいちばん後ろの席に腰かけ、ウィスキーのロックを傾けています。


 このお店の年齢層には合わない、私より10歳ほど年上のお兄さま、といった雰囲気の方です。

 隣の椅子にかけた、こげ茶のロングコート。

 きなりのワイシャツの胸元には、黒紫色のブローチの付いたボウタイが光っています。

 レンガ色の髪の毛はフワフワと柔らかそうですが、大きな手で包み込んだグラスを見つめる木賊色の瞳は、どこか寂しげなのでした。


 そんなお客様は、時折バーカウンターに現れて、お店のお酒を飲んでいる母さまと何やら話しています。

 そんな様子も、ステージからはよく見えるのです。

 母さまのお知り合いなのでしょうか。

 以前、母さまにどんな方なのか尋ねてみたのですが、残念ながら母さまも通り名しか知らないとのことでした。


 彼の通り名は、ジーク。

 本名は、わかりません。

 この国ではあまり馴染みのないその響きに、同じく珍しい名前を持つ私は、ますます彼のことが気になってしまったのでした。



★彡☆彡★彡



「ちょっと母さま! お話していたなら引き留めてくれてもいいでしょう!?」


 今日もステージで1曲歌い終えた私は、大急ぎでステージからテーブル席に向かって飛び降りました。

 そのままバーカウンターまで駆け抜けたものの、すでに席は空いていました。

 残念……

 またジークさんは、私の歌を聴き終わってすぐ店を出て行ってしまったようです。

 つい先ほどまで、母さまとお話していたというのに!


「怒るんなら、あたしじゃなくてあいつに怒っておくれよ」


 口を尖らせる私に、母さまは迷惑そうに顔をしかめています。


「あたしゃねえ、あいつとはなぁんにも喋ることなんてないんだよ。だから、挨拶だけで会話なんて終わっちまうのさ」

「でも」

「ジュスティーヌこそ、あいつと何を話すつもりなんだい? 何にもないだろうに」

「……むぅ」


 母さまの的を射た言葉に、今度は私が顔をしかめてみせました。

 母さまは、何も言えない私に勝ち誇ったような目で笑って、ウィスキーのロックをひとくち口に含みました。


 このひどく意地悪な母さまの名前は、アッチェレといいます。

 薄紅色のショートヘアーに、柿色の瞳がよく映える、男勝りのおばさまです。

 この国の女の人にしては珍しいパンツスーツ姿ですが、母さまはスカートよりもこちらのほうがよく似合います。

 そんな母さまに口を尖らせていると、テーブル席から馴染みの声が聞こえてきました。


「まあまあ、アッチェレ。じゅっちゃんのことをそんなにいじめちゃ、かわいそうだろう。それぐらいにしておきなさい」

「あんたたち、仲が良いのはわかったから、そーいうことは楽屋でやんなさいよ。姉さんは、いい加減カウンターでタダ酒飲むのはやめなさいって」


 私のことを「じゅっちゃん」と呼ぶのは、常連客のリットおじいさまです。

 そして、母さまのことを「姉さん」と呼ぶのは、リットおじいさまの娘のアッラルさんです。

 リットさんはたまご色の爽やかな髪をなびかせ、アッラルさんは輝く銀髪を1本縛りにしていますが、ふたりとも親子らしく、瞳の色は同じ若草色です。


 リットおじいさまの娘のアッラルさんが「姉さん」と呼ぶのだから、おふたりとも母さまの親戚ではあるようなのですが、母さまはおふたりとは似ておらず……

 私は詳しいことは知りません。

 それでも、おふたりと母さまが旧知の仲であることは、見ているだけでも伝わってきます。

 そして、おふたりとも、こちらが困ってしまうほど褒め上手なのでした。


「じゅっちゃん、今日も良い歌だったよぉ。さすがは、ソニード王国一の歌姫さんだなぁ」

「歌ももちろんすばらしいけど、髪型もドレスも大人っぽくていいわぁ……ちょっと、回ってみてちょうだいな」


 私は、ワインを一瓶開けてご機嫌なアッラルさんに言われるがまま、その場でくるりと回ってみせました。

 濃紺のマーメイドドレスに、夜会巻きを美しく見せる大きな櫛型の髪飾り。

 この、涙型のサファイアがちりばめられた髪飾りは、実は……


「今日も使ってくれているんだねぇ。ありがとうね」


 アッラルさんは、私の後ろから頭をしみじみと見つめているようで、ほっとしたような息遣いが聞こえてきます。


「古いデザインだけど、ジュスティーヌがつけるとそんなの全然気にならないわぁ。あたしの母さんも、きっと天国で喜んでくれていると思う。本当に、ありがとうね」

「こればっかりは、アッチェレのお手柄だ。よくじゅっちゃんに渡してくれたなぁ。こんなに似合うとは思わなんだ」


 照れくさくなって俯く私の隣では、リットさんに褒められて気を良くしたらしい母さまがフフンと高らかに胸を張る気配がします。

 私がつけている髪飾りは、実はリットさんの奥様、すなわちアッラルさんのお母様であるラレンさんという方の形見の品です。

 訳あって私の母さまが預かっていたという髪飾りを、私が受け取り、今に至ります。


 リットさんとアッラルさんの褒め言葉は、もちろん今日だけのものではなく、毎日聞かされているものですが……

 褒められて、悪い気がする人は少ないでしょう。

 というか、いないでしょう。

 今日も気を良くした私は、常連客のジークさんを引き留めてくれなかった母さまへの怒りを忘れることにしました。

 明日こそは……

 という希望を込めて。



★彡☆彡★彡



 明日こそは、明日こそは……!

 と、希望を込めた日々を送り続け、いつの間にやら数週間が経ちました。

 季節はすっかり夏の終わりに差し掛かり、街路樹から聞こえていたセミの鳴き声も、波が引くように消えてしまいました。

 日向にはまだ暑い夏が残っていますが、日陰はすっかり肌寒い秋の風に満たされています。

 まだまだ夏は続くものと思いたい私は、薄手のワンピースで街中へ出てきてしまったことを後悔しながらも、できるだけ日向を選んで石畳の道をコツコツと歩いていました。


 今日は、週に1度の歌練習の日です。

 私の歌の先生は、カンタービレ先生という女性です。

 私の住んでいる城下町北西エリアから南へ向かった先にある繁華街で、小さな教室を開いていらっしゃいます。

 一般の人々に向けた、授業料格安のありがたい教室です。


 3年ほど前……

 たまたま母さまの店にいらっしゃって私の歌をお聴きになった先生は、私に本格的に歌を勉強するよう勧めてくださいました。


『あなたの歌声には、人を動かす力がある』


 カンタービレ先生は、よくそんなことをおっしゃいます。

 漠然としていて、まるで雲をつかむような言葉なので、私にはよくわかりません。

 私は、歌うことは大好きですが……

 とびきり上手になりたいとか、もっと大勢の人に聴いてもらいたいとか……

 そういったことは、一度も考えたことはありませんでした。

 それでも、先生は私に尋ねるのです。


「ジュスティーヌは、いったい何のために……だれのために歌を歌っているの?」


 ……と。

 先生の歌の教室に通い始めて3年が経ちますが、いまだに答えは見えてきません。

 強いて言うならば、母さまのため……

 私をここまで育ててくれた母さまと、いつも褒めてくれるリットさんとアッラルさんの笑顔のため……

 そう考えてみるのですが、どうにもしっくりきません。


 このままずっと、歌う理由もないのに歌い続けるのか……

 そう思っていたのですが、最近ふと心に浮かぶ人がいることに気がつきました。

 いつもバーカウンターでウィスキーを傾けている常連客……

 そう、ジークさんです。



つづく

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