第1話「なんて??」
エスペーシア城の向かいに建つ、2階建ての建物。
そこが香辛出版の事務所である。
王子様の日記の写しを持って、いつものように帰社したわたしを待っていたのは、衝撃的な報せだった。
「ええっ!? 『月刊王室』って、今月で廃刊になるんですか!?」
編集長に呼び出されたわたしは、机の前で柄にもなく大声を上げてしまった。
父の古くからの知り合いであるタイム編集長は、わたしの大声に驚いたらしく、老眼鏡を外して珍しいものを見る目を向けてきた。
「ああ、そうだが……あれ、シーナ君は知らなかったのかな?」
「初耳ですっ!」
わたしが担当していた月刊誌『月刊王室』が廃刊になるのは、エスペーシア城内に王室の今を広く知らせる部署「王室広報部」が新設されたためだという。
要するに、わざわざ王室の情報を民間の月刊誌に掲載しても商売にならないから、勝ち目のない勝負はせずに廃刊にしてしまおうということらしい。
「なるほど、それは仕方のないことですね……」
わたしはそう呟いてみたものの、どうしてそんなに急な話になるのかがわからず声が小さくなってしまった。
まったく、なんでもいいから何か連絡してくれればいいのに。
「まあ、とにかく……そういうわけだから、シーナ君が王子様の日記を写して持って帰って来るのは、今日で最後だったんだよ」
タイム編集長は、わたしのしんみりとした様子に同情したらしい。
声の調子は少し寂しげで……
あれ、この寂しげなかんじ、ついさっき同じような雰囲気になったような……
……あ。
「なるほど。だからパンデロー君、ちょっと寂しげだったんですね」
どうりで、これからやってみたいことや、したいことを聞いてきたわけだ。
これからっていうのは、この仕事がなくなったらって意味だったんだね。
うんうんと頷くわたしに、タイム編集長は「広報部設立の件には、パンデロー君も携わっていたというからね」と、これまた初耳の情報を口にした。
ぱ、パンデロー君……
なんで何も教えてくれないんだ君はぁ……!
なんて、わたしがしょっぱい顔をしていると、タイム編集長はわたしが沈んでいると思ったのか、
「まあまあ、シーナ君。『月刊王室』が廃刊になっても、こちらにはまだ2冊も週刊誌が残っているから、経営に関しては何の問題もないよ」
そう言うと、あっけからんと笑ってみせた。
わたしはというと、危うく「あと2冊?」と聞き返すところだった。
わたしは、自分が担当している『月刊王室』以外の雑誌を知らない。
そんなんでいいわけがないのだけれど、あまり興味もないのだから仕方がない。
「それじゃあシーナ君、最後の写しをもらえるかな」
編集長は、わたしの様子を気にすることなく右手を差し出した。
わたしは、その手に持ち帰った王子様の日記の写しを手渡す。
「はい、ありがとう。ご苦労さまでした」
そう声をかけてもらうまでが、わたしの仕事の一連の流れである。
流れであるけれど……
あまりに普段通りのやり取りで、今日で最後とは到底思えない。
編集長は老眼鏡を掛け直すと、目を細めて日記の写しの確認を始めた。
オールバックの髪は黒々としてフサフサなのに、老眼だけは眼鏡が合わなくなるほど、確実に進行しているらしい。
「……よし、いいだろう。これが『月刊王室』最後の特集だ。シーナ君、最後ぐらい自分で記事にしてみたらどうだい?」
「へっ!?」
ぼんやりと編集長を観察していたわたしは、予期せぬ突然の提案に咄嗟に首を振った。
「いやいや! いいですよ、そんな……最後なんだから、ちゃんと専属の方が書くべきです!」
仮にも王子様の日記を、こんな自社の雑誌すら知らないようなヤツが書いていいわけがない。
必死に断ると、編集長は「そ、そうか……」と残念そうな、困ったような顔で日記の写しに視線を戻した。
どうにも、友人の娘というポジションのわたしが扱いにくいようだ。
担当の月刊誌もなくなってしまったし……
もう、辞めようかな。
わたしが書きたいのは雑誌の記事ではなくて、小説なのだから。
「あの、編集長……」
この機会に辞職を……
と、言葉を続けたが、編集長にはわたしのか細い声なんて聞こえなかったらしい。
「大丈夫だよ、シーナ君。心配しなくても、次の仕事はもう用意してあるからね!」
「……はい?」
なんて??
編集長は、ポカンとするわたしに構わず、机の引き出しから雑誌を1冊取り出すと、
「明日からは、これを担当してもらおうと思ってね」
それを、机の上にばさっと投げてみせた。
表紙には、デカデカと『週刊さんぱんち』と書いてある。
「硬派なウチとしては珍しいんだが、こういうゴシップ系の雑誌も扱っていてね。これは、刺激的なパンチを3発お見舞いする、という3本ネタの雑誌だよ。まだ模索中の内容もあるが、とりあえず今週号に目を通しておいてもらえるかな」
ゴシップ誌というわりに、表紙には美味しそうなパフェのイラストが描かれている。
そして、どうやらコレが目玉記事らしい。
『締めパフェ……北の島国、ノルテ王国からやって来た謎の伝統行事に迫る』
「あんまりゴシップ感ありませんね、これ」
「仕方ないだろう……この国は、そういう国なんだから」
わたしの呟きに、編集長は諦めたように、そう言い捨てた。
編集長の言う「そういう国」というのは、平和すぎる国という意味だろう。
エスペーシア王国を治めるサフラン国王と、その奥様であるナツメグ王妃の夫婦仲はすこぶる良好で、スキャンダルなんてものとは無縁も無縁……
いやいや、そんなものと縁があっては困るのだけど、でも本当になーんにもないのだ。
そんな平和なエスペーシア王国で起こった、唯一の事件らしい事件といえば……
2年前に起こった、ウェントゥルス教北風派によるターメリック王子誘拐未遂事件。
それ以降は、特に何も。
本当に、何もないのだ。
はてさて、そんな平和な国の平和なゴシップ誌には、いったい何が書いてあるのやら。
わたしは、ゴシップ誌『週刊さんぱんち』をパラリとめくってみた。
表紙の裏から「締めパフェ」についてのうんちくが長々と語られていて、挿絵担当が頑張ったであろうパフェの絵と、名店の地図が所狭しと並んでいる。
……なるほど、締めパフェというのは「呑んだ後に食べるパフェ」という意味らしい。
どうりで、居酒屋の隣りにある洋菓子店ばかり紹介されているわけだ。
そんなありふれた特集の次ページからは、連載小説が掲載されていた。
これが『週刊さんぱんち』の2本目のネタらしい。
小説のタイトルは『恋という名のスパイス』。
作者の名前は、ジーク。
そんな人、香辛出版にいたっけ……?
首を傾げながら、小説に目を通す。
それは、タイトルからしてもわかる通り、大人の恋の物語だった。
お互いの気持ちに気づいていながら別れ別れになってしまった男女が、世界を巡り巡ってやがて再会する、という内容。
わたしが手にしている『週刊さんぱんち』には、ちょうど第2話が掲載されていた。
前回までのあらすじと併せて、主人公ふたりの随所に散りばめられた思い出が、きらびやかに描かれている。
まるで目の前にその景色が広がっているかのような、美しい風景描写。
感情移入しやすく、性格がわかりやすく書き分けられた登場人物たち。
読者に寄り添う丁寧な文章のおかげで、普段は恋愛小説なんて読まない恋愛を知らないわたしでも、登場人物に感情移入して読み進められる。
だから、面白い。
「……シーナ君?」
編集長の声に、はっと顔を上げる。
しまった、つい読みふけってしまった。
つづく




