第2話「船長が使うわけでもあるまいし」
コシーナ王国の港町ミオウでの仕事を終え、わたしたちを乗せたモンターニャ号は、ゆるゆると港町カイサーへ向けて北上していた。
昼食後、わたしは日課である甲板磨きに取り掛かろうと、ひとり船首甲板で大きく伸びをしていた。
秋の柔らかな日差しが、冷たい風の中から、わたしに向かってまっすぐ伸びてくる。
ああ、今日もいい天気……!
足元に置いてある水桶の中には、相棒である頑丈野郎の小型タワシ。
わたしと同じく、気持ち良さそうに水に浮いている。
掃除の基本は「上から下」……それはもう周知の事実。
まずは欄干を隅々まで磨き上げ、そこから甲板に取り掛かる。
デッキブラシは、と……あそこに置いたっけ。
わたしが欄干に立てかけたもうひとりの相棒の場所を確認していると、
「おーい! シーナ!」
甲板の後ろのほうから、船長がひょっこり顔を出した。
なんだか、ご機嫌な様子で……
すっと上げた右手を振りながら近づいてくる。
「船長! お疲れ様です!」
この時間は、いつも応接室で商談のはずなのに、ちょっと余裕があるのかな。
珍しい……
というか、嬉しい……!
わたしは、はにかむ口元を見られないよう平静を装いつつ、小さく頭を下げた。
船長は「お疲れ」と目を細めると、
「たった今、シーナの小説を読み終わったんだ。感想を伝えたいから、あとで船長室へ来てほしい」
あとで、のところでわたしの手にした水桶にちらりと視線を向ける。
……さり気なく優しい。
「了解です! 掃除が片付いたらお邪魔します!」
船長が読み終わった小説というのは……
あのとき、わたしが船長を追いかけてここまで来て、差し出した小説のことだ。
船長に自分の小説を添削されて、当たり前のことを言われたのに、わたしはただ泣きじゃくるばかりで……
そんな中、泣きながら書いた物語。
船長、読んでくれたんだ……!
そう思うと胸がドキドキして声が上ずってしまったけれど、船長はクスッと笑うと、そのまま船長室へと歩いて行ってしまった。
あの様子からして、以前のように失望されることはなさそうだけど……
一応、何を言われても平気なように、涙をふくハンカチは余分に持って行ったほうがいいかもしれないなあ。
……さて、船長をあまりお待たせするわけにはいかない。
早く甲板磨きを終わらせてしまおう。
わたしは小型タワシを手に取って、欄干を磨き始めた。
★彡☆彡★彡
船の掃除要員として乗り込んで、はや数週間。
それなのに、わたしが船長室に入るのは初めてのことだった(船長は何でもできる器用な人なので、自分の部屋は自分で掃除してしまうのが原因なのだけど……)。
船首甲板の掃除に、張り切って取り掛かったわりには時間がかかってしまい(お察しの通り、わたしは不器用なのだ)、西に面した船長室のドアをノックしたときにはもう、わたしの影が長くドアに映っていた。
しかも船長はなんだか忙しいらしく、部屋から出てきたかと思うと「中で待っていてくれ」と言い残して、エフクレフさんとともに船尾へと駆けて行ってしまった。
「……」
あたりは静まり返っている。
おかしい……
だって、この下は食堂で、その隣は厨房なのだ。
それなのに、人の気配が感じられないなんて……
まるで……
わたしだけが、この場に取り残されてしまったかのように……
「……」
どうにも最近、こういうことが多いように思う。
まるで、わたしだけが何かを隠されているかのような……
言うなれば、疎外感。
でも……
仕方ないよね、わたしは新入りなんだから。
新入りが出しゃばって首を突っ込んでどーすんだ。
わたしは気持ちを切り替えると、船長室のドアを押し開け、恐る恐る足を踏み入れた。
★彡☆彡★彡
船長室内の手前には、ソファとテーブルの応接セット……
その奥には、机と椅子が置かれている。
なんというか、大きな会社の社長室みたいだ。
……わたしの勝手な想像だけど。
机の奥はというと、さらにもう1枚ドアがあって、部屋が続いている。
おそらく、そちらが船長の寝室なのだろう。
整理整頓されて、ホコリひとつない船長の机。
必要なものは机の横の引き出しに入れてあるのか、机の上には右端にランプがひとつと、小さなペン立てがひとつ。
インク壺も置かれているところを見ると、ペン立てに無造作に刺さっている羽ペンは現役らしい。
鉛筆派には眩しすぎる文房具……!
「船長、また新作とか、書いてくれないかな……」
わたしが書いたんだから、次は船長の番だよね。
羽ペンの羽の部分をツンツンしながら、ふと机の左端に目を向けると……
窓からの夕日に何かが反射して、わたしの目を鋭く撃った。
「わ、まぶしっ……いてて……」
きつく閉じたまぶたをゆっくり開けてみると……
そこには、宝石が鎮座していた。
ちょうど手のひらにすっぽり収まるほどの、美しいバラの形に細工された2つの宝石。
深紅のルビーと、薄桃のおそらくガーネットだ。
2つの宝石は、重なり合うようにくっついていて、左端からは黒レースのリボンが伸びている。
そして、よく見ると……
宝石は、熊の爪みたいな細長い金具に取り付けられていた。
これ……
まとめ髪用の櫛だ!
長い髪を横でまとめて上に巻き上げたものを、落ちてこないようにグサッと留める髪飾り……
ロングヘアーの人がうなじをキレイに見せる、オシャレアイテム……!
わたしもやってみたことがあるけど、どうにも髪の量が多くて櫛が刺さらず、断念するしかなかった悲しい思い出がある。
それにしても……
どうしてこんなものが、こんなところにあるんだろう。
まさか、船長が使うわけでもあるまいし。
わたしは、夕日に照らされて煌めく髪飾りをじっと観察した。
触ると壊してしまいそうなので、両手は後ろで組んで、見るだけ見るだけ……
よく見てみると、櫛本体には折れた部分を修理したような痕跡があった。
船長の仕事だろうか……
預かりものを壊して修理したけど、こちらで引き取ることになって……
いやいや、そんなもの飾らないだろうし、そもそも……
船長が預かりものを壊すわけがない。
「うーん……」
考え込むわたしを前に、謎めいた高価な髪飾りは、何食わぬ顔でキラキラと輝いていた。
★彡☆彡★彡
……どれくらい、そうしていただろう。
「すまない、シーナ。だいぶ待たせてしまったな」
扉が開く音とともに、船長が肩で息をしながら船長室へと現れた。
西に面した扉が開いたときには、船長の姿は逆光でよく見えなかった。
そんな船長が、夕日に照らされたまま後ろ手にドアを閉めたとき……
初めてその左手に、一輪挿しの花瓶が握られているのが見えたのだった。
花瓶に生けられた花は、金糸雀色の薔薇。
エスペーシア王国にいた頃、隠れ家に飾られていた花だ。
「船長、それ……」
挨拶も忘れて指さしてみせると、船長はわたしの指先を目で追った。
そして薔薇の花のことだとわかると、今初めて気がついたように「ああ、これか」と口にした。
「……」
けれども船長はそれ以上喋ることはなく、応接セットを横切ってわたしの隣までくると、机の右手にある窓辺に花瓶を置いた。
金糸雀色の薔薇は、花瓶から程よい長さに顔を出し、夕日を受けて煌めいた。
キレイだなぁ……
でも、まさか船長が用意していたなんて。
「この薔薇、前に住んでいた隠れ家にも飾ってありましたよね。あのときは、ポモさんがいたから、てっきり……」
「よく覚えているな。そう、あのときからずっと……いや、それ以前から、俺の部屋には黄色の薔薇を飾っているんだ」
「へぇ……」
黄色の薔薇……
ってことは、色も決まってるんだ。
でも……
どうして、必ず黄色の薔薇なんだろう……?
つづく




