第22話「作家志望の物語です」
冷たい風が吹き抜けて、船長のロングコートを揺らしていく。
真っ赤な夕日は、もう水平線の向こう側に半分以上隠れてしまっていた。
薄暗くなった船着き場。
大通りに立ち尽くす船長の表情は、残念ながらはっきりとは見えなかった。
それでも……
凪の終わりの中で、磯の香りを胸いっぱいに吸い込み、わたしは声高く叫んでいた。
「船長! わたしも連れて行ってください!」
ん……?
何かに似ている……
と思ったけれど、何かは思い出せない。
船長の表情は相変わらずよく見えないけれど、わたしの言葉は溢れて止まらなかった。
まるで、最初から用意されていた台詞のように。
「わたしには……わたしの毎日には、船長が必要なんです。あなた無しの日々なんて、もう過ごせそうになくて……だから、あなたが反対しても、わたしはついて行きます」
「……」
薄闇の中、かろうじて見える船長の表情は複雑だった。
何か言いたそうな気もするし、呆れてものも言えないようでもある。
……かと思いきや、
「……ぷっ、あはははは!」
人気のない船着き場に、船長の笑い声が響いた。
「面白い。シーナ、まさか狙っていたのか?」
「……へ?」
船長、何言ってるんだろう。
「なんだ、作者なのに気がついていないのか。俺は3回も読んでいるから、内容は全部頭に入っているが」
「作者……あっ」
あああああっ!!!
やっとわかった……
この状況、この前書いた小説と、まるっきり同じなんだ!
「……」
呆然とするわたしを前に、船長は必死に笑いを堪えているようだ。
大変だ……
これじゃまるで、わたしが冗談を言ってるみたいだ!
「船長、わたしは本気です。ダメだって言われても、ついて行きますから」
船長は、わたしの言葉に怪訝な顔で首を傾げていた。
まったく、何もわかってないんだから。
「クヨクヨ悩んでいる間にも腹は減るし、暗く沈んでいるときにも、いろいろなところで面白いことや楽しいことが起きている。そう教えてくれたのは船長です」
「……」
「何事も経験なら、わたしはいろんなことを船長と一緒に経験したいです」
「……」
船長の手紙は、もちろん旅行カバンの中に入っている。
船長がわたしの小説を何度も読み返してくれたように、わたしも船長の手紙は暗唱できるほど読み込んでいた。
ここで帰るわけにはいかない。
わたしの背中を押してくれた友人や妹、そして編集長のためにも!
「……シーナ」
わたしの決意とは裏腹に、船長は悲しげにわたしを見下ろしていた。
あれ、わたしの決意の言葉、届かなかったですか?
と、思っていると、
「小説は、もう書かないのか?」
……こんなにも切ない一言が、船長の口から発せられるなんて。
「……」
もしかして船長は、あの日からわたしが何も書けなくなってしまったと思っているのだろうか。
それなら、わたしも伝えなくては。
……自らの意志を。
「小説、書きますよ。当たり前じゃないですか。だってわたし、書くことが大好きなんですから!」
わたしは、船長に何もかも打ち明けた。
一度は筆を折りかけたこと。
白い紙にひたすら鉛筆を走らせたこと。
ただの文字列が文章になり、やがて物語になったこと。
書くことで心のモヤモヤが浄化されて、悲しさも吹き飛んでしまうこと。
………
……
「……そうか」
すべてを話し終えると、船長は静かに頷いた。
わたしの気持ちが、うまく伝わっているといいのだけど……
船長には、この書かずにいられない気持ち、わかってもらいたいなぁ……
なんて思っていると、船長は薄暗い中で満足そうに微笑んだ。
「小説を書くことで心が落ち着くのなら……シーナにとって、小説家は天職だな」
「……」
嬉しい一言だった。
ありがとうございます。
……そんな簡単なお礼も、言えなくなるほど。
「……」
涙と鼻水がこぼれないように深呼吸していると、船長は見ないふりをしてくれていたらしい。
わたしが落ち着いた頃、船長は「よし!」と手を打った。
「シーナ、海の上にいるということを忘れるな。海に出るということは、途中で引き返せないということだ。それでもいいのか?」
「船長、それ……」
今度は、すぐに気づけた。
それじゃあ、こちらも。
「それでもいいです。だって、船長と一緒にいられるなら、退屈になんてなったりしないから!」
うん、我ながら良い台詞。
……と思ったけれど、まだまだ推敲の余地有りって感じかな。
それでも、船長はわたしの答えを聞くと、楽しそうに「決まりだな」と笑った。
すると、
「……何が起きても、僕は知りませんからね」
今まで成り行きを見守っていたエフクレフさんが、不機嫌そうに呟いた。
それを、船長は聞こえないフリでごまかすと、エフクレフさんに宿屋へ行ってわたしの部屋を取るようにと指示を飛ばした。
そんなの自分でできるのに……
と思ったけれど、ここはご好意に甘えることにした。
エフクレフさんが大通りの宿屋へ向かい、わたしと船長は船着き場にふたりきりになった。
すみれ色の空の下、すっかり人気がなくなった船着き場に冷たい潮風が吹き抜けていく。
わたしは、ずっと言えずにいたことを、この機会に話してしまうことにした。
「船長、あの……すみませんでした。突然隠れ家を飛び出したり、お見舞いに来てくださったのに門前払いしたり、あと……妹が突然ぶん殴ったり」
うーん……
改めて口に出してみると、とんでもない仕打ちばかりだ。
「いや……いいんだ。気にしないでくれ」
船長は、そう言いながらも左頬をさすっている。
もしかして、あの日のことを思い出しているのかもしれない。
これは、何かほかの話題にしたほうがいいか……
ほかの話題、ほかの話題……
船長の役に立つような……
だれかの役に……
あ。
「船長! あの、わたし……ビンのフタを開けるのが得意なんです!」
ふと思い出したのは、まだ『月刊王室』が刊行されていた頃、最後になる原稿をまとめていた日のことだった。
あの日、食堂のおばちゃんのローズマリーさんに言われた言葉。
『こんなことでも、人の役に立ったんだもの、素晴らしいことだわ! ありがとうね!』
どんな些細なことでも、人の役に立つことって嬉しいことなんだ。
だから、わたしも船長の役に立ちたい。
……ということを伝えたかったのだけど。
「なるほど……それは、うちの船の料理人が喜ぶだろうな」
船長は、料理人さんの顔を思い浮かべているのか、珍しくクスクスと笑っていた。
いや……
本当は、わたしの場違いな言葉に吹き出していただけなのかもしれないけど。
★彡☆彡★彡
「……さて、そろそろエフクレフが部屋を取ってくれた頃だな。シーナ、宿屋へ帰ろう」
日が沈み、水平線が空の色と同化し始めた頃。
船長は薄闇に包まれて街灯がぽつぽつと灯る大通りを歩き始めた。
もう遅いから、宿屋に着いたらすぐに部屋に行きなさいと言われるような気がする。
……渡すなら、今しかない。
「船長、あのこれ……わたしの新作です」
カバンの中から、紐で綴じた小説を取り出す。
「船長に読んでもらいたくて、持ってきました」
そう言って差し出すと、船長はパッと顔を輝かせて受け取ってくれた。
「ありがとう。ゆっくり読ませてもらうよ」
その優しい微笑みを見ていると、不思議とこの人にならダメ出しされたって平気な気がしてくる。
でも、また心が折れたら?
ふと過ぎった不安に、小さく首を振る。
大丈夫。
そうなったら、また書けばいい。
楽しいことも辛いことも……!
「これは、どんな話なんだ?」
瞳を輝かせながら尋ねてきた船長に、わたしは満面の笑みで答えていた。
「作家志望の物語です」
第1章 おわり
これにて第1部(第1章)完となります。
長い長い序章にお付き合い頂き、ありがとうございます。感想などお寄せくださると嬉しいです。
ちなみに第1部は第1章のみですが、第2部は第2章〜第5章までとなっております。第5章の終わりに、また皆様と出会えるように楽しく書き進めていきます。
これからもどうぞご贔屓に!




