第39話「胸に温かな希望を抱いて」
ドレスは鮮やかな赤色ではありますが、私の持っているものではありませんでした。
なんというか……少し前の時代のものに見えます。
かといって、少しも古くさくはありません。
デザイン的に、ひと昔前の流行のような気がするのです。
ふと見上げた先、船室の壁には鏡が掛けられていました。
そこにちょうど、私の後ろ頭が映り込んでいます。
いつもの髪型である夜会巻きをとめている大きな髪飾りが映っていました。
こちらもいつも使っているものによく似ていますが、なんだかいつものものとは違っています。
またひと昔前のものかと思ったのですが、どうやら違うようです。
おそらく、私が普段使っているものより、もっと高価な種類の髪飾りでしょう。
美しい宝石は、これまた美しいバラの形に加工されています。
赤色はルビーで、薄桃色はおそらくガーネット。
繊細な黒のレースが帯になって、流れ星の尾のように、ふたつのバラから伸びています。
と、そこまで観察して、私はようやく気がつきました。
この髪飾りは、ナンモさんの物置部屋で一瞬見えた幻の髪飾り……
あのとき『大好きの君』が指さしたものだったのです。
私のために、あの人が選んでくれた髪飾り……
ひと昔前のドレスに身を包み、高価な髪飾りを身につけて、船室に立っている私……
はて、どうして私はこんなところで、こんな格好をしているのでしょう?
やはりこれは、私が記憶をなくすきっかけになった出来事の映像なのでしょうか……
髪飾りから目が離せなくなっていた私は、ふと何者かの視線を感じて視線を動かしました。
私の背中越しに、だれかがこちらをじっと見つめているようです。
振り返って確認しようとしたのですが、なぜか私は身動きがとれませんでした。
私を見つめるその人物を、窓ガラス越しにしか見ることができないのです。
自分の夢だというのに、自分の思う通りにならないなんて……
ああ、もう! イライラするっ!
むすっとしつつも、私は窓ガラス越しに観察を始めました。
私の後ろ姿を見つめているのは、シナモン色の髪をポニーテールに結った女の人でした。
顔立ちが私より大人びてみえるので、年の頃はおそらく私と同年代か、少し上くらいでしょう。
瞳の色は私と同じ紫色ですが、私のものよりも少し青味がかった清楚な色をしています。
着ているワンピースが普段着のように見えるのは、私がドレスを着て着飾っているせいかもしれません。
どこにでもいるような……そこは私と同じ雰囲気の女の人です。
彼女は私と目が合っているはずなのに、なぜか怪訝そうな表情を浮かべて私の顔を覗き込もうとしています。
どうやら……彼女には、私の顔が見えていないようなのです。
そりゃあ夢ですもの、不思議なことのひとつやふたつ、簡単に起こりえることでしょう。
しかし……
仕方のないこととはいえ、なんてもどかしい!
身動きできずに苦しんでいると、怪訝な表情の彼女が私の背中に向かって口を開きました。
残念ながら、声は聞こえません。
先ほどから無音の世界にいるようなので、これまた仕方のないことのようです。
そんな静寂が支配する世界の中で、彼女の言っていることは、口の形でなんとなくわかりました。
どうやら、
あなたは、だれなの……?
と言っているようです。
ふむ、なるほど……
向こうの彼女は、私のことを知らないようです。
そしてもちろん、私も彼女のことを知りません。
急に「だれ」って言われても困ってしまいます。
あなたこそ、だれなのですか??
私も口に出して尋ねてみましたが、ここは無音の世界。
私の声も、彼女には届いていないようです。
しかも、私の場合は彼女に後ろ姿しか見えていないようなので、口の形から理解してもらうこともできません。
そして、それよりも大変なことが起きつつありました。
彼女の姿がだんだんと薄暗くなって、見えなくなってきていたのです。
え、どうして……?
船室の中は、相変わらず明るいままなのに……
うーん、さすがは夢の中。
不思議なことばかり起こります。
薄暗くなっていく彼女も困惑の表情を浮かべているということは、どうやら彼女のほうでも私の姿が見えなくなっているのでしょう。
このまま、お互いに何もわからずにお別れなのでしょうか?
考え込んでいると、突然目の前が眩しく輝き出し……
私は、自分の部屋で目を覚ましました。
★彡☆彡★彡
遠くから、台所で水仕事をする音が聞こえてきます。
目の前には、シミひとつない真っ白い天井……
普段なら、その日に見た夢のことなんて目覚めたらすぐに忘れてしまうというのに、今日見た夢だけはいつまでも私の頭の片隅に残り続けていました。
何か、意味のある夢だったのでしょうか……
おそらく私の過去にまつわる夢なのでしょうが、思い出せない何かが夢の一部として現れたのかもしれません。
それか、この夢自体が私を探していたという人のものだったか……
まあ、どちらにしても数日前に読んだドンパ君の手紙が影響していることは確かです。
あれから数日が経ちました。
それはつまり、ドンパ君がもうすぐノルテ王国へ帰ってくる、ということです。
私を探していたという人たちと一緒に……
「……ふう」
私はベッドから起き上がり、小さくため息をつきました。
この先、いったいどんなことが起こるのでしょう。
確かなことは、何もありません。
そんな不安が、私を襲います。
もしも、私を探してきた人たちの人違いだったらどうしよう。
仮に人違いではなかったとしても、私がその人たちのことを何ひとつ思い出せなかったらどうしよう。
どうしよう……!
そんな、だれもどうしようもない不安に押しつぶされそうになっていると、部屋の扉が叩かれました。
私が気を落ち着けてから「どうぞ」と声をかけると、開いた扉の向こうからワヤちゃんがひょっこりと顔を出しました。
その表情はいつもと変わらないように見えますが、よく見ると少し頬のあたりが強張っているようにも見えました。
緊張している……? ワヤちゃんが……?
私が首を傾げてみせると、ワヤちゃんはゴクンと唾を飲み込んで「落ち着いて聞いてね」と、自分に言い聞かせるようにして話し始めました。
「ついさっき連絡があったの。今日の午後くらいに、ドンパがイトマーコマの港に到着するんだって……」
「えっ……そっか、もう帰ってくるんだね。早いね」
「ふふ、ほんとにね。ちょっと怖いくらい。ああ、それでね……今からイトマーコマの港へ向かえば、ドンパが帰ってくる時間に間に合うと思うの。だからね、ジュスティーヌ……一緒に行きましょう!」
ワヤちゃんはそう言って、ベッドに腰掛けたままの私に手を差し伸べました。
私は迷わずその手を握り返していました。
ワヤちゃんの力強い一言が、まるで海原に吹き渡る風のように私の不安を吹き飛ばしてくれたからです。
ありがとう、ワヤちゃん。
あなたと一緒なら、何があっても大丈夫なような気がしてきたわ。
「よーし! それじゃ、さっそく着ていく服を選びましょう!」
「おー! って、ええっ!? そ、そんなのは、ちょっとお洒落なものをちゃちゃっと……」
「何言ってんの! ひょっとしたら、あの『大好きの君』がドンパと一緒に来てるかもしれないのよ!? 適当な服で行けるわけないでしょ!」
「そ、それはそうかもしれないけど……そんなに張り切らなくても」
「ほら、早くクローゼットに入ってる服出して! 全部よ、全部!」
「……はい」
私は、苦笑いしながらもクローゼットへと向かい、扉を開けました。
胸に温かな希望を抱いて。
第12章へつづく




