第18話「言うべきことは、ただひとつ」
う、受け取れない……?
わたしが急いで書いた「辞表願」が……?
あ、もしかして急いで書いたからですか!?
えええ、どうしよう……!
船長が城下町を旅立ってから、もうかなり経っている。
早く追いかけないといけないのに……!
もう、このまま……
このまま逃げるしか……!
今にも旅行カバンを手に駆け出しそうなわたしを前に、タイム編集長は机の上にもうひとつ何かを置いた。
サインペンだ。
やっぱり急いで書いたから、もっとキレイに書き直せってことかな。
でもでも、わたしの字なんて急いでても急いでなくてもすっごく汚いんですけど……
って……あれ?
待って待って。
編集長が差し出してくれたサインペン、色は黒じゃなくて……
赤?
「私は、このままじゃ、と言ったんだよ。だから、書き換えてくれたら喜んで受け取ろう」
「か、書き換える……?」
「ほんとはね、正式な書類だからこんなことしちゃダメなんだけど……まあ、見るのは私だけだし、大丈夫だよ、たぶん」
首を傾げるわたしに、編集長は「辞表願」の「辞」の部分を指さして、
「ここを、休に書き換えてくれないかな」
と、言った。
辞を休にってことは……
「休職願にするってことですか……?」
「そうそう、休職願。だってシーナ君、またこの国に帰ってくるんだろう? それなら、帰る場所ぐらいないと困ると思ってね」
「……」
帰る場所……?
わたしが必死になって抜け出そうとしていたこの場所が……?
退屈で退屈で、どうにかなりそうだった、この場所が……!?
え、ええっと……
ありがたいこととは、わかってはいるのですが……
それは、ちょっと……
遠慮したい……です。
なんて、恩を仇で返すようなことを考えていたせいだろうか。
タイム編集長はニヤリと笑って、
「もちろん、今と同じというわけではないよ。帰ってきた君には、香辛出版の大事な役職に就いてもらおうと思っている」
「……?」
香辛出版の、大事な役職……
いったいなんだろう、見当もつかない。
首を傾げていると、自分の考えにホクホク顔のタイム編集長が口を開いた。
「うちのペラペラで有名になりつつある『週刊さんぱんち』になくてはならない、専属の連載小説家だよ」
その言葉に、今度はわたしの開いた口が塞がらなかった。
れ、連載小説家……!
しかも専属って!
「……」
昔のわたしだったら……
船長に文章を添削してもらう前の、ちょっと調子に乗っていた頃のわたしだったら、
「えー! ほんとですか!? やったぁ嬉しいです〜っ! ありがとうございますっ! 頑張りまーす!!」
……なんて、おどけてお礼を言っていたことだろう。
でも、今のわたしなら……
背伸びをして、似合わない堅苦しい文章で着飾っていたことを知って、ほんの少しだけ成長した(ような)わたしなら……
言うべきことは、ただひとつ。
「編集長……ありがとうございます。まだまだ勉強不足ですから、帰ってきたときに香辛出版の連載小説家として恥ずかしくないよう、これからいろいろと勉強してきます」
その一言に、タイム編集長は満足げに頷いてくれた。
もっと、もっと……
謙虚に生きようよ、わたし!
その勢いのまま、赤のサインペンで辞表願の辞を休職願の休に書き換えた。
うーん、見れば見るほど不格好。
でも……なんだか、わたしらしくていい感じ。
「……よし、確かに受け取ったよ。それじゃあ、気をつけて行っておいで」
タイム編集長は、不格好な休職願を机の引き出しにしまい込んだ。
そこでわたしも外へ出ていこうとして……
大切なことを忘れるところだったと気がついた。
ああもう、いったい何のためにここに来たと思ってるんだ!
これだから「忘れ物大王」の娘は困る!
……と、地味に父のことをディスりながら、わたしはスカートのポケットからメモを取り出し、編集長に手渡した。
「あの、編集長。これ、おそらくなのですが……セレアル侯国の貴族様が残していった、この国の感想です。メモしておきました」
すると……
今まで編集長とは小声で話していたはずなのに、わたしの後ろにある記者たちの机がざわつき始めた。
きっと、耳が「セレアル侯国」やら「貴族様」といった言葉に敏感になっているのだろう。
案の定、タイム編集長も目を丸くして、メモ帳とわたしを見比べていた。
「シーナ君……これは、いったい……?」
編集長の質問に、今度は事務所内がしんと静まり返った。
その場にいるだれもが、わたしの答えを待っていた。
この数年、記者のような仕事なんてしたことのないわたしの答えを……
「これは、わたしがとある女性から聞いた、この国の感想なんです。そのときは、わたしも彼女の正体を知らなかったのですが、お付きの人がメモしておくと役に立つときがくるって言ってたので、メモしておきました」
「……」
タイム編集長と記者たちは、まだだれも何も言わなかった。
ポモさんがこの国に来づらくならないよう、名前は伏せて話すしかない。
しかも……
この情報には確信というか、証拠がないのだ。
それを一言添えておくことにした。
「すみません、時間がなくて、裏取り……でしたっけ? それはできなかったんです。信憑性の低い情報を『週刊さんぱんち』に掲載するかどうかは、編集長がお決めに」
そこまで言ったときだった。
「載せるに決まってるだろう! これは特ダネなんだから!」
編集長は目をキラキラとさせて、控えていた記者たちに指示を飛ばし始めた。
記者たちも、特ダネを他社に出し抜かれまいと『週刊さんぱんち』のレイアウト決めにテキパキと動いている。
中には、わたしに向かって「シーナさんありがとう!」なんて声をかけてくれる人までいた。
わたしなんて、その人の名前さえ覚えていないのに。
ああ……
彼らは、自分の仕事に誇りを持っている人たちなんだ。
好きなことを仕事にできるって、いいなぁ。
羨ましくもあり……
申し訳なくもある。
最後まで馴染めなくて、ごめんなさい。
事務所内が忙しなくなってきたので、そのままこっそり帰ろうとすると、編集長に呼び止められた。
「シーナ君は、エスペーシア城の執事バクリッコを知っているかな」
「……ああ、バクリッコさん。はい、知ってます」
エスペーシア城で働くバクリッコさんといえば、仕事がデキすぎて逆にサボり癖がひどいことで有名な執事さんだ。
仕事が終わると次の仕事まで休憩という名のサボりに出かけてしまうため、お城へ通っていたわたしでさえ数回しか会ったことがない。
そのバクリッコさんが、どうしたのだろう。
編集長の話は続いている。
「エスペーシア城の城門前に、港町へ向かうことになったバクリッコが馬車を引いて君を待っている。ヤツは城内での仕事をサボる代わりに、君の友人の同僚として力を貸してくれるそうだ」
「……」
言葉も出なかった。
どうしてそこまで、という思いでいっぱいで。
先ほども書いた通り、わたしはバクリッコさんとはあまり面識がない。
それなのに、力を貸してくれるとは……
おそらく、クミンちゃんが頼んでくれたのだろう。
まったく、編集長といい、クミンちゃんといい……
世話好きにもほどがある。
でも、それが「平和を絵に描いたような国」と言われるエスペーシア王国の平和を築いているのかもしれない。
……彼らが『エスペーシア王国の平和の秘密』という特ダネに気づくのは、いつのことやら。
さて、そろそろ行かないと。
「編集長……何から何まで、ありがとうございました。それじゃあ、行ってきます」
わたしは編集長に深々と頭を下げると、別れの挨拶を背に受けて、エスペーシア城の城門へと向かった。
つづく




