第14話「わたしは、書くことが好き」
わたしが『週刊さんぱんち』に連載していた小説は、それから2週間後に最終回を迎え、無事に完結した。
本当は全15話なので、もっと長く連載される予定だったのだけど、タイム編集長に頼み込み、そこから3話ずつ載せてもらって、結局全8話で終了となった。
3話目以降の手直しには、想像以上の時間がかかってしまった。
それもそのはず……
なんてったって、すべて書き換えたのだから。
最初は、根気よく添削を続けていた。
しかし、何か書き出そうとするたびに、あの日のことが脳裏に浮かんできて……
気がつけば、原稿が涙で滲んで使い物にならなくなってしまうのだ。
『背伸びが過ぎたようだ』
わたしらしい文章を目指して、添削また添削。
でも、涙が止まらない。
せっかく文章を直しても、ほとんどが殴り書きの状態で、あとで見返しても何と書いてあるのかさっぱりわからなかった。
そこでまた書き直し、涙で見えなくなって殴り書き、読めなくて書き直し……
………
……
…
ダメだ。
何を書いても、まったく面白くないような気がして手が止まってしまう。
そこから、なんとか苦労して一文を書き上げても、読み返してすぐに鉛筆を投げ出してしまった。
こんなもの……
こんな面白くもなくて読みにくくて、自分さえわかればいいような独りよがりの文章、家族にも友人にも、だれにも見せられない。
原稿用紙に文章を書いて、黒塗りにして……
真っ黒になった原稿用紙を、親の仇みたいにぐしゃぐしゃに丸めてくずかごに投げ捨てた。
わたしの部屋の小さな木製のくずかごは、ものの10分でいっぱいになった。
もう限界だった。
まだ何も知らずに、独りよがりな文章を書いて調子に乗っていた頃の自分が見えるようで、以前に書いた原稿を読む度に腹が立ってくる。
だから……
昔に書いたものは、すべて捨てた。
大まかなストーリーは、変えずにそのまま残す。
三人称の堅苦しい文体は、軽やかな一人称に。
主人公の目線に寄り添い、五感を駆使した表現に挑戦する。
せっかちで独りよがりな場面を、風景描写も含めて丁寧に描いてみた。
……すべては、船長が褒めてくれた、わたしらしい軽快な文章にするための苦肉の策。
涙と鼻水で、最後のほうは顔も原稿もぐしゃぐしゃになっていた。
それでもわたしは、身を削る思いで連載小説を書き上げた。
完成した作品は、もちろん満足のいくものではなかった。
できることなら、だれの目にも触れない場所に葬り去ってしまいたいくらいだ。
タイム編集長は、すっかりペラペラで有名になってしまった『週刊さんぱんち』が少しでも厚くなったと大喜びしていたけれど、納得のいくものが書けていないわたしとしては、少々複雑な気持ちだった。
こうして、連載小説を書き終えたわたしは、しばらく執筆から離れることにした。
何を書いても涙と鼻水しか出てこない状態では、良い作品はおろか普通の文章すら書けやしないだろう。
机の上に広げていたプロットをまとめて本棚にしまい込み、出しっぱなしになっていた愛用の筆記用具たちを片付けた。
下書き用の鉛筆は先が全部丸くなっていたけれど、気にせず引き出しに放り込む。
また文章を……いや、自分の気持ちを書きたくなる日が来るのなら、それはきっと遠い未来のことだろう。
だって、今は白い紙すら見たくないのだから。
★彡☆彡★彡
もう何も書くまい。
筆記用具なんて引き出しに永眠だ。
原稿用紙?
そんなもの、折りたたんで便利な卓上ゴミ箱にしてくれる。
……何も書かなくなって数日。
しばらくの間、わたしは黙々と原稿用紙で卓上ゴミ箱を作って暮らしていた。
仕事はというと、タイム編集長が「長い小説を書いて疲れただろうから」と2週間ほど休みにしてくれていた。
でも……
仕事があったほうが、気が紛れたかもしれない。
……家にいたって、何もすることがない。
掃除や洗濯、思いついたことは全部やってしまった。
部屋中の床を、鏡張りみたいにピカピカに磨いたり。
家中のシーツやテーブルクロス、ブランケットに至るまで、すべてゴシゴシ洗濯したり。
小さな庭の小さな物干し竿に、洗濯物を限界ギリギリまで干して干して干しまくる。
天気のことなんか考えてなかったものだから、予想以上に風が強くて、ブランケットがバタバタとうるさい。
そんなブランケットを、わたしは心を無にして見つめていた。
「……」
いや……
まったくの無というわけでもない。
することが無くなってくると、嫌でも自分の気持ちと向き合わなくてはいけなくなるからだ。
あの日、わたしの心がもう少し強かったなら。
……どんなに強い風の中でも、吹き飛ばされないでバタバタしているブランケットのように。
「……」
もしもそうだったなら……
泣きながら隠れ家を飛び出したりなんかしないで、船長の真っ赤な添削案をありがたく受け取っていたはずだ。
いたはず……
推測だから、それ以上は言えないけれど。
「……」
本当は、何も考えたくない。
でも、気がつけば考え込んでいる。
もう……
この道しかないのか?
ほかに目指すべきものがあるんじゃないのか?
自分に向いているものがあるんじゃないのか?
本当に……
このままでいいのか?
「……」
行き場をなくした不安たちが、風になびく洗濯物たちと一緒に、頭の中を回り続けている。
最近の寝不足も、これが原因だろう。
「……ふぁ」
わたしは、人目もはばからず大あくびをすると、洗濯を終えたあとの腕まくりもそのままに、2階の自室へと走った。
椅子に座り、引き出しの中から鉛筆を取り出す。
先の丸くなった鉛筆の芯を、イライラに任せて注射針のように尖らせる。
かなりぞんざいに扱ったわりに、鉛筆はここ数年でいちばんキレイに削れているように見えた。
意外と早かったな。
……ふと、キレイになった鉛筆に、そんなことを言われたような気がした。
愛用の鉛筆は、わたしがすぐここへ戻って来ることも、自分が注射針のように削られることもお見通しだったのかもしれない。
それでも、鉛筆は引き出しで黙って待っていてくれたんだ。
あ、いや……
鉛筆は喋らないから、これはわたしの想像に過ぎないのだけど。
「……」
書きたいものが特に見つからないまま、それでも何か書きたくて、真っ白い紙の上を滑らせるように鉛筆を動かし、真っ黒い文字で埋めていった。
最初は棒線や波線だったものが、やがて読める文字へと変化していく。
それは、なんの脈絡もない文字たちだった。
朝ご飯、お昼ご飯、夜ご飯……
紙が文字でいっぱいになったら、次の紙へ。
それらはやがて、自分の感情になっていった。
わたしは、書くことが好き。
これからも、物語を書き続けていきたい。
………
……
…
頭に渦巻いていた不安が、自分の前向きな感情へと変化していくのがわかる。
頭から腕へ、腕から手へ、手から指先へ……
そして、指先から鉛筆に乗って、紙に書き出されていく。
わたしは、感情という名の鉛筆を走らせ続けた。
こうして感情は文章となり、やがてひとつの物語になった。
作家を目指す「わたし」が「船長」と出会い、成長していく物語。
その中に、こんな台詞を書き入れた。
『文章を書くことでできた傷は、文章を書くことでしか癒せない。だから、わたしは書く。物語を書くことが好きだから、書くんだ』
……これを、船長が読んだら何て言うだろう。
随分と独りよがりだな。
なんて、笑われたりして……
というか……
わたしってば、これを船長に見せたい、なんて……
そう思えるほど、わたしの心の傷は、いつの間にか回復していたのだった。
つづく




