第16話「わたしの、幸せ……」
ポモさんとエフクレフさんが帰ってしまって、はや数日。
わたしは、いまだに船長からの手紙を開けられずにいた。
「うーん……」
机の上に置かれた、白い封筒。
裏にはト音記号の封蝋。
なんてオシャレなんだろう。
なんていうか、とても船長らしくて……
だからこそ、ますます読みにくい。
「ううーん……」
内容なら想像がつく。
絶対にわたしの小説の感想だ。
つい先日完結したのだから、船長なら何か一言でも書いてくるに違いない。
そう思うと……
『背伸びが過ぎたようだ』
あの日のことが嫌でも思い出されてしまって、やっぱり封が切れない。
「うううーん……」
真っ白な封筒を手に、わたしは悩み続ける。
さて、いったいどうしたも
「だーっ! もういい加減にしてっ!!」
「うぎゃっ!?」
机に向かって思案していると、いつの間にか後ろに立っていたマーサが大声を上げたので、わたしのお尻は椅子から浮き上がった。
振り返った先では、今にも火が吹き出そうな怖い顔をしたマーサがわたしを睨みつけていた。
「その唸り声、毎日うるさいんだけど」
「……すんません」
「この前だって、張り切って洗濯したくせに、夜まで洗濯物干しっぱなしで……だれが片付けたと思ってんの」
「……」
「ここはふたりの家です。同居人に迷惑はかけないように」
「……ハイ」
言いたいことを言い終えたマーサは、大きなため息とともにわたしの部屋を出ていった。
そんなにうるさかったのか、わたし……
仕方ない、マーサのためにも船長の手紙を読んでみることにしよう。
「……」
船長からの手紙……
開封した途端、あのときの赤インクと同じ筆跡が目に飛び込んでくる。
ちらりと見たところ、どうやら小説の感想ではないようなので、わたしは胸を撫で下ろして手紙を読み始めた。
★彡☆彡★彡
シーナ
俺が書いた添削案のことは忘れてくれ。
小説は、もっと自由であるべきなのに、人の作品にとやかく口を出して、俺は少し思い上がっていたようだ。
あのときの心の痛みは癒えただろうか。
痛みを負わせた者として、こんなことを言うのは気が引けるんだが……
俺は、心に負った傷は勲章だと思っている。
きっと将来の役に立つものだと。
だから、今は勲章を胸に、一歩ずつ前に進んで行ってほしい。
……そんなことできないと思ったか?
けれどな、シーナ。
クヨクヨ悩んでいる間にも腹は減るし、暗く沈んでいるときにも、色々なところで面白いことや楽しいことが起きているんだ。
何事も経験してみるといい。
そこから見えてくることだってある。
シーナが楽しく過ごせるように、耳を目を、触覚を、五感を広げて動いていけることを願っている。
追伸。
俺とエフクレフは、ポモコの依頼で近々この国を出る。
そろそろ次の滞在先を探そうと思っていたところだから、この国にはもう戻らないだろう。
俺は、どこにいようとシーナの小説を読みたいと思っている。
だから、俺がいなくても、小説を書くことだけはやめないでくれ。
次回作も、楽しみにしている。
ジークレフ
★彡☆彡★彡
「……」
手紙を読み終えたわたしは、しばし呆然としていた。
まさか、船長がこんな手紙を書いていてくれたなんて……
勇気が湧いてくるような、優しくて、それでいて力強く背中を押してくれる文字たち。
わたしだけに贈られた、船長からのプレゼント。
本当は、感動して涙を流したい気持ちでいっぱいだった。
それなのに……
「どうして……」
それだけを絞り出して、わたしは手紙をぎゅっと握りしめた。
そして、部屋を飛び出し階段を駆け下りると、勢いそのままに大通りを激走した。
どうして、どうして、どうして……!
「どうしていちばん大事なことを追伸に書くんですかーっ!」
★彡☆彡★彡
船長の隠れ家は、わたしの家からは走っても10分ほどかかる。
わたしはヒールを盛大に鳴らし、石畳の道を転ばぬように全力疾走した。
午後の昼下がりだけあって、人通りも多い。
冷たい風に秋の訪れを感じる暇もなく、わたしは人混みを縫うように走り続け、路地裏で足を止めた。
「……」
船長とエフクレフさんが住んでいた隠れ家からは、何の気配も感じられなかった。
ト音記号とヘ音記号の木板は外され、扉の鍵も外されている。
ドアを開けてみると、中はすでにもぬけの殻。
家財道具はおろか、ひと間を仕切っていたベニヤ板すら撤去されている。
船長の手紙は、エフクレフさんが数日前にくれたものだ。
ってことは……
いったいいつから、こんな状態なの……?
「……」
こんなことなら、もっと早く手紙を読んでいたらよかった。
そうしたら……
……ん?
もっと早くに手紙を読んでいて、国を離れる準備をしている船長に会えたとして……
わたしは、どうするつもりだったの……?
「シーナ!」
大通りから聞こえてきた名前を呼ぶ声に、わたしの思考は中断された。
振り向くと、そこにはお団子頭の人影。
逆光の中でよく見えないけれど、クミンちゃんが佇んでいた。
「……」
わたしは、突然現れたクミンちゃんに縋る思いで、船長の隠れ家だった空き家を指さした。
クミンちゃんは事情を察してくれたらしく「ああ」と呟いてから、
「昨日、船長さんが大荷物を担いだエフクレフさんを連れて、ここから出てきたの。お出かけですか? って話しかけたら、これから港町カイサーに向かうんだって……もう、ここには戻ってこないみたい」
「昨日……港町カイサー……」
港町カイサーは、商人たちが政治の要となっている、エスペーシア王国唯一の自治領区だ。
城下町から歩いて半日ほどかかるから、船長たちが昨日のうちに出発していたとすると、もうすぐ到着する頃だろう。
大丈夫、まだ追いつける。
でも……
それから、どうしたいの……?
「あのね、シーナ……」
自分でもよくわからない感情にモヤモヤしていると、クミンちゃんが躊躇いがちに口を開いた。
「わたしね、船長さんに頼まれちゃったの」
『ここに、シナモン色の髪をポニーテールにした女の子が来たら伝えてほしい。俺のことは忘れてくれ……と』
「ここに来るのがシーナだってわかったから、わたし、ここで待っていたの。よかったよぉ、ちょうど出会えて」
クミンちゃんは、ふぅっと息をついてわたしを見つめると、
「伝言を頼まれたわたしが言うことじゃないけど……シーナは船長さんのこと、追いかけたほうがいいと思う」
「え、どうして……」
わたしが理由を尋ねる前に、クミンちゃんは、まるで女神様のような穏やかな笑みを浮かべて、口を開いた。
「だって……シーナは、そのほうが幸せでしょう?」
「……」
クミンちゃんは、幸せ、のところに力を込めて、そう言った。
幸せ……
わたしの、幸せ……
あっ……
『わたしも、一緒に連れて行ってください!』
港町カイサーで、船長に追いついたわたしがそう言うのが見えた。
船長は手紙に、もうこの国には戻らないと書いていた。
これから先、何が起こるかはわからないけれど、わたしは、しばらくこの国から離れることになりそうだ。
それはつまり……
一時でも、家族や友人と別れて生活するということを意味している。
「……」
それでも……
わたしは、船長を追いかける。
『その気持ち、大事にしたほうがいいよ。何かあったとき、きっとシーナの味方になってくれるから』
そう教えてくれたのは、クミンちゃんだ。
「……ありがとう」
そう呟くと、クミンちゃんは大きく「うん!」と頷いてくれた。
路地裏を出てからも、クミンちゃんはわたしに手を振り続けてくれていた。
冷たい秋風が人混みを縫うように駆け抜け、わたしのワンピースをなびかせていった。
つづく




