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歌姫たちのイストワール  作者: すけともこ
第1章「平和な国の作家志望、船長と出会う」
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第2話「全然平和じゃないです」

「すみません! 目を通さないといけないのは取材記事のほうなのに、関係ないところを読んでしまって……」


 居眠りがバレたような気まずさに、わたしは慌てて頭を下げた。

 しかし、編集長は宝物を見つけた男の子みたいに、ニコニコと微笑んでいた。


「君も、ジークさんの小説のとりこになってしまったみたいだね。どうだい? 面白いだろう?」

「……はい、とても」


 てっきり怒られると思っていたわたしは、ぽかんとしながらも、こくこくと頷いてみせた。

 すると、編集長は「そうだろう、そうだろう」と、まるで自分が褒められたような満面の笑みを浮かべた。


「ジークさんは多才だから、こちらも無理を言っていろいろと頼んでしまうんだよなぁ。そのパフェの挿絵も、ジークさんが描いてくれたんだ」

「ジークさん……」


 なんとも聞きなれない、変わった名前。

 エスペーシア王国出身の人ではないと、すぐにわかる。


 いや……

 もしかして、知らないのはわたしだけかもしれない。


 毎月エスペーシア城を行き来するだけの生活を送っていたわたしは、城下町の噂話なんかには疎いのである。

 それを察してくれたのか、編集長は得意げに笑うと、


「ジークさんは、最近ここいらにやってきた城下町の何でも屋さ。頼めば何でも引き受けてくれるが、自分のことを多くは語らない人でね。だから、こちらも知らないことのほうが多いんだよ」


 と、簡単に説明してくれた。


「シーナ君の言う通り、この『週刊さんぱんち』は明らかに名前負けしていて、パンチに欠ける。そこで何でも屋を取材しようとしたら、取材を受ける代わりに小説を書いてくれてね」

「……そりゃ、自分のことを記事にされるよりマシでしょうからね」

「で、この小説が面白いもんだから、こちらも連載をお願いしているわけなんだよ。さて、シーナ君」

「は、はい……」


 編集長に改まって名前を呼ばれたわたしは、その場で居住まいを正した。

 やっぱり怒られるのかなぁ……

 なんてドキドキしていると、


「これから君を、ジークさんの原稿受け取り係に任命しようと思うんだが……どうかな?」


 編集長は、自らのアイデアにすこぶる満足しているらしく、そう言ってニコニコと笑った。


「……えっ、わたしが、ですか?」

「どうかな? これなら、今までの仕事とあまり変わらなくて、シーナ君も楽だと思うんだが」

「……」


 それは、編集長に言われなければ、自分から言い出そうと思っていたことだった。

 原稿を取りに行くついでに、ジークさんから小説の極意を聞き出せたら……

 なんてことすら考えていたのだ。


 断る理由なんて、ひとつもない。


「いいですよ。わたし、やります。小説原稿の受け取り係」


 とても軽い口調になってしまったけれど、編集長はわたしの返事に満足したようで、うんうんと大きく頷いていた。


「よかった。それじゃあ早速、明日から挨拶がてら、ジークさんの隠れ家に向かってくれ。地図はこちらで用意しておく。受け取り係が代わることは、こちらから連絡しておこう」

「ありがとうございます。あれ、係が代わるってことは、先週号までの受け取り係もいたってことですか?」


 編集長の言葉尻を捕えて何気なく口にした質問を、わたしはひどく後悔することになった。

 なぜなら、編集長は満面の笑みを崩さずこう言い放ったのだ。


「ああ、いたよ。でもねぇ、もう行きたくないって仕事も休んじゃってるんだ。なんでも、ジークさんに付き従っている相棒というか用心棒みたいな背の高い大柄な男の人が、常にこわーい顔でこっちを見てくるのがストレスらしくてね」

「……」

「シーナ君も、気をつけるんだよ」


 気をつける……って、何に?

 こわーい顔?

 それともストレス?


 いやいやいや、待ってくださいよ編集長……

 ここはエスペーシア王国ですよ?

 そんなの、全然平和じゃないです。


 ああ……

 胃が痛くなってきた。


 今さら「わたしも行きたくなくなってきました」なんて、嬉しそうな編集長の前では言い出せそうにない。

 残念ながら、わたしの決意は波に洗われた砂山のように崩れさろうとしていた。



★彡☆彡★彡



 帰宅中の足取りを、こんなにも重く感じたことはない。

 だれかに話を聞いてもらいたいのに、そういう日に限って、一緒に暮らしている妹は今日も舞台の稽古で遅くなるという。

 石畳に響くヒールの音も、元気がなく平べったい音色だ。


 まだ初夏だというのに、太陽は季節を間違えたかのように、わたしを照りつけながら西へ西へと降りていく。


『眩しい夕陽に、今日も感謝感謝〜』


 ふと、エスペーシア城で働く友人のことを思い出した。

 彼女の仕事は日暮れ前に休憩時間があるらしく、この時間は中庭でいつもの「感謝の言葉」を唱えていることが多い。


「そうだ。クミンちゃんに会いに行こう」


 だれにともなく呟いて、わたしはいつもの四つ角を家とは反対側に曲がった。


 わたしが初めてエスペーシア城に勤めるメイドのクミンちゃんと出会ったのは、今から3年ほど前、お互いに22歳だった頃だ。


 わたしの初仕事の日……

 初対面だけど同い歳ということもあって、わたしたちはすぐに打ち解けた。

 そして、夕闇迫るエスペーシア城の中庭で、わたしは自分のことについて訥々と語った。


 実家が香辛料を商っているから、商品と区別するためにシナモンである自分はシーナ、マサラである妹はマーサと呼ばれていること。

 今は父の友人であるタイム編集長の下で香辛出版の簡単な仕事をさせてもらっているけれど、本当は小説家を目指していること。

 城下町の比較的中央にあるボロい一軒家に、女優を目指す妹と一緒に暮らしていること。

 ……などなど。


 今思えば退屈な話題だったろうに、クミンちゃんは嫌な顔ひとつせずに聞いてくれていた。

 あの日のことは、まるで昨日のことのように思い出せる。


「……着いた」


 思い出に浸りながら歩いていると、もう目的地に着いてしまった。

 エスペーシア王国の城下町、その中心地に鎮座する白壁の可愛いお城、エスペーシア城。


 そんなエスペーシア城の警備はというと……

 ものすっごく、ユルい。


 どのくらいユルいかというと、まず城門に必要不可欠な門番がいなかったりする。

 昔は、だれもいない城門で「おっ邪魔しま〜す」なんておどけて頭を下げていたけれど、あまりに自分の声が響き渡るので、恥ずかしくなってやめた。


 東西にのびる廊下を横断すると、よく手入れされた美しい中庭に出る。

 エスペーシア城は、城門に人がいない代わりに、城の造りは意外と入り組んでいるらしい。

 城内をくまなく歩き回っているはずのわたしでも、いまだに玉座へは辿り着けたことがない。


 もしかすると……

 玉座なんて最初から存在すらしていないのかもしれない。

 いやいや、そんなまさかね。


 なんて考えながら中庭を歩いていると、


「シーナ!」


 大きな白樺の木陰から、メイド服を着た背の高い女の子が飛び出してきた。

 頭のてっぺんで、亜麻色の髪のお団子が揺れている。

 この子が、わたしの友人のクミンちゃんだ。


「こんな時間にどうしたの? 忘れ物?」

「えっと……仕事帰りに、ちょっと寄ってみたんだけどね……」


 媚茶色の瞳のいつもと変わらない笑顔に、曖昧に頷いてみせる。

 クミンちゃんは、メイドが天職の女の子。

 小さい頃から家事手伝いが大好きで、それを仕事にしてしまったのだ。

 夢を生業にしたいわたしにとっては、眩しすぎる存在。


 そんなメイドの鏡みたいなクミンちゃんには、どうやら、王室広報部の情報は届いていないらしい。

 わたしは中庭のベンチに腰掛け、帰社してからのことを語った。



つづく

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