第3話「あなたは、だれなの……?」
そんなわたしの疑問が顔に出ていたのか、船長はわたしが口を開く前に、
「いつでも目に入るところに飾っていたいんだ……信じる気持ちを、忘れないために」
ぽつりと、そう呟いた。
「……」
夕日の中で揺らめく薔薇の花を見つめる船長の瞳は、凪いだ海のように穏やかだった。
まるで、バラの花ではない何か……
いや……だれかを慈しむかのように。
……うわ、また眩しい!
目を射る不意打ちのような夕日に瞬きすると……
船長が見つめていたバラの花は、いつの間にか人の形を成していた。
……へ?
ど、どういうこと……?
え? 何? えぇっ?
咄嗟に目をゴシゴシこすってみたものの……
見えているものは、何ら変わらず目の前に佇んでいる。
それは……女の人だった。
残念ながら、斜め後ろで顔は見えない。
けれど、長い髪をキレイにまとめてアップにしているのはよく見えた。
な、なんで……??
目を細めても見開いても、わたしには女の人の斜め後ろ姿が見え続けている。
でも……
船長には彼女が見えているのかいないのか、身動きひとつしていない。
「……」
夕日が水平線の彼方へゆっくり降りていくのと同時に、わたしには彼女の姿がよりはっきりと見えるようになった。
まとめ上げられた髪は黄金色に輝いていて、耳の後ろからのぞく後れ毛は、まるで絹糸のよう……
あ……
あの人だ……!
わたしの脳裏に、あのハンカチの刺繍が蘇った。
絹のハンカチに縫い取られた、セレアル侯国の侯爵令嬢ポモさんの家の紋章……
黄金色の髪をなびかせる、穏やかな微笑みを浮かべた女性……
目の前の彼女はというと……
金髪に合わせた深紅のワンピース、そして……
夜会巻きにした頭には、薔薇の形の宝石が付いた髪飾り。
なるほど……
船長の机にある高価な櫛は、あなたのものだったのね……
わたしがひとり納得している間にも、夕日の下降は続き、室内はますます薄暗くなっていった。
「……」
あなたは、だれなの……?
たくさん尋ねたいことがあるのに、なぜだか声が出てこない。
彼女は、わたしに顔を見せないまま、薄闇に溶け込もうとしている。
ああ……
見えなくなる……
消えてしまう……!
はっと息をのんだ瞬間……
室内が昼間のように明るくなった。
「……」
あまりの眩しさに目を細めた先で……
船長が灯をともしたランプを捧げ持っていた。
「シーナ……?」
言葉少なに心配する船長に、わたしは曖昧に頷いてみせた。
何か答えようにも、彼女の姿はもうどこにもなく……
船長には彼女の姿が見えていなかったようだから、うまく説明できたとして、信じてもらえるかどうかわからない。
わたしは、このことは黙っていることにした。
船長はというと、わたしの決意を知る由もなく、机に視線を戻して引き出しから紐で綴じた紙束を取り出した。
それは、わたしが自分の気持ちを整理しながら書き上げた小説だった。
ああ、そうだった。
船長がこの小説を読み終わったから、わたしはここに呼ばれたんだった。
……髪飾りやら薔薇の花やら、彼女の幻影にびっくりして、すっかり忘れていた。
「うん……そうだな……」
船長は、小説という名の紙束を机の上にぽんっと載せると、穏やかに微笑んだ。
柔らかいランプの灯りに照らされ、船長は感想を述べ始めた。
「自分の気持ちをストレートに表現できていて読みやすかった。ラストはスピード感があって、一気に読めた」
「……」
「楽しませてもらったよ。やっぱりシーナには、こういう軽めの読みやすい文章が合っていると俺は思うな」
「えっ……!? ほ、ほんとですか!?」
どんな鋭利な刃物みたいな言葉が突き刺さろうと泣くもんか。
……なんて身構えていたものだから、半信半疑でつい声が大きくなってしまった。
それでも、船長は優しく笑って、大きく頷いてくれた。
ああ、なんでだろう……
寒くもないのに、全身にぶわっと鳥肌が立っている……!
「あ、ありがとうございます! 楽しんでいただけて、なによりです!」
ペコっと頭を下げたわたしは、そのまま顔を上げて胸に手を当て、ほうっと安堵の息を吐いた。
船長、しっかり読んでくれたんだ……!
嬉しいなぁ……
でも……
今回の作品、最後のほうは早く完成させたい思いでいっぱいで、急いで書き上げちゃったんだよね……
もう少し時間をかけて、ゆっくり書けばよかったかな……
なんてひとりで反省していると、
「まあ、加えて言うなら……まだまだ、せっかちなシーンが多いな」
船長が思い出すようにぽつりと呟いた。
……やっぱり、言われてしまった。
「感情や間の描写が足りない。1人称としての相手の状況の表現を工夫してみるといいかもしれないな」
「……はい」
素直にペコリと頷いてから、書き上げた小説を思い返してみる。
わたしの文章に、圧倒的に足りていないもの……
それは、描写と、描写する力……
大事に書きたいシーンですら、書くことがなくなって、すぐ次のシーンを書き出してしまう。
おかげで、小説の中身はペラペラだ。
「……」
「……シーナ?」
「……?」
心配そうな声に顔を上げると、困った顔の船長がわたしをじっと見つめていた。
「え……?」
どうしたんだろう……
首を傾げてみせると、船長はわたしの様子を見て安堵したらしく、ため息をついて、
「ああ、よかった。また泣かせてしまったかと思った」
「……」
船長の言葉に、わたしはあの雨の日のことを思い出していた。
自分には合っていない、背伸びをしすぎた堅苦しい文章……
堪えきれずに零れ落ちた、悔しくて悲しくて、自分ではどうにもならない気持ちが詰まった涙……
あのときのわたしだったら、ちょっとのダメ出しにも耐えきれずに、この場を立ち去っていただろう。
でも……
でも、今のわたしは……
あの頃の弱いわたしなんかじゃない……!
「泣いてなんかいませんよ! だって、全部本当のことですから!」
そう口に出して、まっすぐに船長を見つめる。
すると船長は、またほっとしたように「そうか」と呟いた。
その心から安堵したような一言に、わたしは船長にもかなり心配をかけていたことに、今さら思い至ったのだった。
「さて……」
小説の講評は以上らしく、船長は机の引き出しを開けると、1枚の紙を引っ張り出した。
「シーナの軽くて読みやすい文章なら、こういうところに応募してみるのがいいかもしれないな」
差し出された紙には、
『ペルガミーノ王国主催 全世界ノンジャンル小説大賞』
と、書かれていた。
「西大陸の北に、ペルガミーノ王国という、芸術を愛する国がある。これは、そこの王家が2年に一度、全世界から多種多様な物語を募集して大賞を決める、お祭りのような催しだ。シーナの小説も、応募してみたらどうだろう」
「えっ、ペルガミーノ王国って確か、作家の楽園だっていう、あの……?」
首を傾げたわたしに、船長はこくんと頷いてみせた。
西大陸の北方に位置する大国、ペルガミーノ王国……
作家を目指す人間なら、だれもが憧れを抱く国だ。
なぜなら、そこは……
「芸術に重きを置くペルガミーノ王国内でも、特別に重要視されている職業が作家だからな。確実に安定した生活を約束される、まさに作家の楽園……さすがはシーナ。物書きを目指しているだけあって、ペルガミーノ王国には詳しいようだな」
「いやいや、噂に聞くくらいですよ。だから、その小説大賞の話は初耳です。ノンジャンルってことは、何を書いてもいいってことですか?」
そんな曖昧な表現の小説大賞、いくらペルガミーノ王国といえど、何らかの「縛り」はあるに違いない……
と思って聞いてみたのに、
「ああ。平たく言えば、何でもありだな」
船長はいたって真面目に頷いていた。
つづく




