第15話「お別れの挨拶だ」
翌日のことだった。
物語を書き散らかした紙を集めて、改めて頁数を振っていると、玄関のドアを叩く音が聞こえてきた。
まさか……
と、息を飲みつつも首を振る。
いやいや、もうあのときドアを閉めて泣き出してしまったわたしじゃない。
船長が来たって、笑顔で迎えてやるんだから!
わたしは、大きく息を吐いてから玄関のドアを開いた。
真っ先に目に飛び込んできたのは、鮮やかな緋色の髪の毛だった。
「シーナたーん! お久しぶりでーす!」
玄関先では、ポモさんが満面の笑みで小さく万歳をしていた。
その後ろには、エフクレフさんが控えていた。
目線だけの会釈。
はてさて、どうしてふたりがわたしの家に……?
尋ねてみると、ポモさんは満面の笑みを浮かべて、羽織っていたカーディガンのポケットから1枚のハンカチを取り出した。
「シーナたんを泣かせてしまった、とジークさんから相談されたので、涙拭いてねハンカチを持って来ましたー! どうぞ!」
そう言われて受け取ったハンカチは、とても滑らかな肌ざわりだった。
触れているのかいないのかさえ、わからない。
どちらかというと、ハンカチというよりはスカーフに近かった。
もちろん今は泣いていなかったけれど、わたしは「ありがとうございます」と目許にハンカチを当ててみせた。
「ああ、良かった。シーナたん、思ったより元気そうでなによりです」
ポモさんは嬉しそうに微笑んでいた。
せっかくだから、家に上がってもらうことにしよう。
付き添いらしいエフクレフさんも一緒に。
★彡☆彡★彡
散らかった居間を数秒でお客様の入れる場所にして、わたしはお客様のためにコーヒーを淹れた。
「ジークさん、とてもヘコんでたんですよ。あんなに何日も泣かせるつもりはなかったって」
テーブルについたポモさんは、コーヒーカップを押し頂いて、わたしが淹れた何の変哲もないコーヒーを美味しそうに啜った。
「この前会ったときも、依頼の話をしているのに上の空で。あんなジークさん、見たことなかったので驚きました」
「……」
「ジークさんに、シーナたんは元気そうだったって伝えておきますね」
ポモさんはニコニコと笑顔だったけれど、わたしは何と答えたらいいのかわからなかった。
元気……というには、まだ少し心が重い。
「ポモコ、そろそろお暇しましょう」
コーヒーを一気飲みしたエフクレフさんが、椅子を吹っ飛ばす勢いで立ち上がった。
まだ数分も経ってないのになぁ……
なんて残念そうに思っていると、エフクレフさんはそんなわたしの心を読んだかのように、
「ポモコは多忙なんです。今だって、無理してここに来てるんですから」
と、不機嫌そうに呟いた。
ポモさんはというと、そんなエフクレフさんには見向きもせずに、
「あと3分待ってください〜」
なんて言って、コーヒーを啜っている。
ポモさんが大事そうに飲むのを見ていると、なんの香りもしないコーヒーも、なんだか美味しそうに見えてくるから不思議だ。
宝物を扱うように、ひと口ずつ大切に……
まるで、よそでは決して飲むことのできないもののように……
「そうでした、忘れるところでしたよシーナたん」
ふと、ポモさんが顔を上げた。
「ボク、シーナたんに話しておこうと思っていたことがあるんです。シーナたんだけに、特別に」
「わ、わたしに……?」
ポモさんは嬉しそうに頷いた。
その隣では、エフクレフさんが珍しく困惑しているようだった。
何か喋ってほしくないことがあるような感じだったけれど、ポモさんはお構いなしに口を開いた。
「ボク、この国が好きです。とってもとってもステキな国! いろんな国を見てきたけれど、こんなにステキな国はここだけです。とても楽しい日々を過ごすことができました。ありがとうございました」
静かに頭を下げるポモさんに、わたしはなんと言ったらいいかわからず、手にしたコーヒーカップを握りしめていた。
これは……
「ポモコは帰り支度で多忙なんです」
立ち上がったままのエフクレフさんが、ぽつりと呟いた。
ああ、やっぱり。
お別れの挨拶だ。
ポモさん、この国に住んでいるわけじゃなかったんですね……
わたしが口を開く前に、ポモさんは顔を上げて、
「ボクは旅が好きです。だから、きっとまたこの国を訪れます。今は帰らなきゃだけど、大好きだから何度でも来ます!」
そう宣言して、にっこりと微笑んだ。
すると、
「シーナ。今のポモコの言葉は貴重です。メモを取っておいたほうがいい」
少しぶっきらぼうだけど、ほんの少し優しさを感じるような声で、エフクレフさんは呟いた。
最初は困惑気味で、ポモさんの言葉ひとつひとつに緊張していたみたいなのに……
今は、何か吹っ切れたような顔をしている。
気になるけれど、早くメモしないと。
わたしは、手元に置いているメモ帳に急いでポモさんの言葉を書き留めた。
すると、すべて書き終えたタイミングで、エフクレフさんから手元に白い封筒が差し出された。
「船長から、あなたに。心が落ち着いたときでいいから読んでほしい、とのことです」
「えっ……」
船長からの、手紙……
そんなの、受け取れるわけ……
「……」
エフクレフさんの鋭い眼光に押され、わたしは何も言えずに、仕方なく封筒を受け取った。
いったい何が書いてあるんだろう。
小説の添削案かな。
つい最近、完結したわけだし。
開けて読むには、まだ勇気がいりそうだ。
いつになるかはわからないけれど、必ず読みます。
そう伝えようとすると、
「……あなただけが不幸だと思わないでください」
地の底を這うような低い声に顔を上げると、エフクレフさんと目が合った。
わたしだけが……?
「あなたより、船長のほうが……」
「船長の……?」
それって……
船長も小説を書いていて、わたし以上に酷い経験をしたということだろうか。
そんな想像をしていたら、ポモさんが神妙な顔で口を開いた。
「ジークさんは、船に乗っていた頃に大切な人を海で亡くしてるんです」
……えっ。
今、なんて……?
「違います、亡くしたわけじゃない。まだ行方不明の状態です。それに、船長の大切な人ではなくて、船長を大切に想っていた人です」
エフクレフさんが割り込むと、ポモさんは口を噤んでしまった。
居間には静寂が広がり、壁掛け時計の音がやけにうるさく聞こえてくる。
船長を、大切に思っていた人……
行方不明だというその人が、家族なのか友人なのか、それとも恋人なのか……
沈黙を破って、エフクレフさんに尋ねようとしたのだけど、
「ポモコ、いつまでも粘っていないで帰りますよ」
エフクレフさんは、ようやくコーヒーを飲み終えたポモさんを連れて「お邪魔しました」と居間から出ていってしまった。
気になるなぁ……
でも、言いたくなさそうだったし、聞かないほうがいい話かもしれない。
玄関ドアから顔を出すと、ポモさんが遠くの曲がり角を曲がって見えなくなるまで手を振り続けていた。
旅好きのポモさんは、これからも旅を続けるのだろう。
居間に戻ると……
なんと、テーブルの上にポモさんのハンカチがぽつねんと取り残されていた。
ああー! 忘れ物ー!
走れば追いつける、と思ってハンカチを手にしたものの……
テーブルに何かの水滴が残っていたらしく、ハンカチは少し濡れていた。
おおーう……
わたしは頭を抱えた。
ちゃんと洗濯して返さなきゃ……
手触りの良いハンカチを広げてみると、隅に刺繍が施されていた。
女の人の横顔だ。
美しい金髪をなびかせ、穏やかな表情で凛々しい薄紫色の瞳を細めている。
「……」
この刺繍には、何か重大な意味があるような、そんな気がした。
つづく




